人の欲というものは限りなく、これで満足という事がない。
2014年、逮捕から結審までの間、憤りや不安が渦巻いて毎日チャゲアスの歌ばかり聴いて過ごした。
当時はただ生きていてくれれば良いと願っていた。
昨年ブログが公開されると、次第に以前のASKAを模索する毎日。
変わってしまったことを、まるで無かったかの事のようにしたくて他愛もないコメントを書いてみたり。
時計は戻すことは出来ず、荒れるブログのコメント欄に「ほっといてくれ」って思ったり。
失われたものは大きくて、その代償は計り知れないけれど、「運命は生れた時から決まっている」のだと彼自身も思っているのではないだろうかと考えたりする。
それでも一歩ずつ光の場所を求めて歩いている姿を想像ではなく、ブログという文字で見れるのはとても嬉しかった。
告白本の出版には抵抗もあったが、自分をさらけ出さなければ伝わらない事もあるだろう。
読み物としては文章の構成も内容も申し分なかった。
長年の疑問だった渡英も納得できた。
ただ彼はいつもファンを通り越して自分たちに興味を持たない人に視点を合わせている気がする。
それが結果としては功を表しているのだから、文句のつけようがない。
ブログから本の出版、そして今回のアルバム発売。
何も発信のない2年間は長いようであっという間だった。
アルバムを出すと言われてからずっと待ちわびていたところに昨年の逮捕劇。
山登りで山頂目前にして滑落した気持ちになった。
「そんなことはあり得ない」という信じる私と「前回もあれだけ信じていたのに」という思いがよぎった。
ただ、今回はこんなところで躓いていられないはずだと確信できたので、直ぐに出てくるだろうと高を括っていたが、警察も一筋縄ではいかなかったようだ。
結果として不起訴となったが、嫌疑不十分という理由は納得いかない(全くの白に対してグレーのシールドを貼り付けたようなものだから。誤認逮捕なら納得!)
とは言え、ギリギリでもお母さんを見送り、両親に誓ったであろう更生と家族に誓ったであろう復活を今回のアルバムで見事に未来への一歩を踏み出したと言える。
歌詞に散りばめられた後悔と懺悔、そして屈しない覚悟。
ブランクを感じさせない歌声は歓喜の賞賛に値する。
高齢になるとどうしても声帯が細くなったり筋肉が萎縮してくる。
毎日ボイストレーニングをしなければ維持は出来ない。
それをこの環境下で独自の発声を見出し、絶頂期と変わらない歌声に震えが止まらない。
アルバムを聴けば聴くほど歌っている姿、ステージで細かい表情までを想像し、早くLIVEを観たい衝動に駆られる。
リハビリ終了まであと1年半。
その前にコンプライアンスに立ち向かうイベンターが現れる事を願う。
向かい風はやがて追い風に変わるだろう。
離れて行った人も戻ってきてくれるかもしれない。
新しい若い人たちも多く共感してくれている。
二世代、三世代と受け継がれて応援してくれる人たちもいる。
孤独に感じていただろう自分が、これほど周りに愛されていたことを改めて知った事だろう。
みんなでまた会いに行くよ、きっと。
願わくばステージにサングラスをかけて帽子をかぶった相方が隣にいるといいな。
何はともあれ、ASKAさん、59歳のお誕生日おめでとうございます。