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カエルコロナウィルス対策としてカエル



【始】


母はもうこの世にいない。9年前に他界した。


熱海の施設にいたのだが午前中(というより朝)仕事中にいきなり施設から電話があり、慌てながら


「すぐ来てください❗」


ってそれだけいわれて


「なんでですか?」


って聞いても施設の人は『ひー❗』『あーどーしよ❗』くらいしか言えないくらい慌てて


「落ち着いて話して下さい❗」


って一喝したら施設の責任者と電話替わって


朝起きる時間になってスタッフがお部屋に行ったら(中略)もうお亡くなりになってます。」


っていわれた。

そう言われて会社に連絡して仕事片付けて、そのまま行っていいんだけど『急いでももう間に合わないんだし』とおもって、どうせ通り道だからと自宅戻って着替えて熱海に向かいながら

『チマチマとクルマ使うようになってそのヒマもなくなりそうだ』とガソリンを満タンにした。これがあとでおもわぬ幸運を呼んだ


熱海に到着したら先に兄と地元警察(の私服警官)がいた。兄は免許かなく俺が連絡してから(電車&バスで)出発したからスクランブル発進状態で来たのだろう。同時に連絡(ケータイから国際電話ってこの時だけじゃないけどそうそうないこと)した姉から『飛行機のチケットとれた。明日の17:00頃成田に到着する』とメールきたのもこの頃。


『事件性はなし』ということで地元警察が引き上げたあとは兄と葬式の相談。

“遺体”として移動するならお役所等の書類が必要、こちらで荼毘に付して“お骨”ならば(焼き場が発行する埋葬許可証があれば)乗用車でもタクシーでも電車でも移動可能。それでも『遺体を横浜に帰してあげてお葬式を選択した。


翌日になって、キリスト教式で葬儀することになったので牧師さんに来てもらって(父の時もお世話になった)横浜の葬儀屋さんに来てもらって、遺体を送り出す“儀式”みたいなのを終えて葬儀屋さんの寝台車(≠霊柩車)で送り出したのは13時頃。。牧師さんはすぐに電車&バスで横浜に向かい、俺は兄と母がいた部屋の(掃除というより)整理をしていた。掃除屋さんとは

「横浜に帰ってから細かい話を詰めましょう」

と言っていたので兄には

「もう横浜へ向かおうよ」

と言ったけど、

「まだ探すものある」

とかいって兄を残して熱海から横浜へ向かった。

熱海を出て早川あたりでいつも世話になってるイトコの姉ちゃんに今回も世話になるからとおみやげの干物を買おうとおもって『山安』へ。買い物終えて西湘バイパスを乗ろうとした時『この辺なら聴こえるハズだろう』と合わせたNack5を聴いていたらDJの小林克也さん(つまり金曜日だったってことだ)の

『あ、地震だ。けっこう大きい。』

の声。


それが2011年3月11日の14時46分だった❗


【了】