私には何名かの忘れられない恩師がいる。
そのうちの1人が高校時代の英語のW先生だ。
W先生は他の先生とはちょっと違って、
よく言えば、おおらか
悪く言えば、いい加減、というか適当で、
生徒からは賛否両論だった。
けれど私の目にはとても骨太でフェアな人に見え、
私はどの先生よりW先生を信頼していた。
先生が着任して、
先生はおもむろに私たちの印象をこう評した。
「君たちには0か100しかない。
100になりそうなことだったらやるけれど
100になる確信が持てないことについては
やらないと言う選択肢を選ぶ。」
先生の言わんとしていることに心当たりがあったから、
この言葉は私の心にずっと残った。
いまだにこの言葉が何度か頭をよぎる。
私は何かをやろうとする時
それが本当に達成できるのか
すなわち100になるのかどうかを
無意識のうちに探ってしまう。
やりたい事はもう決まっているのに
自分にはできないんじゃないかと思って
誰にも言えずにいる。
ここまで書き進んで
私は昔から全然変わってないなぁ
と思い至る。
実は私は中学1年生の頃からずっと
留学がしたくてたまらなかった。
アメリカという国に憧れていたのだ。
私の学校は英語教育に一家言ある学校で
中学1年生からすべての授業は英語で行われていた。
まるで赤ちゃんが言葉を覚えるかのように
英語を教えてもらった。
英語科の先生は、皆、この英語教育に自信を持っていた。
というのも当校の生徒の英語力が
他校に比べて高いものだったからだ。
けれど私にはこの方法は全く合わなかった。
中学1年生で早々に英語が嫌いになって
以後、英語はずっと苦手科目となる。
だからだろうか、
それもアメリカに淡い憧れを持つようになったのだ
私の母校は高校3年生からAFSでの留学を推奨している。
高校3年の秋からの留学だから、
留学を終えて帰国したら大学1年生の夏になるのだが、
そのまま系列の大学の英文科に入
留年せずとも留学出来る仕組だ。
私の仲の良い友人もAFSで留学した。
私だって留学したいと思ったけれど
自分の英語力のなさを知っていたから
恐ろしくて自分も留学に憧れている
とは口が裂けても言えなかった。
そのままエスカレーター式に系列の大学に進み、
ずっとアメリカに憧れを持ったまま大学生活を送った。
私の親友も同じ大学だったのだが、
彼女は英語が得意で、
彼女と一緒なら心強いし、
思い出作りを兼ねて
短期の語学留学をし
彼女を口説いた。
当時はまだネットも今ほど普及していなかったので
どうやっ
というのもW先生ご自身が
留学経験者であることを知って
W先生は親身に相談に乗ってくださり、
せっかくだからホームステイもさせてもらうといいよと
手配までし
このアメリカ人のお母さんはとてもパワフルな人で、
単なる語学留学生だったのに、
私達が大学の授業を無償で受けることが出来るよう
交渉して下さった。
これで念願だった憧れのキャンパスライフの出来上がり。
思い出作りとしては最高だった。
すっかり満足していた私たちに、
ある日、お母さんが尋ねた。
「ところでいつアメリカには戻ってくるの?」
お母さんは私たちが本格的に留学すると考えていて、
そのときは気持ちも高揚していたので、私は
「
私にしてみれば清水の舞台から飛び降りるような
一大宣言である。
そう答えた自分を、少々誇らしく感じたほどだった。
けれどお母さんは厳しい表情できっぱりと言った。
「3年後に、なんて言ってたら絶対やらない。
3年の間にその情熱は失われてしまう。
どうして3年待たない
大学卒業したらすぐにいらっしゃい。」
ずっと憧れていたアメリカにいて、
ちょっと舞い上がっていた部分もあったんだろうと思う。
友人も一緒だったから尚更だった。
2人でものすごく興奮して
留学
とはしゃいだのを覚えている。
結局、友人はご両親の反対にあって留学は叶わなかった。
税理士と言う職業につき、
人生とは不思議なものである。
私はずっと留学がしたいと思っていたけれど、
けれど現地に行ってみて、
楽しそうにキャンパスライフを送る学生を見て
自分もその中に入ってみたくて
その気になった。
とはいえ、現実は甘くなかった。
実際留学してからは、
自分の英語力のなさを痛感し、軽く絶望した。
予想に反し楽しいキャンパスライフなど全くなく、
図書館にこもって本を読み続ける日々を過ごした。
短期留学はお遊びみたいなものだから、
ウキウキしていて、
それでも一旦渦中に入れば、
案外、どうにかなるもので、
入学当初からは想像だに出来ない快挙だ(苦笑)。
入学当初はアサイメントの本を読んでも
1行に知らない単語が3つもあって、
期日までに単語を調べるので精一杯で
内容など、ほとんど何も分からなかった。
私は授業の前に教授の元を訪ね
このページの意味がわからない、
このページの意味も分からない、
このページはもっと分からない、
このページはさっぱり分からない、
と言って、ほとんど全ページの説明を要求した。
モンスタースチューデントだ(苦笑)。
そのうち先生も根負けして、
「あぁ、そこは重要じゃないからいらない」
とか
「あ、そこは大事だけど、質問しなくていいの?」
とか言って
ショートカット的学びを推奨してくれるようになったw。
映画を観て、ペーパーを書け、という課題があった。
ところが肝心の映画がさっぱり分からない。
仕方ないので寮に戻ってから
友人に頼んで映画をレンタルして
一緒に観てもらって説明してもらうことにした。
あまりにつまらない、でも有名な映画だったみたいで
友人は途中まで見て
「この映画、一度見たことあるし、
今見たのでだいたいのところは理解したよ。
でも、説明するのとか面倒くさいから、
ペーパー、代わりに書いてあげる。
だからさぁ、さっさとペーパー終えて、
一緒にご飯に行こうよ。
お腹すいちゃったよ~。」
と言ってくれて、代筆してくれたこともあった。
例を出せばキリがない。
私はどうしようもないポンコツだったけど、
ポンコツだったからこそ
周りの人に助けてもらわないと生きていけなくて
だから必死に助けて下さいとお願いしたら、
みんな助けてくれた。
助けてくれたのは友人だけじゃない。
今日、初めてあった人のよさそうな子に
事情を話してノートを借りたこともあった。
私は見ず知らずの何人もの人に
助けられて留学を終えた。
「案ずるより産むか易し」とは有名なことわざだが
本当にそうだな、と思う。
自分が何も持ち合わせていないと
謙虚に認識する。
それは自己卑下とは違う。
その上で、やりたいことをやり遂げるために
必要な手段を講じていく。
他者の助けを得て目的を遂げるのも
必要な手段の一つだ。
人生はなるようにしかならない。
でも、なるようにはなる、
というのが私の座右の銘なのだが(笑)
それを座右の銘にしているのなら、
なぜ「0か100か」の前で立ち止まってしまうのだろう?
座右の銘と
自分の行動指針とに
整合性が取れていない。
恐らくこの手の自己矛盾が
まだ沢山私の中に眠っているのだと思う。
行動指針を高位の願いと
統合していく作業が
ブログを書きつづけることなのかもしれない。
案ずるより産むが易し。
0か100か、ではなく、0でも100でも。
なるようにしかならない。
でも、なるようにはなる。
W先生、元気かな?