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逆手のじゃっくばうあー

逆手で投げるダーツ成長記
 ブログというか、要はダーツの成長過程で感じたことを思い出すための『俺様メモ』なわけです


 メドレー数回と、
 特殊プラクティス



理想の指離れになる時、
ピタリとハマるその瞬間というものがあると思う

しかし、
その“ピタリとハマる”という抽象的な表現は、
人それぞれによって感覚は違うだろう

問題は、
その“ピタリ”の部分がどんな要因から成り立っているのか、
逆に、“ピタリ”としない場面では、
何がそれを妨げる要因になっているのか


自分の
問題点1にこれがある

テイクバックでの過去イメージの再出現
一貫としてきたチェンジでのイメージ固定
これが、投げ続けることによってふと芽を出す
現在あるべき形の自然に投げるという行為に対して、
違うものが出てきた場合、
“そうではない”という意識
これが、意識を他のものに使ってしまうがために、
身体のいたるところが硬くなってくる
結果、ちぐはぐな動きになり、
それが違和感と感じて全体を狂わせてくる


問題点2
“ピタリ”とは、
大雑把に言ってしまえば、
自信である

なにかおかしいような気がするけれど、
とりあえず投げてみよう
振ってみよう
どうなるかは出てのお楽しみ

これは“ピタリ”の状況ではない
“探り”の投げである

“探り”の投げであるから、
当然“狙い”などとは程遠い行為であり、
それに結果を求めることはおかしな話

そういった“探り”になるような投げ状態では、
“ピタリ感”は味わえないし、感じられない

突如として現れる“ピタリ感”
それを遠ざけてしまう“何か”

それは、グリップやスローやフォームに関してもあるのだろうけれど、
現在の最重要課題として挙げている“指離れ”
ここの関係をなんとかしたいものである



 去る某日、
 久しく実機で投げるチャンスがやってきた


今回は、
逆手のブログでお馴染みのお客さんが、
こちらにやって来るということで、
実機を使っての演習ということとなった


家練では、そこそこ毎日のように投げていたのだけれど、
如何せん、5~15分のPDC養成ギプスオンリ
さてどうなるのか


しかし意外にも、
よく出来ましたの結果


最近よく思うのが、
調子の良し悪しというものはあまりなく、
単純に自分が思うことが出来ていなければ、
それは、実力不足だからこその結果であり、
そこに不調という理由をもってくることはナンセンスであるということ

言葉だけをみれば、
なんだ当たり前のことじゃない
となるけれど、

実際、多くの未熟なプレイヤーは、
思い通りのプレイを出来ない理由をここにもってくる

出来ないのであれば、
出来るようにする
それが上達であり、成長ということになる

出来ない理由をたくさん思い浮かべ、
それを言葉や文字にすることだけでは前には進まない
どんなトッププレイヤーであっても、
始めは誰しも未熟ではあった
しかし、それを結果に繋げるための苦い何かを越え、
そして、満足指数を上げてきたのだから
そこにレベルの差が生まれるのは必然であり、
何ら落胆をする必要もない
現実を受け止めるということが最も重要な点になる


さて、
前述の“良く出来ましたの結果”

具体的な話で進めると、
家練と実機での差をほとんど感じずに、
それなりの結果を出せたというところ

もちろん、自分的ダメな部分は随所に見られ、
その克服に何が必要なのかという部分もはっきりとしていた

最大の課題となる部分、
“指離れ”

数字的、勝負的な部分での結果を求めるのならば、
身体(指)が思うようにしてやれば良い
人間の身体というものは、そういったセンスを持っているのだから、
それに従うことで、ある程度の結果は残せてくる

しかし、
もっと将来的な部分を見据えて行動をしていくとなると、
その誤魔化しの積み重ねが、いずれ悪癖となり、
自らを苦しめていくこととなってくる
そして結果、振り出しに戻るという選択肢も見えてくる
それを理解しているはずだからこそ、
今やるべきことを、徹底をしてやらなければならない
やり続けなければならない

そういった後押し的な具体例もあったことで、
実機でのプラクティスは有意義なものとなったと思う



あなた
ワインを飲むとは
どういうことだと
思う?


 ワインを・・・
 ですか?





 雨と
 太陽を
 飲むこと・・・


雨と太陽?


 例えば
 1945年の
 シャトー・ムートン・
 ロートシルト

 戦いが終わった
 1945年
 昭和20年

 ある者にとって
 それは戦争が終わり
 開放された兵士が
 家族の元に帰る
 喜びの記憶

 そして
 ある者にとって
 それは

 永遠に失われて
 返らぬ悲しみの
 記憶


 喜びと
 悲しみ

 そのどちらの
 上にも
 降った雨と
 照らした
 太陽が

 ブドウの樹を
 介し
 ワインとなった

 だから
 雨と太陽・・・



なるほど
それは45年の
ムートンのような
グレート・ヴィンテージ
だからこそいえる
神話ですよね



 そうで
 しょうか

 ある人にとっては
 飲めないワインは価値がなく

 でも
 ある人にとっては
 飲めなくなるほどの
 長い間
 忘れられぬ時を
 共に生きたからこそ
 価値がある



 水に戻った
 ワインは
 天に昇り

 雨となって
 地を潤し

 再び
 葡萄の樹を育み
 新たな命に
 姿を変える

 ワインという
 命の循環から
 見れば

 その飲み頃や
 味のピークなんて
 人間の高慢に
 すぎないのかも
 しれません



ありがとう
・・・きっとあなたなら
このワインの価値が
わかってくれると
思っていたわ



価値?
え じゃあ
このワイン 本当は
高いんですか?



あなたには
きっと まだ
わからないわね


でも・・・・・・

ワインは その価値を
わかってくれる者に
とってだけ
価値がある


・・・・・・それでいいの






ソムリエール/松井 勝法