占星術の持っている可能性 | 詭弁書蔵 三ツ目亭

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世の中を見ながら思った事を書いていきます。
とんでも占星術やら隠謀論やらオカルト等
真理探求に終わりはないようですな。

 

果たして

 

命というものはなんでしょうね

 

 

物理的に考えて、一現象に過ぎないものなのはわかります。

この3次元世界において物体というものは崩壊に向けて時間軸を進めるのもわかります。

 

風化というやつですね。

永遠というものは今の所見当たらない。

 

諸行無常

色即是空、空即是色。

 

これですね。

 

形を為すということはそれに抗おうとする行為です。
真理からの抵抗なのかもしれません。

それを考えると他次元(別宇宙)にはもしかすると構築に向けて動く世界があるのかもしれないですね。

 

 

風化の逆。

 

放っておいたらどんどん意味のあるものへと形を作っていく。

いよいよオカルトブログチックになってまいりました。

 

しかしこの宇宙が無から誕生した、
無=均衡から誕生したと考えると必然的に反対の作用がどこかに生まれる事は妥当とはいえないでしょうか。

 

まぁ私がぼんやりと思うのはそれがあの世というものなのかなと

そこで形を成したものは生としてこの世に生まれ落ちるのかなと思う次第です。

 

 

宇宙の誕生は謎ばかりです。


深海に対してもいまだ何もわかっちゃいない我々が宇宙について思いを馳せるのは愚の骨頂なのかもしれませんな。

それはさておき、オカルトに先駆けて私は物理の本を読みあさりました。

その中で私がイメージした宇宙というものは

 

幽霊のようなシャボン玉が重なったものなのかなというものでした。

シャボン玉とシャボン玉が重なり合い時空が生まれ亀裂が走り爆発を起こした。
それがビッグバンとよばれるものなんじゃないだろうか。

我々はシャボン玉の重なった限られた空間の産物なのではないだろうかというものです。


それは人によっては波動と呼ばれるものだったりヒモと呼んでみたり様々なのかもしれません。

 

如何せん地頭のないモンですから専門的な方に言えるような話じゃございませんがネットの文章なんて落書きみたいなモンですからね。
真に受けないでください。

 

しかし私は調べれば調べるほど
この世、この命に付いて回る「無意味」というものに恐怖を覚えました。

 

もともと人間というものは落ちている小石、流れる雲のように自然の産物、存在に意味のないものです。

実存主義とかいうやつですね。

 

そんな事中学生になったらみんなわかっています。

大人ぶって呟いちゃいます。

神様なんていないんです。

その恐ろしさというものを知らないまでもみんなそう思っています。

かといって盲信とは許されざるべき行為です。

そこには愛など存在しません。

救われたい人間同士の争いが起こるのです。

「それは違う」と言っちゃいけないシロモノです。

 

話がそれかけました。

戻します。

 

車は走るモノ、家は住むモノ、カツ丼は食べるモノ。
意味を与えるのはそこに意思が介入するからです。

だからみんな社会の意思の介入を受け入れるのです。

ジョブ(肩書き)というヤツですね。

 


しかし、街というものも地球から見れば人間の巣。

蜂の巣となんの違いがあると言えるのか。

社会の営みもアリの行進と同じです。

その行動に、生命の持続になんの意味があるのか。

全ては本能の働きです。

感情、意思、思考も言ってみれば本能の複雑化したものです。


そう気づいた時、

何故この世界があるのか?

何故そのようなプログラムがされた存在が必要なのか?

ということに囚われてしまいました。

 

目指すべき社会のカーストの頂点も

育むべき情愛も

守るべき生命の未来も

 

全てはあって無きが如し

 

では何故生命は苦しみを抱かなければならないのか

最初から粉のような世界でいいじゃないか

 

わざわざ意思を持たせた理由

 

こういう物理の原理だからたまたまそうなんです。

 

と言われれば確かにそうかもしれない。

 

しかしまだ可能性は残っていると私は思うのです。

 

勝率としてはそれこそ0に等しい挑戦ではありますが、
私が占星術に固執する理由はそこにあります。

 

銀河の地図というものを初めて見た時、オカルトの血が高ぶりました。
人の脳神経ととても似ているというものです。

 

そして歴史を学び、この地球のどの地域、どの時代の文明にも太陽信仰の概念は根付いているという手がかりを元に

人の意識(主観)というものは太陽系の作り出したホログラムなのではないか。
太陽系とはひとつのシステムなのではないかと考え始めたのです。

システムである以上、そこに意図が介入してくる。

 

それこそが人類の希望です。

神なのかもしれない。

 

 

そこから全てのものに意味が有るかもしれないと占星術を疑いのないものに仕上げようと思索している次第であります。


人生というとても短く、そして長い無意味なこの時間に意味を見出せる

 暇つぶしにはもってこいのオモチャですね。

 

ホロスコープは。