病気は何処からともなくやってきます。
なりたいなんて思う人はもちろん無く(病気になっても仕方ないなと思うような生活を自覚している人はいるかもしれないけれど)、なってしまったものはどうしようもなく、「どうして自分が」とか「 何が悪かったのだろうか」とかジタバタ抵抗しながら最後には受け入れる、受け入れざるを得ない、受け入れる以外の選択肢はない、というか・・・・・
私は、過去2回の癌の手術と治療(抗がん剤、放射線)を経験していますが、親も癌だったこともあってか割とすんなり受け入れている、かと思います。もちろん笑顔で受け入れた訳ではなかったけれど、「あ〜そうかー」って感じですかね。手術も治療も決して何の副作用もなく進んで終わった訳ではないけれど、それから数年経った今転移も再発もみられないというのは、まーそれなりに良かったのでしょう。そして、大病を経験した多くの人が言うように、「病気になったからこそ分かった事、得た物があった。人生観が変わった!」というプラスの捉え方も出来てました。とても前向きに。
ところが、そんな時のこの病気です。仕事が医療関係だった(もちろん今は辞めてますが)という事もあり、知識はありました。最初の症状は喋りにくさ、ある一定の音が発音しにくい滑舌の悪さを感じるというもので、周りの人には気付かれない程度のものでした。これは何だかおかしいと思い医療機関で色々検査を受けて「どこも異常なし」と言われる度に、私の頭の中にある”可能性のある病名”が一つずつ消えていき、後に残るのは重大な稀な難病のみ。この時期の不安感と焦りは結構大きな物でした。なにせ、癌治療中でさえ仕事や趣味でしていた事の日常生活は最低限は続けられてましたし、それが大きな心の支えにもなっていたのに、喋られない、言葉を伝えられないというのは、その全てを奪うものでしたから。
ALSの診断はある意味消去法です。CTやMRIを何度もして他の病気の可能性を消していく。でも進行の早いものではその間にどんどん症状は進んでいきます。私の場合も最初は「うーん、滑舌はだれも歳と共に悪くなるもんだけどなー。他の症状は全く無いしねー。」と、気のせいだろうと言わんばかりでしたが、そうこうしているうちに滑舌の悪さは誤魔化しきれないほどになって、舌の動きも悪くなり、今まで何ともなかった腕の動きまで悪くなって、そこでようやく最終の診断です。多分お医者さまの中でも最初から可能性のある病名として上がってはいても、全ての条件が揃うまでは迂闊に宣告など出来ないという職務上の制約があるのでしょうね。そして、1日でも早く分かったからと言って治療法のある病気ではないということも。進行を抑えるかもしれないという薬がない訳ではないですがこれも確実ではないものです。「早くに見つかって良かったね」という癌とは違うものなのです。
わたしの知り合いの鍼灸気功の先生は、「そうして自分の頭の中で悪い方に悪い方に考えること自体が『気の病』で、体を病の方に持っていくものだ!」と戒めます。分かってます。でも、そんな事言ったって、何も考えてない人だって突然病気に襲われるじゃないですか〜、と反論したくなります。でも一方で、ひょっとしたら、凄く強い意志で、或いは何も考えない究極の無の境地でなら病気は吹き払えるものなのだろうか??と本気で考えてしまう部分が私の心のどこかにあります。
ま、その力が無かったから(?)今こうして病気に取り憑かれてしまった訳で・・・(笑)
こうなったら付き合うしかないのです。