前号では、住民と観光客を守るハワイの津波対策を取り上げた。要避難区域で意思表示すれば避難所まで送り届けてくれる市営バス。今週はホノルル市民の暮らしと観光客の旅を支える市営バスを紹介したい。
ホノルル市が運営する公営バスでその名は「TheBus(ザ・バス)」。100以上の路線と4000以上のバス停があり、500台を超える車両で運営されている。白いボディにオレンジと黄色のラインが塗装され、日本の路線バスと比べ全長がやや長い印象がある。

 


【写真】ホノルル市内を走る「TheBus」


運賃は均一で大人が3ドル、子供(17歳以下)が1.5ドルとなっている。専用のICカードである「ホロカード」を使えば、1日3回以上の乗車でワンデーパスが適用され、1日の最大額が7.5ドルとなる。また、月間80ドル、年間880ドルが上限となるサービスも。

ご当地ならでは、あるいは先進的だというのが正しいのか、バス停に時刻表は掲示されていない。バス停のポールに、バス停のナンバーと運行する路線の系統番号が掲出されており、TheBusのサイトか専用アプリから時刻表や運行状況を確認できる。

どのバスにも車両の前方に自転車を搭載できるラックが付いている。運転士に申し出れば2~3台まで自転車を乗せることができる。日本でも地方のバス会社が同様のサービスを実施しているケースがあるが、まだまだ一般的ではない。

和歌山県内では、きのくに線と和歌山線を運行する一部の列車で、自転車をそのまま載せることができる「サイクルトレイン」の運用が始まり、住民に限らず観光客にも便利な、サイクリングによる新たな観光モデルが提唱されている。

公共交通に新たな価値を加えた取り組み。生活の一部として公共交通と自転車が調和し、魅力的な街になってほしい。

(次田尚弘/ホノルル)

前号では、和歌山県内で生み出された漁法がハワイに渡り、現地の人々と共に磨き上げられた技術が逆輸入される形で和歌山に定着した「ケンケン鰹」の歴史と魅力を取り上げた。
距離は果てしなく遠いが海でつながるハワイ。雄大な海に囲まれたハワイも日本と同様に津波の脅威がある。今週は地域住民と観光客を守る、ハワイの津波対策を紹介したい。
 

 

【写真】津波からの要避難区域に新設された看板


オアフ島内を歩いていると沿岸部の地域で目にする真新しい看板。「TSUNAMI HAZARD AREA」の大きな文字と共に高い波が描かれている。ホノルル市は2023年からオアフ島内の津波警戒地域に約300個の看板を設置し、有事の際の避難を呼びかけている。

オアフ島には世界的な津波予測を行い、太平洋地域における津波警報の発表を行う「太平洋津波警報センター」があり、オアフ島のみならず、日本を含む太平洋地域に警報を発表する。海外で起きた地震による日本への津波の影響を伝えるニュースなどで、この名称に聞き覚えがある方がいるかもしれない。

津波警報には日本よりも段階が細かく分けられ、影響が出ないレベルの「情報声明」から「ウォッチ(警戒注意報)」「アドバイザリー(注意報)」「ワーニング(警報)」「エキストームワーニング(大警報)」まで存在する。

警報が出ると、10階建て以上(鉄筋コンクリート造)のビルの4階以上に避難することが求められる。要避難区域に居る場合で、市営バスを見かけた場合、手を挙げて乗車の意思表示をすれば、収容能力がある場合は乗車を拒否できないというルールがあり、避難所まで送り届けるという仕組み。土地勘がない観光客にもわかりやすい、津波対策の取り組みが進められている。

(次田尚弘/ホノルル)

前号では、マグロやカツオをベースにした、近代におけるハワイの新たな食文化として人気がある「ポケ」を取り上げた。和歌山県からの移民がハワイにケンケン漁の技法を伝え、現地の漁業振興に貢献したことは前述のとおり。ハワイの人々だけが恩恵を受けたかと思いきや、実は和歌山県の漁業振興にも貢献している。今週は、ハワイに伝えられた後のケンケン漁の歴史を紹介したい。


