間違いノート
先週末、宝塚を観に行って大いに刺激を受けた。受けた、んだけど、ね~。確定申告期の真っ只中に、わざわざTOKIOくんだりまで行ってそのためだけに宿泊までして観てきた訳ですよ。友人税理士達にドン引かれてもアシスタントの苦笑に直面しても(ほんと、ごめんね&どうもありがとう!)家族の冷ややかな視線を目の当たりにしても「いや、これで私、変われる気がする!」ぐらいな勢いで(さすがに口に出しては言わなかったけどw)ウキウキしていたのだが…。結論から言うと、「人は刺激では変わらない」。前々から薄々気付いてはいたが(苦笑)今回、私が身をもってこの仮説の正しさを立証することに成功した。Natureに載せてもいいぐらいの確かさだ。話は変わるが、小林麻央ちゃんがまだお元気だったころ、私は、毎日、彼女のブログを心待ちにしていた。彼女の紡ぐ文章に心が洗われる気がしたからだ。ブログにたまに出てくるお子さん達のことが気になって彼女が亡くなられた後、ご主人である海老蔵さんのブログを見るようになった。そこで私は初めて歌舞伎役者の「日常」を知ることとなる。もちろん外部に出すブログなのだから全部が全部、ありのままを発信している訳ではないだろう。そこに何らかの脚色が加えられているに違いない。ただ、彼のブログは、タイムログか?と驚くほど日に何度も何度も更新されているので、能天気な読者(私のことだがw)にとっては歌舞伎役者の日常を市原悦子ポジションで見ている気になる貴重なブログだwそのログ的ブログのおかげで彼の仕事がいかに過酷か、分刻みのスケジュールがどれほどストレスフルか、どのように気持ちを切り替えているのか、そのために日々、どれほど鍛錬しているか、そういったことを垣間見ることが出来た。偉大な人に出会い、憧れの感情を持つことがある。例えば今回、宝塚を観た私は東京宝塚劇場の階段を密かにタカラジェンヌになり切って背中の羽の重さを感じながら降りてみた。高倉健さんの任侠映画を観た後は皆が健さんになったかのごとく殺気立って映画館を後にする、と聞いたことがある。まさにその感覚だ。動いている他人を見ると、私達の脳は、自らが動いているときに活動する部分を活性化させるらしい。体操の内村航平さんなどは新しい技のお手本を見るだけでそれを習得できるほど己の能力を鍛えておられるのだという。その域に達するのは無理だとしても実際に憧れの人を目にすることは大事なことだと思う。知らなければ、夢に描くことだってできないから。けれど私たちの目が捉えるのはその「外側」だけであって、「内側」に流れる彼らの思考や、彼らの当たり前がインストールされる訳ではない。私は歌舞伎の世界を知らなかった。だから海老蔵さんの偉大さに気付かなかった。彼のブログを見て初めてプロとしての彼の凄みを知った。彼の「当たり前」を目にしたからである。今月から年間プログラムの会場版受講生にも当日の研修の録音音源が配布されることとなった。BGM的に流して聞いていて、あっ!と思った。私は鮒谷さんのお話の「側」だけ捉えて分かった気になっていたけれどその内側に流れるなんたるか、を全く理解せずにきているんじゃなかろうか、と。もしくは、抽象的な話の骨子を理解して満足しているが、それを己の行動基準のバージョンアップに生かす努力を怠っていた、といった方が適切か。話がコロコロ変わって申し訳ないのだが税理士受験生だったころの話を一つ。当時私は「間違いノート」なるものをつけていた。間違いノートの重要性は専門学校に通う税理士受験生なら耳にタコができるほど聞いている筈だ。GWが終わったあたりから専門学校では毎時間、模擬試験が行われていた(と、記憶しているけど、詳細は忘れちゃったw)当たり前だが模擬試験は全範囲から出題されている。間違った箇所はバラバラの分野だし、それぞれの分野の一部分である。けれど、そんなことはお構いなしに、それを淡々と記録していった。例えばこんな感じ。・昆虫の足は6本。クモは昆虫じゃない。・三重の県庁所在地は津 (大津じゃない)・5.15事件が先。2.26は4年後。・3単現にはs→ shで終わる単語はesに変わる。 (ほかにch、s、x、… がある)単元も事の重要さも一切考慮せず、なんでもかんでも放り込むようなイメージで間違った箇所と、ちょっとした注意点を書くだけ。あえて分野ごと、単元ごとに分けたりせず、大きなツボの中に片っ端からポンポン詰め込んでいく感じだ。これを毎試験前にざーっと目を通す。覚えようと意気込みながら見るのではなく、本当に、ざーっという感じで軽く見ていった。たまに「そう!そう! ここ、すぐ間違うんだよね!」という箇所があり、そういうときには一度目を閉じ頭の中で反芻する時間を持つ。でも、やることはそれぐらいで、またすぐに次の間違い記述に戻っていった。人それぞれにやり方はあるだろうが私はこのやり方を好んで使った。自分の中にある程度の体系化が出来ているものについてはランダムに投げ込んでも然るべき場所に落ち着くだろうと思ったし、細かなほころびを片っ端から無秩序に直していく作業は身体全体にかけ湯をしている感覚でそれは身体全体に「水」を染み込ませる唯一の方法だと考えていた。未だにどうしてそのように考えたのか自分の考えなのに、イマイチそのからくりはよく理解できない(苦笑)。けれど、この方法は私の試験対策には大変有効だったことだけは間違いない。さて不用意に間延びしたブログもそろそろ畳む時間になってきたw確定申告時期にブログに時間を使いすぎるのは大いに危険だ。呑気な私は、いつも2月にぼーっとしすぎて3月になってから号泣する羽目になる。話を元に戻そう。年間プログラムの音源を聞いていて自分がなぜ、思うように変われていないのかに気付いた、と書いた。私は内容の理解をしているつもりでつるつるの外側だけしか見ていなかったのだ。例えば海老蔵さんのように逐一、ブログで行動ログを発信してくれたらもうちょっと理解しやすいかもしれないけれど、世の賢人達はそこまでSNS漬けにはなっていない。とするならば、今、私が手にしているものをもっと注意深く観察するより他、仕方ない。年間プログラム音源でいうならば、鮒谷さんが発する言葉のちょっとした部分から、鮒谷さんの行動指針や判断基準を読み出し、それを私の間違いノートにランダムに記載して日々、ザーッと目を通す、という作業が必要となる。毎日、毎日、言葉のかけ湯をして自分の体を新しい言葉の水でひたひたにしてしまう。やがてその水が体内で有機的な結びつきを始めれば私の日常もガタンと一つ動き始めるのではなかろうか。他の受講生が当たり前にしていたであろうことに今頃気付くという愚かさよま、いいの、いいの。気付いただけ、昨日の私よりは進歩している筈だからそれはそれでめでたいことだ。 多分