逆手のじゃっくばうあー ・ ひよこ塾
この二つのノウハウの一部を、一人の男に直に伝えてみた
ここ一、ニヶ月の話、
フェニのレーティングで10前後の男性である
上手くなりたい、強くなりたいという気持ちは強いほうだと感じた
ほぼ毎日ホームショップに通い、
開店と同時にマシンイン
丁寧に丁寧にプラクティスゲームをこなしている
以前からその様子は眺めていたのだけれど、
彼に足りないのは、爆発的な何かであった
今のまま、一年でも二年でもダーツを続けていれば、
それなりには上達をするのかな
そんな感じの人物
フォームもキッチリとしていて、特別な駄目出しの必要も無く取れる
スローに関しては、多少弱い感じもするのだけれども、
それ以上に駄目と思われる人は他にたくさん居る
とりあえずは“しっかり投げる”だけに集中が出来ればもっと伸びそうだ
そのような状況下、
一言二言の“こうだったらもっと良くなりそうだね”に彼は耳を傾けてきた
以前にエントリーをした、
いじられた女
http://ameblo.jp/jackdarts/entry-10494599489.html
これとは真逆のリアクションと言ってよい
その時、俺はふと思った
“ひよこ塾”や“6秒”についてのことを、
直に伝承をした場合にどうなるのか?
また、それによってどのようなことが起きるのか?
これを確かめるチャンスだと感じた
そもそも、
“ひよこ塾”や“6秒”は、自分の中の利き手という師匠が、
俺自身に直接語りかけ、それを100%で逆手が伝承をしたに過ぎない
そこに言い訳も逃げもなく、“やるべきことをやる”
これに徹底をしてきただけの話である
さて、
その初となる、未知のポテンシャルの彼はどのような運命を辿るのか
今回のエントリーで注目をするのがこれだ
“6秒”
早速やらせてみた
その感想の結論からいうと、
「いい!いいっすね!」だ
気持ちよく腕が振れるようになって、
結果的にリラックスが出来るとのこと
そしてなにより、プラクティスでやってもらった1501が凄く、
トンとハットの連続であった
今までにこれだけ集中をしてブルを射止めたことはないと話していた
見ているこちら側も、
これまではなんだったのだろうと不思議な気持ちにもなった
彼はこの“6秒”を練習に取り入れると言った
そして、リフレッシュのための“6秒”も伝えたので、それも同じくすると
ここまでは、良い方向の流れである
良いというのは、“6秒”を取り入れたことではなく、
自分にプラスとなる“何か”に気づき、
燃料を得たカタチとなっていることだ
それが練習でのモチベーションアップにも繋がり、
“6秒”云々ではなく、前へ進むための足掛かりになっているということ
さて、問題はここから
その後、彼はどのような練習を送っているのだろうか
1) “6秒”をそのまま継続をしている
2) “6秒”に発展をさせた自分なりのプラクティスをこなしている
3) “6秒?”やっていない
そう、3) である
俺が見ている範囲での話、
伝える前と何ら変わった様子がない
やっていることも“前”の状態であるし、
数字的なレベルの部分もほとんど変化が見られない
一月以上の時間が経過をしているのにこの状態である
もしかしたら、俺が見ていないところで、
多少は“6秒”を試しているのかもしれない
しかし、練習でも対戦でもその様子をハッキリとわかるカタチでは行ってはいない
“ハッキリ”とは、
わかりやすく例えると、
逆手のこのブログエントリーにもあるように、
俺の場合は、ひとつの物事を明確に表現をしてきた
それは、練習であっても、対戦であっても、
そこに勝ち負けが出てしまう場面であっても、
強い意思で、相手に負けても自分にだけは負けないと思い続けてきた
必要な場面では“6秒”であった
やっている“つもり”ほど意味のないモノはない
だったらやらないほうがよっぽどマシなのだ
他にもやるべきことは山ほどあり、上達の鍵はそこらに落ちている
恐らく、今、彼に“6秒”どうした?と聞けば、
「たまにやってます」と答えるだろう
「もうやめました」とは言えない性格であることは付き合い上でわかる
要するに、彼の中で“6秒”というものが、
それほど重要なポジションにないことが伺える
ここで気になるのは、
“6秒”をやり始めた頃、彼は何を感じ取ったのかということ
そして、それをどう今後につなげていくかを考えたのか
その場で言われて上手く出来る人間は不思議と多い
しかし、自分ひとりになった時、その考えの幅を作り出すことが出来なくなる
この“6秒”にしても、
投げ始めの調子良さがいつまでも続くのであれば、
もうそのままその調子で6秒だけをやり続ければいいのだ
現実はそうはならない
同じ6秒で今日も明日もプレイをしてみる
同じ結果にはならない
6秒で入る時もあれば、6秒でも入らない時もある
そうなると、
『6秒?結局これも、
特別上手くなるための魔法ではないんだな』
そう思うようになり、結果やめてしまう
これはとても簡単な心理だ
結果が出ると思うから、それを続けようと思う
結果が出ないと気づけば、それは必要のないものと感じる
当然である
しかしちょっとマテ
“6秒”は、ダーツを狙い通りに入れるためのものだったのか?
