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Never end

偶然?必然!全てはChange&Askaと共に

2月から始めた「chang.org」のキャンペーンも本日正午をもって終了します。

きっかけはTwitterのフォロワーさんが、今回の事件で新たにCHAGEandASKAのファンになったけど、販売規制の為にCDやDVDを手に入れられないと言われたことでした。

テレビは地デジ時代を迎えようとしていた矢先に起きた東日本大震災で、被災地には1年猶予が出来てしまったお陰で、我が家にもBlu-rayレコーダーの購入時期がずれてしまい、器機を揃えてから買おうと思っていた映像が、買いそびれたままのまさかの店頭回収。

何せ1枚1枚が高額ですから、介護士の収入ではすんなり揃える事は無理なんです。

ネットで中古を探してもBlu-rayは10倍もの値段が付いています。

LIVEのいくつかはBS等で放送があったのでそれで満足しようとしましたが、やはりfullで観たい。

何とか署名活動が出来ないか調べて、あのサイトに行きついたと言う訳です。


CHAGEandASKAのフェイスブックも逮捕前は5000人程度が、今や12000人超え。

1000人位は直ぐに集まると思っていました。

しかし、ファンの中には2年経った今でも傷は癒える事がない人、また、署名なので実名を記入に抵抗ある方も多く、「そうだよね、この恐ろしいネット社会で仕方ないよね」とも思いました。

しかし、多分ASKAさんのブログも後押しになって徐々に人数は増え、300人まであと少しになりました。

人数は少なくても熱い気持ちはYAMAHA音楽振興会さんに伝えます。


偶然?必然?とブログサブにも書いてますが、山に囲まれた中で育った田舎娘が数々の偶然に遭遇しながらチャゲアス信者(笑)になってきた話を少し。

細かい所は過去の「もじゃこ日記」で楽しんで下さい。


初めてファンクラブまで入ったのは「ずうとるび」。

リーダーは笑点でお馴染、座布団運びの山田隆夫さんです。

字面でお分かりの通り、彼は「ビートルズ」ファンでしたので、彼の影響で小学生ながらにビートルズを一生懸命聞いた覚えがあります。

次は清水健太郎さん。

初恋の人に似ていたから。

その後はアリス(特にべーやん)、松山千春さんと移ります。

ちー様ホント大好きで、修学旅行が北海道の高校を選んだくらいです。

そのちー様のオールナイトニッポンのラジオの前に「コッキーポップ」が放送されていて、その時初めて「ひとり咲き」を今月の歌で聴いたのです。


その後はシングルを買う前に「風舞」を買ってからの「万里の河」発売で火が点きました(笑)

「ザ・夏祭り」前哨戦の山形のLIVEでは入りに遭遇、次の日帰ってきたら仙台で偶然会って写真も撮らせてもらって握手も。

写真集「闘魂」のサイン会も専門学校の見学会と重なり、まんまと紀伊国屋書店に並んでいたら、余りの人の多さに一時中止と言われ、諦めてロビーに居たらエレベーターで降りてきた彼らに遭遇。

そこでも握手をしてもらった。

上京してからは関東近辺のLIVEや友達からレッツゴーヤングのリハーサルに誘われたり。

その当時ツアートラックを運転していた人とたまたま話す機会があって、するとその方のお母さんが私と同郷で一気に仲良しになって。


「万里の河」のヒット以降、ライブ動員数は常にトップだけれどヒット曲に恵まれず、実は会場もポツポツ空きがあったのも事実。

一番腹が立つのは「関係者席」と称してスポンサー用に用意された席が空席の時。

一番いい席が空席とは胸が痛みました。

LIVEの入待ち出待ち、追っかけ行為も今じゃ迷惑がられているけれど、当時としては人気のバロメーターみたいなものだったので、本人たちのテンションが上がるように駅でのツアー出発を「ポカリと少年ジャンプ」の差し入れで送り出したりしました。


専門学校は出版関係の学校だったので、卒業制作として企画取材原稿書きをグループで行う作業で、私は勿論「チャゲ&飛鳥」の特集を組みました。

当時のツアースタッフに本人のインタビューを頼みましたが、スケジュールが詰まっていて無理だと言われたので、インタビュー形式に文章を作ってくるからそれに書き込みをお願いしたらOKが出ました。

本人達はやはり忙しいので、マネージャーの渡邊氏が記入して下さいました。

素人記者の半ばミーハー的なインタビュー内容に簡潔に、しかし愛情込めて書いて下さいました。


ちょっとASKAさんのブログ並みに長くなってしまいました。

一旦仕事に行ってきます。

続きはまた後で。

ASKAさんの福岡マリンメッセでの再演の話、とても感動しました。

ファンにとっては何よりの贈り物でしたね。

シンフォニック、行きたかったなぁ。



ところで、「チケット持っててね」という事は、再演は無料で行われた、という事ですね。

9500円×15000人=・・・・

さて、この再公演のお金、誰が払ったのでしょう?

単純計算で1億超え。

経費だけでもかなりの金額。

それをアーティストの気性を心得てのスタッフの対応。

願わくばイベンターが泣くことが無かった事を祈ります。

ファンとしてはちと手厳しい話かな?



人柄だけでは済まされない、金絡みの業界です。

どこかのイベンターのように、後々トラブらないと良いけど、と余計なことを心配してしまった。

この世に何万と人がいて、その中で結婚まで至る男女は奇跡だと思うと若い頃は思っていた。

旦那の言うには、それは「運命」なのだそうだ。

結婚生活が長くなると、傍から見て分からない問題は色々あるものだ。

でもそれも「運命」のなせる業。

彼との結婚は正に「運命」そのものでした。

勿論私が「チャゲ&飛鳥」のファンになった事で成り立つ今の生活であります。

高校に入った辺りからかなり夢中になりまして、どうゆう訳かチャゲアスのスタッフになりたいと夢見て上京するわけです。

東京は田舎にない物ばかり。

新聞配達をしながら専門学校に行き、小遣い銭位の給料を貯めてコンサートに行く日々。

その中でも普通に恋をして、でも実際は独りよがりの恋に破れて大きなお腹を隠しながら田舎に戻って、親を裏切ったのに出産させてもらって、娘が8歳まで色々福祉の助けを借りながら育ててきました。

子供が大きくなるにつれて今のままではいけないと、パート仕事から正社員に転職を決意。

でもね、子供一人いると職安ではパート仕事しか紹介してもらえない。

求人誌に載っていた会社をダメもとで連絡。

面接をして下さった方は、たまたま少し前にジョギング中、娘を自転車の後ろに乗せて走る私を見かけたそうで、「母子家庭だって、こんな人が頑張って仕事するんだよ」と周りの反対を押し切って採用してくれた。

面接日は1992年12月24日、初めて彼と会った日です。

そして入籍が1993年12月25日。

実際付き合ったのは3カ月位?

たまたま競馬に誘われて、競馬場なら子供も遊べるよって。

上司に高速代とか出してもらうのも悪いからと弁当作っていったら感激されて。

いざご両親に挨拶行ったら、何とお義母さんのお母さんが同郷だと。

そしてご両親連れて家に来て頂き、せっかくだから母親の実家にも行ってみたいと言われて何十年振りだというお義母さんの記憶を頼りに行ってみれば・・・わが母の実家のご近所だったと。

これぞ運命・・・。

因みに、二人が出会った会社はチャゲアスが仙台で一番最初に使っていたイベンターの社長さんが作った会社でした。

社長曰く「あいつらほんとにいい奴だったよ~」って。

もう十数年会ってないけど、元気かなぁ社長。