昨日の「 ていねいの夕べ#29」ゲストの水野巡さん素敵😍‼️

会場はほとんど「超満員」とも呼べる状態で、盛り上がった😆👍💖
水野さんとは面識が薄かった上に私の心身の具合が悪くて、コラボステージの曲目は前もって決めてあって楽譜や音源も届いていたのに直前までろくな準備ができていなかったけど、それでも後ろ向きにならずにできる範囲の準備はしてたのが実って良かった☺️

水野さんのソロで、セルジューク朝の詩人オマール・ハイヤートによる『ルバイヤート』の訳詩に曲をつけたのを聴いてぶっ飛んだ‼️
私はたまたま、中高の頃に「岩波文庫の⭐︎一つは無条件で買っちゃう」というアホなことをやっていたので、いちおう存在は知っていたしひと通り読んだこともあったけれど、あの詩集に盛り込まれた、なんというか…斜陽の帝国の諦観?みたいな複雑な感情はガキンチョの私には到底理解不能だった。
それが、ほぼ半世紀近く経ってからこんな風に合点が行くとは⁉️すごい体験😆👍👍👍



コラボステージで取り組んだ曲目も、どれも味わい深いものだった。

『マチルダの歌』…オーストラリアでは「国民愛唱歌」とされているWalzing Matildaだけど、元々は放浪する移民が提げていたズダ袋をMatildaと呼んでいた、その悲哀あふれた旅の様子をブルージーに歌い上げる水野さんの演奏は、しびれるものがある❣️

『地獄に堕ちた男』…私にとってはこんな曲調の音楽ほとんどついていけるかどうか?…と尻込みしていたところもあったけど、なんか聞いたことある感じだなー、と思っていたら、本番のステージ上で水野さんから「この曲はクルト・ワイルの…」との発言が飛び出して、ああ、なるほど‼️と合点した💡
『三文オペラ』のミュージカルナンバーの雰囲気か(納得)

『コメディーダンス』…これはよねやまたかこさんの30年くらい前のオリジナル曲なんだけど、なんと水野さんがカバーしている、と‼️…でもぼんやりしている私には、なかなか把握できなかった(漂う置いてきぼり感…😢)
キーがBとG⁉️え?え?…と把握しきれないまま、いざ3人のリハーサルに臨んでみると、ここで痛感する「音楽って本質的に生身の身体から生み出されるもの」ということ。
そこに3人揃っている、その3人が同じ空気を震わせて一つの音楽を創り出す、…言葉にはしきれないけど、とにかく私はすっかり肚落ち=納得してしまった😅

私のオリジナル曲『ヒマラヤスギ』…に水野さんが入れてくれたギターも、柔らかく包み込むように入ってくれて、すごく嬉しかった。

演奏中にやることが変わっていったのが『贅沢な人生』。最初私は「変な遠慮」をしてしまって、普段やってるリードをほとんどやっていなかった。でも、本番で演奏しているうちに、真ん中辺かな?…ああ、私はいつも通りの音を出せば良いんだ、と、これは常連のお客さんの表情を見ているうちにはっと気づいたのだった。

アンコールで演奏した『明日は思い出して』、私のいつものレパートリーにいちばん近くて歌いやすそうだったのに、実はいちばんミスが多かった😓…でも、サビでハモれたからまあいいか‼️😅



あまりにも楽しかったので3人のコラボステージのことばかり長々書いてしまったけれど、前半=今回はいつもと違って最初から「よねやま×会津コラボ」からスタートとしたけれど、「いつも通り」以上の演奏ができたかも?
今の私のイチオシ『なりたいもの』では「この際だから」とよにやまさんに半ば無理やり間奏のギターソロまでやらせてしまった😅カッコよかったですよ❣️😆
「一五一会で作ったのに最も完全5度を避けようとした」名作(?自分で言うな)の『薄暮と薄明の歌』も、よねやまさんのコンサーティーナに更なるシェイプアップを求め、応えてくれた。
よねやまさんの『1年×30回』に入れる私の一五も、また少し変えてみた(これはもっとアレンジ固めたい)。

いつものように言葉数が増えれば増えるほど言いたいことからは離れていくけれど💦、それでもあれこれ言いたくなるような、実り大きなライブとなりました❣️😃💖👍