【写真】すさみ漁港に水揚げされた「ケンケン鰹」(写真提供:和歌山県観光連盟)

そもそも「ケンケン」という言葉は何に由来するのか。諸説あるが、ハワイのカナカ語が語源とされる。船を走らせながら疑似餌を曳く際に、疑似餌がピョンピョンと跳ねる様子を指しているという。

ではなぜ和歌山県でケンケンの名前が使われているのか。それは、明治41年(1908年)にハワイから帰国した和歌山県出身者が、ハワイに持ち込んだケンケン漁の技法を現地で磨き上げ、それを和歌山県に持ち帰ったことに由来。ハワイの漁師らと改良を重ねた漁法は日本でも成果を上げ、やがて日本全国に広まることになる。

すさみ町では、この漁法により獲れたカツオを「ケンケン鰹」と名付けブランド化。1本ずつ釣り上げられたカツオをすぐに活け締めにし、冷蔵されることから鮮度が高く、その旨さは一般的なカツオと比べ群を抜く。

現在も100隻を超える「ケンケン船」が在籍し、同町における漁獲高の約7割を占めるほど。和歌山で生まれた技法をハワイに伝え、いわば逆輸入する形で磨き上げた技術が現代の和歌山に定着しているという事実。
遠く離れた言葉が異なる地域で、現地の漁師らと協力し技を磨いていくことは並大抵のことではなかったはず。現地特有の言葉が名付けられ、両国の架け橋となっているエピソード。次代に語り継いでいきたい。

(次田尚弘/ホノルル)
前号では、百数十年前、和歌山県出身者がハワイに伝えた「ケンケン漁」が、現地の漁業振興に貢献したという歴史を取り上げた。ハワイといえば、ステーキをはじめとした肉料理のイメージが強いが、海の幸を使ったご当地ならではのグルメがある。今週はハワイで獲れた新鮮な魚を使った料理「ポケ」を紹介したい。


【写真】ハワイで親しまれる「ポケ」

ポケは魚介類の刺身を小さなブロック状に切り、醤油をベースとしたタレで和えたものをライスの上に乗せた料理。ポケとはハワイの言葉で「小さく切る」を意味する。具材として主に用いられるのは、マグロやカツオ、サーモン、タコなど。
ポケの起源はアメリカ西海岸や日本・中国などのアジアからの移民が来るよりもはるか昔のこと。獲った魚に塩や海藻、果実をすり込んだものがはじまり。醤油が使われたのは、アジアからの移民がハワイに持ち込んだことがきっかけとされる。

筆者はホノルル市の北東部に位置するマノアという地域でポケを食した。硬めに炊かれたライスの上に、脂がのったマグロとカツオをベースとしたブロック状の刺身が散りばめられている。その上に、小さく刻まれた海苔、青ネギ、オニオン、ゴマが醤油ベースのタレで和えられ、さらに小粒のイクラと天かすが振りかけられている。

味は日本の海鮮丼と大差はないが、ライスが固くパサパサしているからか、より魚介のうま味が感じられる。青ネギや天かすは日本人向けにアレンジされたものなのか、その真意はわからない。

共通して言えることは、ベースに使われているのはマグロやカツオ、そして醤油の味付け。ケンケン漁がもたらした、新たなハワイの食文化と言って、過言ではなさそうだ。

(次田尚弘/ホノルル)
前号では、ハワイの文化と観光が融合した「サーフィン」の歴史と今を取り上げた。雄大で美しい太平洋に浮かぶハワイ。日本からは約6600kmのはるか南西に位置するが、和歌山とのつながりも。今週は、和歌山とハワイの歴史と今を紹介したい。


【写真】群青色のハワイの海

時は今から約140年前。1885年、日本政府とハワイ王朝で締結された協定に基づき、22名の和歌山県人がハワイに移民したことは前述のとおり。当初は3年間に限りサトウキビ畑で就労する契約であったが、1898年のアメリカ併合後、自由に仕事を選択できるようになり、この頃からハワイへの移民者が増加。

