こんばんは。更新は気ままにやっていきますのであしからず。
続きです。
娘の病名で何より辛かったのは母乳をやめて、特殊ミルクのみをあげてください。と言われたことです。長男の時は完母だったので、自分の中では当たり前のように娘も母乳でと思っていました。
県の保健師さんがフォローに訪問来て下さった時、大泣きしたのを今でも覚えています。特殊ミルクが届くまで母乳をあげていましたが、常に泣いていて、謝っていました。
0ヶ月半ば過ぎにミルクをあげました。飲みはまあまあでした。
ネットや代謝異常の本を読んでいました。調べているともしかしたら、数値がおちたらいつかまた母乳あげれるかもれないという情報を見つけました。
その間、搾乳頑張っていました。1ヶ月後に総ホモシスチンの数値が基準値以下になり、先生からミルクか母乳を足していいとのお許しが出ました!思ったより早く母乳あげれることがめちゃくちゃ嬉しかったです。この離島暮らししている間、娘の病気が早めに分かって治療法があって発症するのを防ぐことが出来て本当に良かったじゃないかと言ってくれた主人、そばで支えてくれた県の保健師さん、常に電話で話を聞いてくれていた母のおかげでだいぶ心が軽くなりました。前向きに考えることができました。
娘が生後7ヶ月ぐらいの時に沖縄本島の転勤が決まり、代謝異常の専門医のいる大学付属病院に転院できました。今の主治医は話を聞いてくれるし、診察も丁寧だし、丁寧過ぎて待ち時間長いけど(笑)
とても素晴らしいドクターに出逢えることが出来て感謝です。
娘はミルク嫌いにさせないために離乳食は1歳からでした。 0歳の間はミルクと母乳と普通ミルクで成長しました。娘の成長は早く11ヶ月入る前にはあんよしていました。
ただ、体重があまり増えなかったのがこの当時の悩みです。
今月3歳になりますが、ことばも増えおままごとも上手で弟のお世話燃してくれるし、おませさんな可愛い娘。たんぱくの調整が難しい時もあり、採血の結果に一喜一憂する母ですが、娘の為にがんばらねば!
主治医から10年先の未来で遺伝子レベルでの治療法が確立するよ~と聞いたのでそれを糧に更に頑張る!
続きです。
娘の病名で何より辛かったのは母乳をやめて、特殊ミルクのみをあげてください。と言われたことです。長男の時は完母だったので、自分の中では当たり前のように娘も母乳でと思っていました。
県の保健師さんがフォローに訪問来て下さった時、大泣きしたのを今でも覚えています。特殊ミルクが届くまで母乳をあげていましたが、常に泣いていて、謝っていました。
0ヶ月半ば過ぎにミルクをあげました。飲みはまあまあでした。
ネットや代謝異常の本を読んでいました。調べているともしかしたら、数値がおちたらいつかまた母乳あげれるかもれないという情報を見つけました。
その間、搾乳頑張っていました。1ヶ月後に総ホモシスチンの数値が基準値以下になり、先生からミルクか母乳を足していいとのお許しが出ました!思ったより早く母乳あげれることがめちゃくちゃ嬉しかったです。この離島暮らししている間、娘の病気が早めに分かって治療法があって発症するのを防ぐことが出来て本当に良かったじゃないかと言ってくれた主人、そばで支えてくれた県の保健師さん、常に電話で話を聞いてくれていた母のおかげでだいぶ心が軽くなりました。前向きに考えることができました。
娘が生後7ヶ月ぐらいの時に沖縄本島の転勤が決まり、代謝異常の専門医のいる大学付属病院に転院できました。今の主治医は話を聞いてくれるし、診察も丁寧だし、丁寧過ぎて待ち時間長いけど(笑)
とても素晴らしいドクターに出逢えることが出来て感謝です。
娘はミルク嫌いにさせないために離乳食は1歳からでした。 0歳の間はミルクと母乳と普通ミルクで成長しました。娘の成長は早く11ヶ月入る前にはあんよしていました。
ただ、体重があまり増えなかったのがこの当時の悩みです。
今月3歳になりますが、ことばも増えおままごとも上手で弟のお世話燃してくれるし、おませさんな可愛い娘。たんぱくの調整が難しい時もあり、採血の結果に一喜一憂する母ですが、娘の為にがんばらねば!
主治医から10年先の未来で遺伝子レベルでの治療法が確立するよ~と聞いたのでそれを糧に更に頑張る!