・すごく綺麗な女の子に涙を奪われてしまった話
文章を書くのは結局は自己療養のための試みにすぎない。
村上春樹がそんなことを書いていたので、それに触発されて自己療養の試みとして文章を書いてみる。
大学3年生の時にすごく綺麗な女の子と知り合いになった。
3年生の頃はまだコントラバスを弾いていて、秋の定期演奏会のメインはフランクの交響曲ニ短調だった。
住んでいた場所は小田急線の生田駅で、駅の近くにあるバーでその子と知り合った。
年は一つ下で知り合った頃はたしか僕が20歳で彼女が19歳の時。
彼女は明治大学の生田キャンパスに通ってる子だった。
なんとなくバーで顔見知りになり、年が近いこともあって会話するようになった。
彼女はすごく綺麗で、すごく不安定な女の子だった。
かわいい女の子はたくさんいるし、綺麗な女の子もたくさんいるけれども彼女は別格という感じで、その不安定さと怖いくらいに整った顔立ちが印象的な人だった。
長い睫毛に綺麗な鼻筋と透き通った瞳に、びっくりするような白さの白目。
彼女には付き合っていた恋人がいたし、僕も恋人がいたので特に恋愛関係という感じではなかったけど、なんとなくウマが合うというか良い異性の友達という感じだった。
で、ある日、いつものバーで彼女に会ったらピアスをあけていた。
金の針金みたいなピアスで、それが形の整った色の白い耳にぶら下がってるのがとても似合っていた。
そして、その似合いすぎるピアスが揺れるたびに不吉な予言のようななんとも言えない落ち着きのなさを僕は感じた。
何かあるんだろうなと思った。でも、それはあえてお互い話題にしなかった。
ウマが合うし顔を合わせればお酒を飲みながら楽しく話せる。でも、なんとなく核心を突くようなことは話さないようにする距離感があった。
異性の友達というのは難しい。
なんでも話せる関係になることもあれば、お互いにあえて何も話さない距離感を取ってしまうこともある。
彼女との関係性は後者だった。
彼女と会うのは1週間に1回とか、10日に一辺くらいのペースだったと思う。
そして、彼女は会うたびにピアスが大きくなって、痛々しさも増していった。
彼女のその痛々しさの原因が、付き合っていた恋人なのか、家庭環境なのか、それとも大学生活なのかは分からない。
ある日いつものバーでお酒を一緒に飲んだ時に、なんとなく会話が途切れてお互いの目を覗き込んだ時があった。
時間にすれば多分5秒とかそれくらいだったと思うけれども、なんとも言えないすごく長い時間のように感じた。
ふわっと現実感がなくなってお互いが何かに吸い込まれるような感じたっだと思う。
目に吸い込まれて、それから目線を外した後にウチで飲みなおさないと言ってみた。
いいよ、と彼女は言った。
それから居酒屋を出て二人でスーパーに行ってお酒を買って、僕の家に行った。
お酒を買ったけれども、飲まなくていいよなという空気だった。
散らかった部屋について音楽をかけて、タバコを吸って一服したことを覚えている。
彼女はタバコを吸わない子だったけど、その時は一つ頂戴と言ってきたからキャスターの3ミリをあげて火をつけてあげた。
しばらく二人でタバコを吸った。タバコが彼女はよく似合った。
体にもピアスしてるけど見る?と彼女が言った。
見る、と答えた。
彼女が自分で服をめくってウエストを出すと、痛々しいピアスが目に入った。
それが、なぜか分からないけどとてもショッキングで、すごく傷ついたことをよく覚えている。
ふとピアスが埋め込まれた体に手が伸びた。
華奢な体に似合わず、彼女の体はすごく暖かかった。そしてその温かさとは対照的に自分の手はとても冷んやりとしていた。
しばらく触れてから手を離して、彼女はめくっていた服を元に戻した。
もう一本タバコを勧めて一緒に吸った。それから彼女は帰った。
それから夏合宿や強化練習で、しばらくバーに顔を出さない日が続いた。
多分3週間くらいしてからだったと思うけど、久しぶりにバーに顔を出した。
その日は彼女はいなかった。
それから、また週一くらいでバーに行ったけど彼女とは合わなかった。
最近、彼女こないですね、とバーのマスターに言ったらどきりとした顔をマスターはした。
何かあったんですか、と聞いた。
亡くなったらしいよとマスターは答えた。
自殺らしいよ、ともマスターは言った。
視界がグラグラした。世界がグラグラした。
そうなんですねと言ってから、話を変えてお酒を飲んだ。
すごく酔ってフラフラしてるけど、同時にすごく頭は冴えていた。
家について、タバコを吸った。
泣きそうだったけれども涙は出なかった。
あまりにも混乱すると涙は出ない。
心に穴が開いたようだった。というよりもまさしく空いたのだ。
彼女が自殺したという話を聞いて以来、ずっと心に穴は空きっぱなしだ。
欠けた心と一緒に、どうも感情の一部も持って行かれた気がする。
その日からいつもより世界は色あせて見えるし、太陽は冷たく月はよそよそしい。
その欠けた心を取り戻そうと今もしているけれども、埋めようと思ってもそれはいつまでも埋まらない。
酒を飲んだ帰り、一人でタバコを吸うと自殺してしまったらしい彼女を思い出す。
痛々しくてすごく綺麗な耳や体にピアスをあけた女の子。
いつか彼女に奪われた心のかけらが元に戻ればいいと思う。
今、彼女と一緒に吸ったキャスター3ミリに火をつけながらこの文章を書いている。
この文章が自己療養になるかは分からない。
なればいいと思う。
