商店街今年最後の会議でした。
(T_T)(T_T)明年度へのバトンを託して。。3月迄は任務遂行致します!!

→最後までありがとうございました。

区商連の方は、火曜日の連携になります。
どうぞよろしくお願い致します。

商店街否定派の先輩(元会長など)の言は残念に思いました。

残る人、応援してくれる人、生存権を護る人を頼りに、ガムバリたいと思います。カチ、12月8日

9年前、前会長が大動脈解離で急逝した。アイデアマンであり、この商店街特有の「芋煮会(その後豚汁祭りも)」などを発案し、人の集まるロマンを語り、新参の私も手伝った。
JAZZバーのマスターから借りた特大の鍋を2つ用意し、音楽演出を頼み、音響機材を無償で提供し、人々の笑顔が輝いた。

前会長が亡くなったあとの会長候補は別にいたのだが、その忙しさを慮って、親族の方で昔々の会長が、可知くんにお願いしたいと、トップ会議で話をまとめた。

以来、コロナ禍の3年間は大したことができなかったが、必死で任務を遂行したつもりだ。

私は、生まれた時からこの商店街にいて、向かいのお蕎麦屋さん、斜め向かいの乾物屋さん、並びのお寿司屋さん、靴屋さん、氷屋さん、床屋さん、反対側の酒屋さん、乾物屋さん、ラーメン屋さん、お風呂屋さん、瀬戸物屋さん、助六寿司屋さん、2軒の八百屋さん、お米屋さんなど、あるいは古着屋さんなど、軒並みでお金を使ってきた。

ある斜め向かいのお店が閉店する時、最後の買い物に行き、私も若かったのか、思わず「大変でしたね」と声を掛けたら、(お前なんかにこの悔しさが分かるものか!)という顔で睨まれた。

そのくらい、みな自分の商売に命を掛けていたのだ。

父はシベリア捕虜(現地通訳)帰りで、お風呂屋さんの向かいという立地を活かし、化粧品雑貨の小売で、当初は毎日、自転車や二輪車で目黒区まで買い出し仕入れに行き、かなりの日銭売り上げがあったと。

男子3人を大学にまで(2人は附属高校にも)進ませ、その費用も出してくれた。もちろん、自分アルバイトもしたが‥

今、商店街はずいぶんさみしくなった。しかし、残った人間はみな、生活がかかっている。必死なのだ。

商店街を解散して、道が暗くなり、歩く人の不安や危険度が増した通りもある。一度壊したらなかなか再興は大変だ。

去る人も、その地に何を(友情や感謝を‥)残すかで、生きる価値が決まる。

古の賢人いわく「建設は死闘・破壊は一瞬」と。

私は22年前、父の提案を受けて東中野からこの地に戻った。
その2年後に、父は亡くなった。
最後まで、「おまえは商店街に入るな!」と言っていた。
副会長はしたが、会長は固辞し続けたと。
みな一癖二癖ある城の主。人間関係が難しかったのだろう。

2020年.コロナ禍に入った時、復活のイベントを試みたり、その前からの街路灯のランプ交換、塗り直し、防犯カメラ設置など、先人の心を護り発展させたと自負している。

2019年までは、「芋煮会〜豚汁祭り」「隣人祭り(商店街とその隣人のための祭り‥これを最後に見てから亡くなった方もいた)」も、グレードアップして続けた。

もちろん、各会員や商店街婦人部の方々の協力なしではあり得ない快挙だった。

斜めに見ている人もいただろう。

この間、街路灯の補修やその電気代、防犯カメラの増設など(非協力的な町民もいらしたが)、良心的な業者にも恵まれ、ほとんど行政の補助で賄えた。

また、コロナ禍の援助金、各店舗の必死の工夫もあったが、商店街としても、衛生用品で50万、商店街全体の補助金も数百万いただいて、いよいよコロナ禍明けの元気を出す時だったが、私の不徳のいたす所、自分の経済もだが、着実に物事を進められなかった。

孤軍奮闘・冷感無視は、理由にならない。会議もまとめられず、誠に申し訳なく思っております。

しかし、景気が悪くなると、個人商店の集合体は、助け合うのではなく、個人主義に陥る。

情けないが、事実だ。

私の所が音楽教室やイベント業や人材育成という、物販などの一般外向けの店舗でないこともあるだろう。

そう思って、2年前に、小金を使って、商店街内に別店舗を借り、リサイクル・カフェのような物を作った。外部からのお客様はあったが、商店街内からはほとんど遊びに来たりもなくて、残念に思った。これはもちろん、自分のやり方に問題あり。開店の時に、招待状でも作って、会員に配って「内覧会」のような事をやれば良かったのだ。

人は異人種のようなものに、拒否反応をする。どんなに真心込めたり、地域のために良かれと思って立ち上げても、なかなか理解されない。

これはもちろん、自分の努力不足の結果だ。

さて、元会長でも、お店を畳む時が来る。その時にキチンと挨拶をして、永らくお世話になった、と挨拶できるかどうかだ。

どうしても、プライドが邪魔をする。普通に会っても挨拶すらできなくなる。

人生は最後まで生き方としては、終わりがない。
そして、部外者になってから、余計な足を引っ張るような発言を、他人に託しても言うべきではない。

なぜなら、残っているものは、どんなに小さくても、生きている物であり、貴重な「文化財」とも云えるからだ。

これに反論があるならば、正々堂々と、真正面から言って来てほしい。そうでなければ、あなた達の父祖が築いたこの土地への思いを汚すことになる。

私はそう思う。父の築いた、商店街の土地のエートス(情念)は不滅だ。

かつて、ウチの前の助六寿司屋の主人は、軍人上がりで、商店街にできた「小僧寿し」の前で、日本刀で腹を切って死ぬ!と言った。
それを、我が父は、必死に止めたという!!

その血を引く私も、ここでの贖罪を、罪滅ぼしを、辞める訳にはいかない。

スポイルしたり、ディスったり、は構わない。

自分もこの半年、いや、昨年の別店舗閉店以来、情けないが、人間不信のようなドツボにはまっていたのだから。

どうにも、私個人の事がギリギリの所にいるが、この年の瀬、しっかり「反転攻勢」に出て、証(あかし)を残していきます。

最前線で商売する者を、心から支援する者に栄光あれ!!

‥🙏🏼🙏🏼🎉🎉