【他人の常識と自分の常識】 | 父になるということ

父になるということ

AIDで子供を作ると決意したじゃっくの自己満ブログ

昨日は節分でしたね、みなさん豆蒔きしましたか??
恵方巻きは食べましたか??

我が家は豆撒きはしませんでした。部屋が散らかるから。笑
恵方巻きを食べて厄払い気分です。気持ちが大事‼︎笑
子供が出来たら豆撒くようになるのかな??


恵方巻きを食べた後、土曜日に録画してた番組を観てました。家族の絆をテーマにした実話を紹介する番組なんですが。
その中の一つの実話に姉の為に生まれてきた妹というのがありました。

もう20年以上前にアメリカであった話で、16歳の少女が白血病になり骨髄移植しか治る道はなく、ドナーとの適合の確率は何万分の一。兄弟間だと四分の一。頼みの綱の兄とは適合せず悩んだ両親の答えはもう一人子供を作るということ。
そして妊娠、出産。奇跡的に骨髄も適合し今でも元気に生きているという話。

ただこの話、当時全米でかなり大きな問題になったらしいです。

「子供を救うために子供を作るなんてどうかしてる」
とか
「子供は医療の道具じゃない」
とか
「生れてくる子供が可哀想」
とか。

何で?別にいいじゃん。
と思った僕は非常識なのでしょうか?

確かにこの実話は妹が姉と適合したから成り立つ話かもしれない。これで姉を助けられなかったら将来自分を責めることになるかもしれない。
でも、もし適合しなかったからって親が育児を放棄するわけじゃないし愛情がなくなるわけでもない。


AIDを始めたことで僕自身考え方が変わった部分があるけど、それは世間から離れていってるということなのか。
世間の常識を失ったってことなのだろうか。

僕はそうは思わない。

子供を欲しい理由は人それぞれあって何が正解か間違ってるかは他人が決めることではない。
みんな常識から外れることを怖がる傾向があるけどそもそも常識ってなんだ?みんなと同じ意見を持つことなのか?

このアメリカでの話も20年も前だから今はもう少し寛大になってるかもしれないし、なってることを願ってます。

常識に捉われる人も新しいことにチャレンジする人も自分の信念を曲げるわけにはいられないとは思うけど、お互いに譲歩する大切さを忘れたらいけないのかなと思います。

何だか生意気に語ってしまいました。笑