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ソウル、ピョンヤン、東京のブログ

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私は20131210日に喜寿(満77歳)を迎えた。(本来は数え年らしいが)

この年になって特別な感慨はないが、もうこんな年になったかというのが本音である。

自分が比較的若いときには(例えば3040台の頃)60はさておき、70台といえばもう立派な老人という思いが強かった。私は現役を退いてからも身をもてあますとか、退屈とかという思いをしたことはなく、いつのまにやら日々が過ぎていったような気がする。しかし客観的にみて年寄りの仲間入りをしたなという思いは強い。

今年114日に子供たちが思いかけなく喜寿の祝いをしてくれた。私は長男に<誕生日も過ぎたのに誰の企画で、いまさら改めて祝いをすることになったのか>と聞いた。これは子供たちに負担をかけたくないという親心からであった。私には男の子が3人と女の子が1人の4人の子供がいるが、特に長男と次男の商売が焼肉とパチンコという不況業種であることからの親心であった。祝いが終わった後子供たちが一致して<親として心配してくれるのは有難いが、子供たちからすると父母が元気でいてくれることが子供孝行だよ>という返事であっった。

この言葉を聴いたとき、このように時代も変わり、世代も交代するのだなということを実感した。

さて祝い会の当日は、ただ単にいっぱい飲んで終わったのではなく、子供たちと孫8名(男4人、女子4人)によるイベントがあった。

私は子供たちが指定してくれた時間に祝いの場所に到着したのだが、子供と孫たちそれに女房までが両側に並んで拍手で迎えてくれた。そして一番下の孫(4歳)が私に抱きつきながらほほにキッスをしてくれた。私は最初から子供たちの意外なイベントに感激しながら席に着いた。

私が席についたのを合図に長男が心のこもった祝いの挨拶をしてくれた。それを聞きながら子供を持った幸せを心底感じた。親は子供が何歳になっても子供の心配をするものだと昔から言われてきたがそれも真実であるし、また子供が親の長生きと健康を気使ってくれるのも自然なことだと思った。

イベントのハイライトは昨年12月から今年の111日まで、北朝鮮に行き新年を迎えての公演に参加した、孫2人による民族楽器での演奏であった。

在日同胞の中で北朝鮮と朝鮮総連にたいする色々な意見や不信感はあるが、民族学校の必要性を実感させる素晴らしい演奏であった。(今後の民族教育は根本的な改善をしなければならないが)

私の喜寿を祝う今回のイベントで改めて子供たちや孫たちが、朝鮮人(南北両方の政権とは関係なく)として日本という異国で立派に育ってくれることを願った。