『46億光年の孤独・・』
谷川俊次郎
地球が生まれて46億年。
最初のドロドロ、ゴツゴツの中から
タンパク質や生命(いのち)のかけらが生まれるまでに
約6億年。
原始的な生命が生まれてから40億年。
少ない、小さい細胞で原始の熱い地球に
うごめいていたもの。 これがぼくらの祖先だ。
ある詩人は「孤独なゆえに引き合う」
と言った。 それが「万有引力」だと。
そんなわけないだろ!!
もし孤独と言うのならば、トップを走り続ける
ことは「孤独」だ。
二位を許すことは ほとんどしない。
「精子は1人で、卵子の中へとびこむ」
あらゆる可能性、何億もの中から、たった1つだけの
トップを選んで新しい「生命」は誕生する。
これは「孤独」だ。
しかし 生まれたのならば、あらゆるものを体に入れ、
あらゆるものを体からまた出し、そして外にある
あらゆるものと、手を結ぶ、打ち合う、交流する。
生命(いのち)と生命(いのち)はにぎやかな斗争だ。
頭の中の「孤独」はすぐに吹っとんでゆく。
あらゆる関係の海の中で、この新しい「ぼく」は生まれた。
そして今も、このにぎにぎしい「グチャ」の中にぼくはいる。
誰がこのにぎにぎしさを否定できるだろうか?
果してこれを「孤独」と言えるのか?
太陽の熱は地球に降りそそぐ。
地球も地面の皮を一枚大きくむけば、
ドロドロのマグマのかたまりだ。
ぼくらが、「大地」と呼ぶ絶対のような「モノ」
の上にへばりついて、生きていると思うのは、
とんでもない錯覚なのだ。
「かつて」地球の上に生命(いのち)らしきものが、
生まれ始めたころ、実にたくさんの彗星が
「ここ」にぶつかったんだそうだ。
地面は割れ、マグマは吹き出し、海は
沸騰した。
生まれたての小さな原始の生命たちは
そのほとんどが死んだ。絶え果てた。
だが、かすかに何十億分の一の生命は、
何百メートルの地かくのスキマに逃げこんだ。
熱いマグマと沸騰する地表の間のわずかの
場所にだ。
命がけで生きながらえた。生命(いのち)のバトンを
つないだのだ。
これは一体 誰の意思だ?
誰の「奇跡」だ? 誰の「孤独」だ?
誰の「万有引力」だ?
原始大陸の移動と衝突、何十万年も
かけて大陸と大陸がぶつかったのだ!
「波」のように激しい地かくの隆起。
変動。数千メートルの高さの山脈ができる。
それは風をさえぎり、気候を変える。
・・現代の科学では、「人類」はアフリカから
生まれたと言われている・・
「猿人」「原人」と呼ばれるような霊長類の
仲間たちが生まれ出る。
その中の誰が今の我々への道を走ったのか?
誰が「バトン」を渡したのか?
乾燥した「サバンナ」の激烈な気候の中で、
草食から肉食へと変わっていった「人たち」
海峡を渡り、半島を渡り、平原を渡り、
ヨーロッパやアジアに渡っていった「人たち」。
この仲間の中で、生き残ってきたのは、実に我々
「ホモ・サピエンス」の一族のみ。。
何ということか!!
この「バトン」の渡し方は!!
百万年前にアジアにまで進出した
「ジャワ原人」も「北京原人」も
生き残れなかった。
20万年前に生まれた我々の祖先
「ホモ・サピエンス」
その時、「兄弟分」として地球上に
共在、共存していた「ネアン・デルタール人」
彼らはアフリカからヨーロッパに進出。
50万人にも膨れあがった。
だが、彼らは約3万年前、氷河期
の終わりに絶滅してしまう。
何故我らの祖先「ホモ・サピエンス」
のみが生き残ったのか?
19種類もの人類が死に絶えた
その中で、なぜ・・・??
