『洪水の前』を、観ている。今、休憩時間。
私は、この作品の劇判(録音)に、1983年に携わったことがある。
ピッタリ40年!…と言いたいところだけど、残念ながら41年目。
が、全曲克明に覚えている❣️
…と言っても、…の続きは長くなるな。
今は、ただただ、懐かしい‼️
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そして、終演後。
『山高谷深』や『わが青春の茉莉』…泣きながら一緒に歌っていた。
同時に、いくつかのことを考えた。

・そういえば、学生時代にこの作品を観たことは結局一度もなかったし、その後も機会はなく、今回が初めてだった。

・「満州」といえば、私の母(1920〜2001)やその父(私の祖父)にも深い縁(ゆかり)があるのだった。
祖父の仕事は満州の綿業を統制する組織の専務理事だった。満州での暮らしは豪勢だったようだ。
その祖父が地元業者と日本当局の板挟みになって自殺した後、当時20歳だった母は滿鐵に就職した。
戦後は着の身着のままで帰国した。

・私の父親(1910〜85)が、ちょうど…というか少し若いけれど張芳蘭や茉莉、ペロケダンサーズなどに近い世代だった。
実は私にとって『洪水の前』は、若かりし頃の父親の感じていた「時代」を知る上で、貴重な資料でもあるのだった。
そういえば、大学で「近代日本思想史」を履修したのと本作の劇伴に取り組んだのとは、近い時期だった。
その2年前に父は病に倒れて直に言葉を聞くことができなくなっていたので、その頃から私の「父を追う旅」が始まったのだろうと思う。

・私自身は本作も含めてその前に『俺たちは天使じゃない』、あと東京に行った先輩の演出で『なつのよのゆめ』(シェイクスピアだけどそこそこ翻案)、合計3本の劇伴に携わっただけで、それ以後はがっつりそういうものに取り組む機会を持たなかった。
あの頃一緒に創っていた中で今でも会話できる相手は、…かろうじて佐藤さんぐらいかな…

最後に、
・本作を30年ぶりに再演するというラサール石井さんの危機感を、共有します。
送り出しに来ていた彼にはそこまで伝えられなかったけれど、これからも×(旧ツヰッ夕ー)での活躍を応援しています!