“6秒”は、狙わずただ投げれば勝手にダーツが入ってくれるだけのものだったのか?
ここに大きな勘違いが生まれて来ている
そう、ハットやトンの山に、肝心な6秒の役割を忘れてしまっているのだ
ダーツの上達の道を歩む上で、その手応えとは、
その時、ダーツが入ったか、入らなかったかなのか?
ダーツがその日、入り続ければ、それが手応えなのか?
某所にこんなことが書かれていた
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>
練習とはできないことをやるのが練習
できているものを繰り返しても上達はしない
今までと同じ考え、同じ練習を繰り返していても上達することはない
上達のためには考え方を変えなければならない
例えば、毎日同じ道に千円札が落ちている
その千円札には「ご自由にどうぞ」とメモが付いている
そして10メートル先に一万円札が置いてある
>
多くの人は、10メートル歩くのが面倒で、
目の前の千円札1枚を拾い満足をしてしまう
しかし、上達していく人は千円札を素通りして、
面倒でも10メートル歩いて一万円札を拾う
>
たったこれだけの差
この小さな考え方の差が上達に大きな差を生み出す
>
アメリカの実業家であるデール・カーネギーは言った
「幸福は毎月やって来る。だがこれを迎える準備ができていなければ、
ほとんど見過ごしてしまう。今月こそ幸福を見逃すな。」
>
上達のために考え方を変え、最も重要なことを最優先させなければならない
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これがわかっている人は実は意外に多い
わからないから出来ないのではなくて、
“わかってる”けれど出来ないのである
“そんなのわかってる”
これだ
上達に足踏みや後退を繰り返す人間のパターンが見えては来ないだろうか
話は戻り、前述の彼
自分がどうあるべきかを決めたのは、他でもない彼自身である
キッカケという名の燃料を与えられても、不完全燃焼しか生み出さなかった
どうしてその先にあるものを見ようとしないのか
どうすればこの燃料が完全燃焼をするのか
より速く
より燃費良く走り続けるためへの努力
なぜそれをしないのか
不思議でならない
そう考えると、
“6秒”をキッカケとして頑張った人がかなりの人数が居そうだけれど、
その多くは途中下車をしていても不思議ではない
なぜなら、上手く強くなれる人間は平均よりも少ないことが常識であるから
平均値以上の層に存在が出来る
それは、意味のある努力を続けられた者だけ
“6秒”というキーワードで話を進めてきたわけだけれども、
これは“6秒”をやりなさいという話ではないし、
“6秒”に限った話でもない
例えば、
フォームにしても、スローにしても、
そして、自らの分身である“バレル(ダーツ)”
なぜコロコロと変えてしまうのか
フォームなんてものは、その時の気分でピタリと決まるものではない
スローにしてもそれは同じ
半年使ったバレル
今未熟な自分がそのバレルの何をわかったというのか
恐らく十年続けて“ようやくわかったような気がする”
いや、“たぶんこれは終わりのない戦いなのだ”と感じるのではないのか
世の中に一種類のバレルしかなければ、それを使った中から世界チャンピオンが生まれる
練習に取り入れたアレコレ
突き詰めたのか
ちょっとやってみて、飽きてはいないだろうか
このブログも含めて、
他にも多くの教則系の情報がネット上に転がっている
つまみ食いをしては飽きて
何一つ突き詰めたものはなく
ただただ食い散らかしてはいないだろうか
何かを信じて玉砕もいいじゃないのか
その内容はこの逆手ブログでなくてもいい
なんでもいいから
どんなものでもいいから
とりあえず突き詰めてみろと
取り組んだ何かにすぐに飽きてしまうような人間が、
中々上手くならないと騒いだところで、
上から見守る人間には負け犬の遠吠えにしか聞こえないはずだ
やることをやっている人間には、必ず救いの手が差し伸べられる
もしかしたらその手の主がダーツの神様かもしれない