カリスマ指導
俺がアメブロに籍を置いて、ダーツブログを書き始め、
多くの方と交流ができ、
たくさんのエントリーを拝見させてもらいました
その中でも、
これ というお気に入りのエントリーがあります
一番のお気に入りエントリーです
ある意味、このエントリーがあったからこそ、
目標達成後の虚脱感が芽生えなかったのだと思う
これが無かったらブログを続けていたかな
寅18さん
寅の成長日記
[師匠の師匠]
http://ameblo.jp/tora18/entry-10277816775.html
逆手のブログを初期の頃から閲覧をしている方ならご存知でしょう
これが始めての紹介でもないですし、
寅18さんは数回ほど俺のブログにも来られました
なぜこのエントリーがお気に入りなのかというと、
基本、寅18さんのブログで書かれている内容は、
実は俺が書きたかった内容でもあるんです
目標を定めて、
それに向かって、
自分の苦悩を綴りたい
ブログにそれをメモとして残したい
そんな気持ちが大きかったです
しかし、
思ったより順調に事が運び、
自分が描いたプランがピシリとハマった
今までやってきた、
今までトライをしてきた何よりも、
ダーツはトライがし易い
結果云々よりも、
とことん挑戦ができる
これがダーツをトライする上での気持ちだった
他に挑戦をしてきたモノのほとんどが、
時間やお金、体力にものを言わせないと、
中々結果に結びつけられない
そのひとつをやるにしても、
一日の内、数時間しかトライができないもの、
長距離の移動が求められるもの、
金銭的にその限度が見えるもの、
生か死が付きまとうもの、
そうでなくとも、身体的に障害が付き纏うもの
戦う内容以外の要素が多すぎて、
核となるそのモノ自体に没頭ができない
その点、ダーツは簡単だ
先ず、近所にそのスポットがあれば良い
気になることがあれば、思いついたその時、
それが真夜中でも納得のいくまでその環境に居られる
金銭面にしても、
家にダーツの環境を作れば、そうたいそうな費用はかからない
外に出て、店に行ったところで、
ダーツだけを楽しむのであれば、そんなにはかからない
一万円も使えば、十分過ぎるほど楽しめ、納得ができる
また、肉体的にも精神的にも追い詰められない
なぜなら、ダーツを飛ばす行為に何かしらのトレーニングは特別必要としないから
そしてなにより、“死ぬ”“重症”というキーワードとはほぼ無縁であること
今までトライをしてきたことに比べれば、
これほどリラックス状態で臨めるものはない
もちろん、
究極の頂を求める
生活までもそれに染まる
このような視点からダーツを捉えると、
これはまた違ったものになるだろう
近所のダーツスポットで投げ続けていても頂は見えない
遠征や、道具に対するこだわりを持つレベルに達すれば、
当然その費用もかさむ
頂を目指す上で、
過度のストレスも当然のごとく受け入れなければならないだろう
それに伴う、生活、人生、一生、
これもまた言い方を変えれば、“生”と“死”なのかもしれない
しかし、俺がダーツに望んだものはそれとは違う
誰にでも成れるレベル
日常に負担を掛けない
身体に負担を掛けない
人生に負荷を掛けない
それでいて、ダーツをほどほどに楽しめるレベル
これが今の俺レベル
さて、寅18さんのエントリーに戻ろう
先程紹介をしたエントリーであるこれ
[師匠の師匠]
http://ameblo.jp/tora18/entry-10277816775.html
なんといっても最高のフレーズ
このエントリーの要となる部分
それがこちら
>俺も投げようとしたら
>『そんな靴でダーツやるの?、履き替えてきて!』
これを読んだ瞬間、
クスッと笑ってしまった
しかしすぐに何かジワジワと効いてくるものがあった
そうそう、これこれ
今の世の中、仕事にしても学業にしても、
教えられる側の姿勢や考え方というものが以前と大分違う
これについては今回は特別重要な点ではないので省略をする
今回注目をした点はここ
教える側のスタンス
先程のフレーズ
なかなか言える言葉じゃないですよね
いや、言うのは簡単
でも、その後の保障がない 笑
「え?なにこいつ?」
「何を偉そうに?」
そうなった時点で終了です
でも、それでも関係ないんですよね
そのような気持ちにしか受け止められないのであれば、
そこから一歩でも前に進むことすらできないことがわかる
いずれ飽きてやめてしまうようなタイプの人間と、
最初からわかっただけ良い話なわけです
無駄な労力や神経を使わずに済みます
一番大事な部分は、
その師匠の師匠である方が、
自分にとってのダーツというものをとても大事にしている
そんな大事な人生の一部でもあるものに対して、
そのようないい加減な姿勢で取り組んでほしくない
自分に教わるなら、それなりの覚悟は出来てるんだろうな?
