なんだかたまらないです
心ってなんでこんなにコントロールできないものなんだろう。自分のものなのに自分のものじゃないみたい。
不安定な気持ちなんてなるべく出したくないのだけれど
夜中から明け方にかけてというこの時間は
人の心に波紋を呼び起こすものなのです。
人の寂しさと孤独というものはどこからやってくるんだろ。
人は誰だって死ぬときは1人だというのに。
夜と昼とではなぜこんなにも思考の偏りがでるのだろう。
夜の静けさが人の心に不穏な気持ちを与えるとでもいうのか。
わあもう、走ろう。こんな夜中は自転車に乗って何も考えずにひたすら走ろう。
こんな日はやはり夜の踏切にかぎります
終電が過ぎ去り、目的を失った真夜中の踏切というものは
心の奥に眠る恐怖心に訴える何かがあります
地面に照らされた電灯の色合いが淡い緑色をしています
そして控えめなこの規模。
これは僕的にかなりレベルの高い踏切です。
悲しげに照らされる踏切に
右側のナナメにひしゃげた看板。
悲壮感がすごい。
煽り気味に照射されたライトに浮かび上がった堂々たる門構え。
威風堂々なり!
そうそう。ついにiPhoneの暗闇補正機能を作動させない方法をみつけました。
これで場違いに明るい画像を撮らせないですみます。
iPhoneなんかに僕の暗闇は邪魔させない!
いいですねー。暗い、暗いですよこれは。
頼りなげに照らすライトが踏切特有の恐怖感を醸し出してます。
入り口の車侵入防止柵がいい味だしてます
こういう暗くて細い線路沿いは心を締め付けるものがあります
閉所恐怖症の方はこういう気持ちなのかもしれません
思うんですけど、
たとえば人里離れた山奥に用途不明の踏切がポツンとあったらめちゃくちゃ怖くないですか?
僕だけの感覚なんですかねこれ
さて、上の写真の正面から撮った画像なんですけど、
よくみるとここ、踏切じゃなかったです笑
それにしてもこの「止まれ見よ」
この間記事にした下灘駅近辺の踏切にも書いてあった言葉です。
向こうの方言なのかと思ったけれど東京にもあるということは、メジャーな踏切ワードなのかな
無機質な景色がゾワリとさせます
こういう電話って、ここではないどこかの世界に繋がってそうでたまらないです。
あと長いトンネルとかについてる電話も同じような心地になります。
めちゃくちゃ狭い踏切です。
この段差に誰かが腰をおろしたら完全アウトです。
いやもうここ暗さMAXでした。
ほんと怖くて自転車で突っ走りました。
お化け屋敷とか嫌いなんですけど、なぜか通りたくなってしまう。
歩きは絶対無理です。
この信号機、完全に電気が消えてました。
本来ついてるはずのものが消えてるって怖くないですか?ぼくはこういうのに弱いんです
人が誰もいない長いアーケード。
心細さが半端ない。
このあと業者のトラックが搬入に入ってきて
恰幅のいいおじさんが荷下ろししている風景に出くわしました。
安心感で抱きつきたくなりました。
ちなみに廃虚とかも興味あるんですが行く勇気はないです。
自転車乗り入れてもいいなら入りたい笑
それでは今日はこの辺で。