和歌山県内からは主に串本からの移民者が多く、ハワイで漁業を営んだという。ケンケンカツオの漁法で有名な「ケンケン漁」の技術をハワイに持ち込み、先住のハワイの漁師らが行っていた疑似餌を用いた漁法に応用し、成果をあげるように。

ケンケン漁とは、イカに見立てた疑似餌(ケンケン)を引きながら船を進め、カツオなどの魚を釣り上げる日本式の漁法。主に串本の田並地区からの移民が増え、昭和初期には250名余りになったという。

1924年、ハワイの日本総領事館が行った調査によると、オアフ島の全ての漁師のうち、約38%が和歌山県出身者であったという記録があり、ハワイにおける漁業の礎を築くことに大いに貢献したようである。

1925年には和歌山県出身者らで作る県人会が設立されるも、世代が変わるにつれ徐々に衰退し2002年に解散。和歌山とのつながりが薄くなることが懸念されたが、昨年「ハワイ県人会」が再興。ハワイと和歌山の関係が深まり、交流が生まれることを期待したい。

(次田尚弘/ホノルル)
前号では、持続可能な観光地を目指し導入されている、ハワイ州における宿泊税「TAT」を取り上げた。ここまで、魅力的な観光地として維持・拡大するための制度に触れてきた。ここからは、ハワイ特有の文化や歴史と、和歌山県の関係を紹介していきたい。


【写真】ロッカーに立てかけられた「サーフボード」

ワイキキビーチといえば海水浴のイメージが強いが、少し沖の方に目を向けると無数のサーファーの姿が見える。

サーフィンの歴史は深く、西暦400年頃、ハワイを含むオセアニアのポリネシア地域の漁師が編み出した、波乗りの技術とされる。1700年代後半、イギリス人の探検家によるハワイの発見から、ポリネシアにヨーロッパから宣教師などが移り住み、布教の妨げになるとしてサーフィンが禁止され文化が衰退。1900年に入りワイキキビーチを中心にサーフィンの文化が復活し、当時、オリンピックの金メダリストとして活躍していた、ハワイ出身の水泳選手「デューク・カハナモク」が、サーフィンの魅力を世界に普及させ、世界的なスポーツとして拡大を遂げた。

ワイキキの街を歩いていると、ビーチへと続く通路沿いに、サーフボードを保管するためのロッカーが存在する。壁に立てかけられ、チェーンなどで施錠する仕組みで、ハワイを象徴する風景のひとつである。利用料は月額約55ドル、年額約500ドル。サーフィンを愛する地域の方々が日常的に楽しめる文化が根付いている。

ワイキキではないが同じオアフ島内で、世界最高峰とされるサーフィンの大会が開催。高さ13メートル以上の波が終日続くという条件を満たす、限られたタイミングでしか開催できない厳格な大会。昨今は和歌山県出身者が招待されている。海を通じた交流が増えることを期待したい。

(次田尚弘/ホノルル)
前号では、人形で地域の思いを伝播させる「ハワイアンモンクシール」の保護活動を取り上げた。ハワイでは宿泊税を用いた観光振興や環境保護の取り組みを積極的に導入している。今週は、ハワイの宿泊税とその仕組みについて紹介したい。


【写真】ワイキキに建ち並ぶ宿泊施設

宿泊税は、特定の地域の宿泊者や宿泊施設の事業者に課される税金。日本では2002年に東京都で導入され、2016年から大阪府、2017年から京都市と広がりを見せている。いずれも一定額まで非課税で、宿泊料金が高額になるにつれ税額が増す仕組み。宿泊税は条例で定められ、その用途は観光名所の国際化やオーバーツーリズム対策に用いられることが多い。

ハワイのケースを見てみたい。オアフ島では13.25%が課される。宿泊税の先進事例といわれ、観光地としての競争力を高めることを目的に1987年に導入された。「一時滞在のための宿泊施設税」を表す「TAT(Transient Accommodation. Tax)」として知られている。

