私は若い時から内村鑑三こそ信仰の師であると尊敬していました。

ただ、名言集にある次の言葉には同意できないものがありました。

それは内村鑑三が言うには「贖罪とは自分の命を他人に与える事である」とのことで、これは消極的な信仰であると思っていました。


私は困ったことがあれば「祈ればよい。神は祈りに必ず答えてくださる。」と思っていました。自分の命を捨てるよりも、まず神に祈るべきである。神に祈れば必ず神は奇跡をもって解決してくださると考えていました。


しかし、ある人が次の聖句を私に与えてくれました。

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネによる福音書第15章13節)

「μειζονα  ταυτης  αγαπην  οi'δεις-εχει,ινα  τις  την-ψυχην-αυτου  θη  υπιρ  των φιλων  αυτου.



このイエスの言葉を聞いた時、私の信仰は崩れ去って溜まった汚水が流れ出した思いがしました。私の傲慢がすべて消え去り、そして心の中が平安になった想いがしたのです。死を恐れなくなりました。



12弟子もそのように考えていました。水をぶどう酒に変え、パン5個を5千人に与え、海の上を歩いて渡るイエスが、敵に捕らえられるようなことは有り得ないと考えていました。だから、イエスが捕らえられたと聞いて、弟子たちは皆姿を隠し離散しました。ユダは自決をしました。

弟子たちが信仰を持ったのは、復活したイエスに出会ってからです。