母の心は平和の心!


日出男Green's中野名曲堂♪ 

2010.10.30(土)聖教一面見出し


小説「新・人間革命」
2010年 10月30日
母の詩25

 山本伸一は、落下傘で降りてきた米軍の若い兵士がどうなったか、大人たちに聞いた。
 ——米兵の青年は、集まって来た人びとに、棒でさんざん殴られたあと、やって来た憲
兵に目隠しをされて、連行されたとのことであった。
 伸一は、敵兵とはいえ、胸が痛んだ。
 家に帰り、その話を、母の幸に伝えた。母は、顔を曇らせ、悲しい目をして言った。
 「かわいそうに! 怪我をしていなければいいけど。その人のお母さんは、どんなに心
配していることだろう……」
 母の口から、真っ先に出たのは、若い米兵の身を案ずる言葉であった。
 米英への憎悪を煽り立てられ、婦人たちも竹槍訓練に明け暮れていた時代である。しか
し、四人の息子の生還を願い、心を痛めていた母は、米兵の母親に、自分を重ね合わせて
いたのであろう。
 わが子を愛し、慈しむ母の心には、敵も味方もない。それは、人間愛と平和の原点であ
る。その母の心に立ち返る時、どんなに複雑な背景をもち、もつれた国家間の戦争の糸も、
必ず解きほぐす手がかりが生まれよう。
 伸一は、母から、気づかぬうちに、人間そのものに眼を向けて、平和を考える視点を教
えられていたのかもしれない。
  
 戦後、伸一は、東京・神田の三崎町にある東洋商業(現在の東洋高校)の夜間部に学ん
だ。彼が授業を終えて、自宅に戻るのは、いつも午後十時前後であった。
 朝の早い伸一の家は、夜は、皆、早く床に就いた。
 しかし、母親だけは、いつも起きて待っていてくれた。物資不足の時代が続いていたが、
ウドンやスイトン、ふかした芋などが用意されていた。そして、彼の健康を気遣い、決ま
って、「大変だったね」と、優しい言葉をかけてくれるのである。
 その一言に、伸一は、母の限りない愛を感じ、どれほど癒やされたか、計り知れない。




名字の言
2010年 10月30日
 一組のバンドが日本各地を公演し、反響を広げた。「スタッフ・ベンダ・ビリリ」。ベン
ダ・ビリリとはアフリカ中央部で使われるリンガラ語で、「外見など関係ない」「内面を見
よ」の意味だ▼8人のメンバーのうち、5人が車イス。最貧国の一つコンゴ民主共和国の、
障がいを持つ路上生活者、孤児で結成され、ボロボロのギターと空き缶で作った楽器で演
奏を始めた。本年、フランスのカンヌ映画祭に呼ばれ、そのステージに拍手が鳴りやまな
かった▼コンゴの現状を記録しようと来ていたフランス人映画監督が、演奏に心動かされ、
ドキュメンタリー映画を制作。存在が世界に知られることとなった。監督は言う。「最悪の
中に希望があった」と▼「21世紀はアフリカの世紀」と池田SGI会長が宣言して、1
0月で半世紀。それはただの予想ではなかった。“最も苦しんだ大地こそ、最も幸福に”と
いう信念であり、その信念の実現へ行動を開始する宣言だった。今、「希望大陸」を築きゆ
くアフリカのSGIの連帯は40カ国・地域に広がる▼スタッフ・ベンダ・ビリリは、ア
フリカの不屈の魂を教えてくれた。そしてその姿は、“難来るを以て安楽。負けないぞ”と