「おやじの背中」その3 | ユニフォームコンサルタントになったビロガーのアリ父日記。

ユニフォームコンサルタントになったビロガーのアリ父日記。

息子夫妻に触発されて開始したブログですが… 2017/04/01にコンサルタントとして独立開業いたしました。ユニフォームビジネス、中小企業経営、その他諸々四方山話をJackLeonらしい語りで発信をしてゆきたいと思います。

私は小学校の頃から、いやそれ以前から、、、 「目立つ存在」でした。




いや、正確には 「目立ちたがり」でした。 




小学校高学年になるまでは、全く勉強などしていませんでした。週末

のみならず平日も野球に明け暮れていました。にも関わらず、目立ち

たがり屋だったので、いつも話題の真ん中に居る事が多く、仲間外れ

にする事はあっても仲間外れになる事はありませんでした。いわゆる

ガキ大将だったのかもしれません。今の時代なら問題になるようなイ

ジメも、加担する側だったような気がします。




それがですね。。 たしか4年生の時だったと思います。担任の先生が

いわゆる学期末試験の結果を、合計点数順に並ばせてたんですよね。

目立ちたがりの私は1年生時代から学級委員をやっていましたが、こ

れもお利口さんというより、目立ちたがり屋という点でなっていたのでし

ょうか。選挙になると結構な得票率で選ばれていました。とこの成績順

の列の前方には学級委員常任者が並んでいますが、私の姿はありま

せんでした。遥か後方、当時は1クラス40人強でしたが、その真ん中

あたりに私は突っ立っていました。委員常連さんからは『あれ?! 有く

ん、あんなとこに居る。』『ホンマや。』『なんや、あんまり頭よーないん

やな』とは言いませんでしたが、そういう目で私も見つめている目がた

くさんありました。。。 それでも私がその後も委員になる事が続いたの

は、やはり目立ちたがりであり、“アタマは良くないがアイツを委員にし

ておけばクラスは平和になる。”と、今の独裁力がその頃から評価され

ていたのかもしれません。




でも、元来の目立ちたがり屋は、この恥ずべき「成績発表による実力

露呈」を契機に勉強し始めました。ひとつきっかけとなったのは、幼稚

園からの同級生たちが塾へ行っている事を聞いた事です。目立ちたが

り屋はこういう流行りものにも目ざといわけで、当時“塾”という表現では

なく“別勉(べつべん)”と呼ばれていたように記憶していますが、この流

行りものに乗ったわけです。行ってみるとその別勉は予習中心のもの

で、講師も幼稚園同級生のおやじでした。そんな環境ですから、私にと

っては目立てるための技を得る場でもあり、何の疑問も持たずに通い

ました。加えて元来の負けず嫌いもあり、何と自ら勉強し始めたわけで

す。野球から非行ではなく勉強へ転向したわけですから、両親が文句

を言うはずもありません。気が付いてみれば、私は両親から勉強を強

いられた事は一度もなかったんです。そりゃあ、そうです。100点満点

で10点などしょっちゅうでしたが、そんな試験結果を親に見せていなか

ったし、親も聞きもしませんでしたから。。。




こうやって、野球少年から勉強少年へと少しずつ私は進歩してゆきま

した。




次回の中学生時代の出来事、特に中3時代の出来事が、私の一生を

決めたのだと思います。




少し頭を整理してみますので。。。。