いつの間にか「冬休みの自由研究」に(笑)

紅白歌合戦を録画したものを見直している。
紅白は、いっときアーティスティックになりすぎて視聴者がついていけなくなってから揺り返しで「大衆路線」に戻ったけれど、わかりやすい反面どこか虚しい気が……
「紅白=男女対抗」というのに無理があるような。
そんなことを音楽を評価する時に気にしたくはない。
もちろん「男だから」「女だから」ということからくる個性は歴然としているだろうけれど、それを「優劣」の判断基準になんかしてほしくはないし、中村中が殊更に紅組、というのも、そんなことしたら「相応しくない」と考えてしまう人たちを生み出すだけだろう。
美川憲一が最初に出てきてビミョーな演出していたけれど、実際「紅」と「白」の間を埋める存在だっているわけだし、それを「わたしたちピンク組よ~」なんてくくってほしくもないし。

紅白についての愚痴はこのくらいにして。

といっても、本文も愚痴みたいなものだけど。

紅白はある意味「オールジャンル」だし、伝統的に「演歌」の歌手がいっぱい出てくるので、嫌でも演歌をいっぱい聞かされるわけだけど。

うーん、つまらない。
なぜだ?








……あっ!!
思い出した!!

わたしが現実に演歌を聴いた時にネックになるのは、実は歌詞やメロディーの問題じゃなかった。


「アレンジ」だ。


あまりにもワンパターン。


ん?
でも、それ言ったら、「島唄」だって、三線と唄だけ、みたいなアレンジが大半じゃん。
たまに太鼓が入るくらいで。
ワンパターンと言えばこっちの方がよっぽどワンパターンじゃん。

でも。

何が違うんだろう?



古賀政夫に由来する、ギターやマンドリンのリフ。
ポピュラー系のリズム隊。
ラテンパーカッションは、日本でかつてラテン音楽が流行っていたことをふまえて。
ストリングスやブラスも入って、ゴージャスな編成。
和楽器も巧みに取り入れて。



……ちゃんと歴史的な裏付けのある音。
なのに何がいったい嫌いなんだろう?




うーん、どうやら、わたしにとってはそういった編成やアレンジが「中途半端」に思えてしまうようだ。
ちょうどワンパターンに陥った「フュージョン」を聴いてる時と同じような感覚。
「フュージョン」と呼ばれた音楽は、本当は新しい何かを生み出したくて、あえて新たなジャンルを名乗ったはずだった。
でも結局は、より新しいものは名前を変えたり他のジャンルに収斂していったりして、いつまでも「フュージョン」と名乗り続けていた人たちの音楽は、ワンパターンばかりが目立つようになってしまった(と思う、実はそれほどまでよくは知らない)。




うーん、それ言ったら、上々台風(しゃんしゃんたいふーん、ケータイでは文字変換ができず)だって、いろんな音楽の要素を取り入れているわけだし、「中途半端」って言えばそう言われても仕方ないのだろうけど……

こっちは、わたし的には「アリ」。

フュージョンは、半分くらいは「アリ」だけど、「ワンパターン」と感じたらアウト。

演歌は、……どうも「根本的にワンパターン」と聞こえてしまう。


まっ、当たり前といえば当たり前の話。
演歌が好きな人にとっては、まさにそのパターンこそが「心地よい」のだろうし。




う~ん、でも。

何か割り切れない気分。

このままじゃ「過去の音楽」になってしまうんじゃないか。

いや、ただ単なるわたしの個人的なわがままでしかないのだろう。

わたしがハマることができるようなアレンジの演歌って、ないのか。

アレンジが変わったら「演歌」とは呼ばれなくなってしまうのかも。

アリスのメンバーがソロで歌うのが、いつしか「演歌」の仲間入り(?)をしているのだけれど、それはそれで一時期演歌というジャンルに新しい風を吹き込んだとは思う。
しかし、それすらワンパターン化してしまい、アレンジのパターンも固定化してしまった。

個々のアーティストについてはそれでいいのかもしれない。

でも、誰か若い子が、もっと新しい……いや別に「新しい」のでなくてもいい。
わたしが「おぉっ」と思えるようなアレンジで「演歌」を歌ってはくれないだろうか。


たとえば、アコースティック楽器ばかりの伴奏で歌う演歌、とか。
ギター、カホン、フルートとかアコーディオンとかの上物。
こんなシンプルな編成で歌って、聞かせられる演歌。


……かなり長くなりそうなので、続く!