日野原重明先生が105歳で逝かれましたね。人それぞれに定命(じょうめょう)があるのならその長さは羨んでもどうしようもないとして、正にそのいのち(持ち時間)を無駄無く人の為に使い切ったような生き方はお見事だったと思います。ご冥福をお祈りいたします。

病気が分かってから、体がまだちゃんと動くうちに身の回りの整理をしようとして少しずつしてきたつもりでしたが、結局完全には出来ませんでした。ちゃんとしている人もいるようですがえらいです。全部整理なんて出来ない!  明らかに処分しておいた方が良いもの、もう完全に必要ないものは何とか処分したのですが、例えばついこの前まで一生懸命取り組んでいた事に関連した資料やら本やら、お気に入りの服、もうこれから使わない事が明らかでも、それらを全ていっきに片付けてしまうのは今までの自分の軌跡を消してしまうようで何とも寂しくなったのです。キレイに片付いて何も無くなった部屋はそれはそれで断捨離の醍醐味を味わうには良いのかもしれないのですが、今の私にはまるで病室みたいに味気ないのではと思ったのも正直なところです。
結局そのままにしておいて「お手数ですが、この辺の物はそのまま処分してね!」と言い置くことにしました。
洋服も、かなり処分はしたのですが、ほとんどという訳にもいかず残っていたものを、今日は何回めかの断捨離日となりました。もう自分ではクローゼットの高い場所にも手が届かないし持ち上げられもしないのて、家族に手伝ってもらいながら、一つ一つ出して「これは?」「いらない」言葉は出ないので首を横に振るとポイとゴミ袋に入れる。「これは?」と聞かれてちょっと躊躇すると「うん、迷うならもうちょっと置いとこか。」そんな具合で短時間のあいだにゴミ袋3つほど。保留保留で結局は捨てるのだけど、諦めがつくまでに時間のかかる物もあるのです。震災も経験して物への執着心はほとんど無くなったと思っていたのに、いつの間にか積もる埃のように物は溜まっていくのですね。単なるモノではなくその一つ一つに記憶(思い出)がくっついているからめんどうです。何も持たずに生まれてきて、何も持たずにこの世を去るのに。いやだからこそこの世にいる間は好きな物に執着心を、かな。