少なくなる食物や変動する気候の中で、、言葉を(情報を)劇的に多く持って伝え合った我が祖先たち・・
保存や生存や祈りや思考の何かを伝え合った人たち・・
芋を海水につけて食べるアイデアを伝え合ったサルのように・・
殺しあわず、心的な変化と、、外界に対する戦いの知恵を伝え合った人たち・・
? ? ?
だが、、理由はともかく、、我々は生き残った。
いや、生き残ったがゆえに、我らがいる。
「私」がいる。 「ぼく」がいる。
これは一体、どういうことなのか!!?
絶滅した19種の「人類」とただ一つ残った
「人類」
わずか、約一万年前に最後の氷河期は終わった。
・・温暖な気候に、「ホモ・サピエンス」は繁栄する。
我らの「遺伝子」に人類百万年の歴史が
あるとして、「原始生命」からの40億年のその
「記憶」が秘められているとして、
我らの「孤独」は・・・そう、もし「孤独」と
いうのならば、そのトップを走り続けてきた
「孤独」。
この何十億年もの巨大な「意思」や
何百億、何千億 いや、無数の生命の
生死(いきしに)の上に成り立つ。
自分の、「今」の生命。
これは、一体何なのだ!?
あまりにも凄まじい、エネルギーの結晶
ではないか?
もう一度、ぼくらは壮大な生命の
バトンの上に生きていることを、実感したい。いや、実感せずには、、生きない!!!
「海」も「風」も「陸」も
「太陽」も「月」も「星」も
数多の「植物」も「動物」も
「原人」や「人類」の兄弟たちも すべて
我が体内にある。
おのが胸中にある。
これを否定することは、おそらく誰人にもできない。
ぼくはこの地球に立っている・・
この壮大な「生命のリレー」のその上に・・
ぼくらの未来を決めるのは、ぼくが今作っているこの
「生命のバトン」だけなのだ。
・・46億光年の「孤独」の中で、ぼくは、、
実に大きな 巨大な あくびをした・・・
sukosi koutei Shitai..
谷川俊次郎
地球が生まれて46億年。
最初のドロドロ、ゴツゴツの中から
タンパク質や生命(いのち)のかけらが生まれるまでに
約6億年。
原始的な生命が生まれてから40億年。
少ない、小さい細胞で原始の熱い地球に
うごめいていたもの。 これがぼくらの祖先だ。
ある詩人は「孤独なゆえに引き合う」
と言った。 それが「万有引力」だと。
そんなわけないだろ!!
もし孤独と言うのならば、トップを走り続ける
ことは「孤独」だ。
二位を許すことは ほとんどしない。
「精子は1人で、卵子の中へとびこむ」
あらゆる可能性、何億もの中から、たった1つだけの
トップを選んで新しい「生命」は誕生する。
これは「孤独」だ。
しかし 生まれたのならば、あらゆるものを体に入れ、
あらゆるものを体からまた出し、そして外にある
あらゆるものと、手を結ぶ、打ち合う、交流する。
生命(いのち)と生命(いのち)はにぎやかな斗争だ。
頭の中の「孤独」はすぐに吹っとんでゆく。
あらゆる関係の海の中で、この新しい「ぼく」は生まれた。
そして今も、このにぎにぎしい「グチャ」の中にぼくはいる。
誰がこのにぎにぎしさを否定できるだろうか?
果してこれを「孤独」と言えるのか?
太陽の熱は地球に降りそそぐ。
地球も地面の皮を一枚大きくむけば、
ドロドロのマグマのかたまりだ。
ぼくらが、「大地」と呼ぶ絶対のような「モノ」
の上にへばりついて、生きていると思うのは、
とんでもない錯覚なのだ。
「かつて」地球の上に生命(いのち)らしきものが、
生まれ始めたころ、実にたくさんの彗星が
「ここ」にぶつかったんだそうだ。
地面は割れ、マグマは吹き出し、海は
沸騰した。
生まれたての小さな原始の生命たちは
そのほとんどが死んだ。絶え果てた。
だが、かすかに何十億分の一の生命は、
何百メートルの地かくのスキマに逃げこんだ。
熱いマグマと沸騰する地表の間のわずかの
場所にだ。
命がけで生きながらえた。生命(いのち)のバトンを
つないだのだ。
これは一体 誰の意思だ?