そういった挨拶のようにも感じられる
それを受けて、彼は彼女はどう覚悟を決められるか
そこの心理戦
そのやりとりがこのワンフレーズに凝縮されていて、
俺の心を揺さぶった
その後、
師匠の師匠は、よくあるダーツレクチャーとは異なることを提言する
“こうやれば上手く出来るよ”ではないのだ
「やれ」
「これを、やれ」
「俺の言ったことを、やれ」
ダーツが上手くなるための理由はそこにはない
「やれ」を「やります」で返すだけの話
仮にここで、
「これをやるとダーツが上手くなるんですか?」と聞いた場合、
恐らく返ってくるであろう言葉は、
「いいから、やれ」じゃないだろうか 笑
「おまえにその説明をしてわかるのか?理解ができるのか?」
「一言喋る暇があれば、ティッシュを10個投げろ」
そんな気がする
上手くなるための“理由”は欲しい
“結果”同様に“理由”が欲しい
“理由”がなければやれない
“理由”がなければやらない
たしかに“理由”という“納得”がほしい
しかし、
学生時代に、勉強をすると将来に役立つというだけで学んだのか?
九九を覚えたからそれが将来に役立つと確信をその当時持てていたのか?
よっぽど優秀な者でない限り、
ほとんどの人が“学”をやらされていたのではないか
社会人として、会社に入り、仕事を覚えさせられる
上司や先輩に“何かやれ”“これを覚えろ”と言われ、
その都度、その理由の説明を求めるのか
また、その理由や納得が無ければ“やらないのか”
そう考えてみれば、ダーツの上達も同じ
自分から多くを吸収出来る者は、使われる側には立たず、
自ら仕事を起こすだろう
そうではない者、ここでいうダーツを自ら上達のレールに乗せられない層
この方々は、前述からの流れでいうところの、
上司や先輩、または、その分野の専門的な方々に教えを乞うことになる
その教えられる立場の人間の姿勢
“理由”や“納得”は特別重要ではないのだ
それらは、追って付いてくるものであって、
本人がやることをやっていれば、それは結果として表れる
それが良い結果なのか、悪い結果なのかは別に
ダーツが上手くならない理由を探すことは大事だ
しかしそれ以上に、
ダーツが上手くなる術を探す
家にダーツボードが無ければダーツが上手くならないのか
お金が無くてダーツボードが買えなければやらなくていいのか
ダーツボードが自宅に無いことを嘆くよりも、
先ずは行動
行動が無くては、結果も無い
結果は、実行をした結果なのだ
ダーツbar 寅
http://ameblo.jp/tora18/entry-10335627695.html
パワーアップ
http://ameblo.jp/tora18/entry-10335647666.html
また、寅18さんの人間身をここでも知ることが出来る
引退
http://ameblo.jp/tora18/entry-10310905921.html
前回のブログ
http://ameblo.jp/tora18/entry-10312264433.html
いいんです 笑
真剣と、楽しみの切り替え
こういうところに胸を打たれるわけです
こんな楽しいブログをありがとう
寅18さんのブログを初めて知った方は、
エントリーの最初から順に読み進めるのがお勧めです
エントリー数はそう多くはないのでサラっと読み終えるでしょう
で、彼はどうしたのかしら