それは、火曜の朝だった。早朝三井神社で手をあわせ、堤防の上に停めた車に戻るときのこと。
斜めに登る歩道ではなく、まっすぐショートカットして駆け上る、いつもの事だ。
だけど右足に力を込めた瞬間、ふくらはぎがピキっとなった
あっ!っと思う間もなく、右ひざが崩れる。
やばい。
恐る恐る立ってみると、立っている分にはまったく痛みがない。
だけど歩いてみると、右足に重心が少しでもかかると激痛が走る。
まったく歩けない。車に乗ってみるとブレーキは何とか踏める。
その日は大事なプレゼン資料を作成するリミットだった。だから、何とかまず出社することにする。
座っている分には何も問題ないのが、トイレに行こうとすると動けない。足をひきずって少しずつ移動するしかない。
痛めてから1時間以上経ったというのに、痛みは全く和らぐ気配もない。
やばい予感があったので、プレゼン資料を突貫工事で仕上げたら早退しそのまま整形外科にいった。
レントゲンと超音波で診断した結果、骨や腱には異常はなかった。筋肉の大きな断裂も見られないとのこと。
「肉離れですね、全治3週間。このまま安静にしていてください」
生まれて初めての肉離れだった。まともに歩けないほど痛いとは思わなかった。
そして、この痛みがこのままずっと続くのだろうか?という不安も頭をよぎる。
ふと、痛めた右足だけでなく左足にもふくらはぎに違和感が少しあることに気がついた。
ちょうどその前日がライブ。そこにむけて足に相当負担をかけていたようだ。
それにしてもこれくらいのことで。。。と、改めて自分のカラダの衰えを感じる。
そのまま一晩寝ると、幾分痛みは和らいできた。それでも、まだ歩くことがままならない。
プレゼンを無事終え、その日も午後に休みをとって可児の温泉にいくことにした。
今週はすべてレッスンはキャンセルだな、でもギターは行けるかな。
と、湯船に浸かりながらいろいろと考えていて、ふと気がついたことがある。
ユキとのお出かけをどうするか・・・
ここ数年、土日は長男のユキと買い物とお出かけにいくのが日課だった。
元々はユキの肥満解消のための散歩運動だったが、最近はショッピングモールや街中のゲーセンを見て歩いて回ることが目的になっていた。
ただ、最近はユキも仕事につき、わたしもいろいろ予定があって忙しく、時間が限られてきたので、行けるときにはいろんなところへ行こうとユキがネットで調べているのだった。
でも、この足では歩けない。どこかで待ち合わせをして待っているしかない。そうなると、見知らぬ土地に行くのは避けたい。
その旨を、別れた妻にラインする。ユキはきっとがっかりするだろうけど、分かってくれるだろう。
ところが彼女からきた返事では、
「いつ治るんだ?」「買い物はどうするんだ、オレひとりではカードが使えない」と不機嫌な顔でずっと質問責めだという。
ありゃ、ちょっと混乱させちゃったかな。とりあえず、情報インプットされたのだから、直接じっくり説明するしかないな、と返事をかえした。
そして、約束の土曜日当日。
ユキが車に乗り込むなり、「お父さん歩けないのか?」と聞いてきた。
怪我をしてから5日経ち、少し歩けるようにはなってきたが、まだまだ普段の体調にはほど遠い。
「うん、だからどこかで待ち合わせをしてユキひとりで歩いてきてほしいんだ。でも買い物は一緒にできるから大丈夫」
だが、それに対する返事はない。やっぱりまだ不機嫌なのだろうか。
「だから、できれば初めてのところは避けたいな。でも、どこでもいいよ」
こう続けると、スマホをいじりながら、
「アクアトトに行きたい」と言い出した。
アクアトト!?、ユキからの答えはまったく想定外の場所だった。
もっぱら最近は新しくできたショッピングモールか街中のゲーセン巡りばかりで、水族館なんてここ10年以上いってない。
そもそも水族館でいまのユキが興味を示すものはない。
まぁアクアトトならそんなに広くもなく、見通しもいいので待ち合わせはしやすいだろう。
そう思うと、これ以上ユキを不機嫌にさせたくないしアクアトトに行くことになった。
アクアトトとは、各務原の中洲にある淡水水族館。ユキが小学生の頃の夏に一度いったことがある。それも水族館には入れず、広場の遊具で遊んだだけだった。
「水族館の近くで、○○○」ふと、ユキが何かをいったが、聞き取れなかった。