誰の「奇跡」だ? 誰の「孤独」だ?
誰の「万有引力」だ?
原始大陸の移動と衝突、何十万年も
かけて大陸と大陸がぶつかったのだ!
「波」のように激しい地かくの隆起。
変動。数千メートルの高さの山脈ができる。
それは風をさえぎり、気候を変える。
・・現代の科学では、「人類」はアフリカから
生まれたと言われている・・
「猿人」「原人」と呼ばれるような霊長類の
仲間たちが生まれ出る。
その中の誰が今の我々への道を走ったのか?
誰が「バトン」を渡したのか?
乾燥した「サバンナ」の激烈な気候の中で、
草食から肉食へと変わっていった「人たち」
海峡を渡り、半島を渡り、平原を渡り、
ヨーロッパやアジアに渡っていった「人たち」。
この仲間の中で、生き残ってきたのは、実に我々
「ホモ・サピエンス」の一族のみ。。
何ということか!!
この「バトン」の渡し方は!!
百万年前にアジアにまで進出した
「ジャワ原人」も「北京原人」も
生き残れなかった。
20万年前に生まれた我々の祖先
「ホモ・サピエンス」
その時、「兄弟分」として地球上に
共在、共存していた「ネアン・デルタール人」
彼らはアフリカからヨーロッパに進出。
50万人にも膨れあがった。
だが、彼らは約3万年前、氷河期
の終わりに絶滅してしまう。
何故我らの祖先「ホモ・サピエンス」
のみが生き残ったのか?
19種類もの人類が死に絶えた
その中で、なぜ・・・??
少なくなる食物や変動する気候の中で、、言葉を(情報を)劇的に多く持って伝え合った我が祖先たち・・
保存や生存や祈りや思考の何かを伝え合った人たち・・
芋を海水につけて食べるアイデアを伝え合ったサルのように・・
殺しあわず、心的な変化と、、外界に対する戦いの知恵を伝え合った人たち・・
? ? ?
だが、、理由はともかく、、我々は生き残った。
いや、生き残ったがゆえに、我らがいる。
「私」がいる。 「ぼく」がいる。
これは一体、どういうことなのか!!?
絶滅した19種の「人類」とただ一つ残った
「人類」
わずか、約一万年前に最後の氷河期は終わった。
・・温暖な気候に、「ホモ・サピエンス」は繁栄する。
我らの「遺伝子」に人類百万年の歴史が
あるとして、「原始生命」からの40億年のその
「記憶」が秘められているとして、
我らの「孤独」は・・・そう、もし「孤独」と
いうのならば、そのトップを走り続けてきた
「孤独」。
この何十億年もの巨大な「意思」や
何百億、何千億 いや、無数の生命の
生死(いきしに)の上に成り立つ。
自分の、「今」の生命。
これは、一体何なのだ!?
あまりにも凄まじい、エネルギーの結晶
ではないか?
もう一度、ぼくらは壮大な生命の
バトンの上に生きていることを、実感したい。いや、実感せずには、、生きない!!!
「海」も「風」も「陸」も
「太陽」も「月」も「星」も
数多の「植物」も「動物」も
「原人」や「人類」の兄弟たちも すべて
我が体内にある。
おのが胸中にある。
これを否定することは、おそらく誰人にもできない。
ぼくはこの地球に立っている・・
この壮大な「生命のリレー」のその上に・・
ぼくらの未来を決めるのは、ぼくが今作っているこの
「生命のバトン」だけなのだ。
・・46億光年の「孤独」の中で、ぼくは、、
実に大きな 巨大な あくびをした・・・
sukosi koutei Shitai..