「知の体力」を漸く読了。
帰りの電車の中で読んだページがとても印象深くて
電車を降りても本を閉じることが出来ずに
ホームのベンチで暫し読み続けた。
以下、印象に残ったもの2ケ所抜粋
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相談されるということは、答えを与えてくれる人間として、
自分が択ばれたということである。
期待をされている。
だから相手の悩みに的確な答えを出してやらなければと緊張する。
親の沽券とか教師の矜持とかという厄介なものが顔をだし、
時に高邁な、それでいて内容空疎な助言になったりする。
すばやく的確な答えを相手に示してやらなければと焦ると、
相手の悩みをじっくり聞く前に、
つい自分の考えを述べてしまいやすい。
悩みの奥にあるものが何かを把握する前に出す結論は、
自分のなかにすでにある思考の枠組みを押し付けるだけのものであって、
相手の悩みに個別に対応したものではない。
そんな言葉は、たいてい相談した相手に届かない。
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思いつく限りのことは話してしまって、
これ以上訴えたい内容が思い浮かばない、
泣き言を言い続ける言葉がなくなったという状態になった時、
人は初めて他人の言葉を受け容れる空間を持つことができる。
苦しい思いばかりがいっぱいに詰まってしまった心には、
他からの言葉や示唆を受け容れる空間がないのである。
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両方共、私が苦手な「聴く」ということに関しての記述。
「聴く」はなにもおしゃべりのときだけでなく、
実はメールなどの文章においても必要なのだ。
わざわざこう書くからには・・・
えぇ、えぇ、やらかしましたよ・・・。
知り合いが海外赴任すると聞いたので
メッセンジャーで、おめでとうメッセージを送った。
彼がずっとアメリカに転勤したがっていたのを知っていたし、
上司にその旨、アピールしているらしきことも
彼のブログを読んで知っていたから
その思いが報われたのだな、と思って
お祝いを伝えたくなったからだ。
ところが、実際の赴任地は第一希望のアメリカではなく、
タイであったこと、
急な発表だったため、楽しみにしていたお正月のイベントを
諦めざるを得ないこと、
などが書いてあり、
私はさっと一読して、勝手に彼が気落ちしているものと感じ
「成功者の自伝など読むと、
往々にして自分の希望とは違う方向での経験が
その後の飛躍的な発展の基礎となっていたいりするじゃないですか!」
みたいな言葉で励ましにかかったのだ。
彼はオトナなので、
「ありがとうございます」
の一言だけ返してくれたが、
その一言に
「うっさいんじゃ! ボケ!」感が、
めちゃめちゃ込められていて(←多分)
穴が在ったら入りたくなった。
正に「高邁な、けれども内容空疎な」コメントであった。
著者の永田和宏さんが別の場所で、
相談を受けた人間は、斜め上からそれらしい言葉で
その場をまとめようとしてしまうが、
真に大事なことは
「相手の言葉に寄り添いながら
海抜ゼロメートルの位置から」
相手の話を聞くことであり、
そのように自分の「思考傾向を意識化」することが
肝要だと述べておられる。
職業柄、何か気の利いたことを言わねば病にかかっていて、
おまけに、そういう手垢のついた「えぇ言葉」というのは
日常にあふれかえっているから
参照するのに事欠かず、
すぐにスルスル口から滑り出てくれて、
偉い先生が言ったことばを
おうむ返しのように繰り返して
一人で悦に入ったりすることが多い。
だけど、それって全然相手には伝わらないし、
もっと悪いことに、
我々税理士はお客さんに信頼してもらってなんぼ、なのに、
お客さんは心の中で静かに
「うっさいんじゃ! ボケ!」
って言ってるんだよね・・・。
ちょっと騒動になっているM-1だけれど(笑)
そのM-1の結果について、
中川家の剛くんがファイナリスト3人について
ラジオでコメントしているのが
大変印象深かった。
「霜降り明星だけやねんよな、自分の心の中から喋ってんのが」
正直、私にはさっぱり分からない。
ホントにそうなのか、どうか。
だけど、剛くんの発言に礼二も同意していたから
プロからみたらそうなんだろうと思う。
自分が本当に言いたいことではなく
借りてきている言葉だから
言いたいことも伝わらないし
それが敗因(のひとつ)だと述べていた。
エライ先生の言葉を拝借して
意気揚々としゃべっている私は
剛くんの発言を聞いて
また凹むことになる。
あぁ、M-1でも優勝できない・・・(違)
分かったような言葉で
キレイにマルッと風呂敷に包んで終わらせない。
誰かの言葉でタグつけされた事例を披露して
いい気になったりしない。
自分の心の言葉がでてくるまで
海抜0メートル地点で、
隣に座って一緒に景色を見ながら
相手の話に耳を傾けたいと思う。
■■■ 今日のまとめ ■■■
何かを答えなくてはならない、というプレッシャーから
相手の話をよく聞きもせず、
すぐに借りものの高邁な言葉を吐いて
自己満足するのではなく、
相手の話をただ聞いて、
うなづくだけでも
十分に救いの手を差しのべていることになる。
十分聞いた後なら、
例え稚拙な言葉であったとしても
それが本当に伝えたい自分の言葉であれば、
岩の割れ目に水が染み込むように
私の思いは伝わる筈である。