ん?っと聞き返しても、何でもないと答えてくれない
ただ、恐らく何かイベントをやっててれを観にいきたいんだろうとわかった。どちらにしても私は近くのベンチで座っていればいい。
家から30分ほどで駐車場に着いた。目の前にアクアトトの建物がある。すると、
「お父さんは車の中で待っているんだな」
とユキが言ってきた。私は歩けないのだから、車の中で待ってていいというのだ。
確かに待っているにしても車の中のほうが楽だ、その提案はとても助かった。
「いいのか?そうしてもらえると助かる」
私の返事を受けると、ユキはひとりでアクアトトに向かって行った。この距離だし、土地勘・方向感覚の良いユキが迷うことはまずない。
私は、そのままリクライニングを倒した。そのまま、すぐに寝てしまったようだ。
ガチャ、物音で目が覚めた。
ユキが戻ってきたのだ。時計をみると1時間以上すぎていた。いろいろと近くを歩き回ったのだろう。少し満足げな様子にみえた。
「よし、じゃあ買い物はどこにいく?スーパーの食品売り場の中だったら、お父さんも一緒にいけるよ」
ここから近いのはイオン木曽川、イオン各務原、そしてちょっと離れてイオン柳津。そのあたりだろうと思っていたら、思わぬ場所が飛び出してきた。
「うんとさぁ、大垣なんてどうだ」
「え!大垣」
「いや、どうかなと思って」
まぁ、バイパスを走れば大垣でも1時間くらいで着く。今回いろいろストレスかけたし、時間はあることだから行くか
「イオンタウンの方な」
イオンタウン大垣はお気に入りだった。コロナワールドがはいっていて、映画館やゲーセンもある。
着いたらもう15時をまわっていた。ここで買い物して、どこかで晩御飯を食べて帰るとストーリーはみえていた。
さっそくゲーセンと映画館のあるコロナワールドに向かう。私はゲーセン前の広場のベンチに腰掛けた。
ところが、ユキはゲーセンを素通りして、どんどんと奥に進むのだ。
そこには天然温泉コロナの湯があった。
ん?温泉?・・・珍しい。
スキーやキャンプの帰りにはよく温泉に寄っていたが、普段は誘ってもイヤがりここ10年は行っていなかった。
ユキは入口から中を覗き込んでいる。何かイベントでもやっているのだろうか。
でも、着替えもタオルも無いし、ましてユキがこのまま温泉に入るとは思えない。
「どうしたの?何かイベントでもやってるの?」
そう声をかけると、おもむろにこう返事がかえってきた。
「いや、お父さん、足が痛いから温泉とか入りたいのかなと思って」
その言葉には心底驚いた。
まさか、私のために温泉にいこうと言ってくれるとは思いもよらなかった。
私に気づかいをしてこんな言葉を発してくれたことは、とても嬉しかった。
「そっか、お父さんのことを気遣ってくれて、ありがとう。お父さん嬉しいよ」
もちろんそこは自閉っ子、ユキ自身が本当に温泉に入ってくれるかどうかは分からない。
「まぁ、今日は着替えもないし、また今度入りに来ようか」
こう私が言うと、小さくうなずいてユキはゲーセンへと引き返していった。
元妻からの話では、私がケガしたことで行きたいところに行けず買い物も不安だととても不機嫌だということだった。
もちろん、それは今も抱えているんだと思う。
だけど、その思いをおさえて、アクアトトでは駐車場で待ってろといい、温泉に入ってカラダを休めろと言えるようになった、その姿に心の底から感動した。
優しい子になってくれた。その優しさは母親から受け継いだものだろう。嬉しかった。
買い物をすませ、晩御飯をどこにする?ときいたら、ココスがいいという返事だった。
ココスについてメニューをみて、この店を選んだ理由が納得できた。ラブライブキャンペーン中だった。
「お父さん、カリカリポテトともうひとつをこのメニューの中から選べ」
セットで頼むとラブライブクリアファイルを1枚もらえるのだった。
そして、私は「ヨハネ特性 しびれ麻婆ごはんで堕天!」をオーダー。これでもう1枚クリアファイルもらえるのだ。
花椒油をたっぷりかけた麻婆豆腐はしびれがさらにアップ。堕天しましたw
聞くところによると、今月はすでに2回ココスに行ったらしい。ユキも大満足だろう。
少しずつ衰えてる私、少しずつ成長している長男。
いつもと変わらない風景だが、着実に時は流れているようだ。