税の利用用途としては、観光振興を専門とする「ハワイ州観光局(HTA)」が誘客のための様々なプロモーションを展開し、世界から注目される観光地としての維持拡大に貢献。昨今は観光振興に傾注し過ぎることなく、州内の地域への分配や開発のための基金の設立、ホノルル市内を走る新交通システムの整備に充当。環境保護にも一定の割合で利用されている。

アメリカにおける消費税は4.712%であるため、宿泊税と合わせた課税のパーセンテージは約18%。旅行者の負担は少なくない。

和歌山県内でも宿泊税の導入が検討されている。旅行者に税を課されているという負の感情を抱かせるのではなく、持続可能な観光を推進するうえで必要な負担として、その用途や効果を可視化し積極的に発信する工夫が必要だ。

(次田尚弘/ホノルル)
前号では、幸せを運ぶ守り神としてハワイで大切にされているウミガメ「ホヌ」を保護する法制度を取り上げた。海洋生物の保護対象はホヌに限らない。
今週は、ハワイ諸島の固有種で、乱獲により生息数が著しく減少したアザラシ「ハワイアンモンクシール」を保護するユニークな取り組みを紹介したい。


【写真】ハワイアンモンクシールの人形

ハワイアンモンクシールは体長が2m以上、体重が150kg以上のアザラシ。主に魚類、甲殻類、軟体動物を食べる。19世紀、油の採取を目的に乱獲されたことで著しく生息数を減らしたことをきっかけに、時の大統領であるルーズベルトが法律を設け、保護する法律が成立。以降、保護活動が盛んになり、現在は1400頭ほどという。

ワイキキビーチにも現れることで知られ、砂浜で日向ぼっこをする姿は愛くるしい。ホヌと同様に一定距離を保つことが法律で定められ、50フィート(約15m)以内に近づくと罰せられることがある。姿を見つけると地元の保護団体の職員が駆け付け、立て看板を立て距離を保つよう促すなど、希少な海洋生物を守る動きが定着している。

ワイキキビーチ近くにあるキャラクターをあしらった土産品を販売する店で、ハワイアンモンクシールの人形を見つけた。愛くるしい表情に貫録のある体つき、そこにアロハシャツをイメージさせる生地で作られたもの。収益の一部が保護活動に役立てられるという。

購入することで地域の環境保護に貢献でき、旅行者が自国に持ち帰り誰かにプレゼントすれば環境教育の一環になる。顔を見るたびに環境への意識の高まりも期待できる。旅行者が訪れた地域に貢献し、大切にされている思いを伝播させていく。ハワイアンモンクシールの保護活動から、レスポンシブル・ツーリズムを推進する意義を感じた。

(次田尚弘/ホノルル)
前号では、ハワイ州で展開されている「レスポンシブル・ツーリズム」の取り組みを取り上げた。ハワイでは人と海洋生物の共生を目指すために定められた州法とアメリカ連邦法がある。今週は、ハワイの海洋生物を保護する取り組みを紹介したい。

ハワイで人々に愛され、大切な存在として親しまれているのが「ホヌ」。現地の言葉でウミガメを意味し、幸せを運ぶ海の守り神として古くから大切にされている。日本とハワイを結ぶ日系の航空会社がホヌをあしらった旅客機を専属的に運行するなど、日本人にとっても馴染みのある存在である。


【写真】ワイキキの海を泳ぐ「ホヌ」

神聖な存在であるホヌを守ろうと州法では10フィート(約3m)以内に近づくことを禁止されており、これに抵触すると厳しい罰則を受けることになる。ワイキキエリアの護岸を歩いていると、目の前の浅瀬の海でホヌを見つけた。近くにはシュノーケルを付けた男性が静かにホヌの泳ぎを見守る姿があり、地域の人々の心を豊かにしてくれる神聖な生き物として、愛され親しまれていることを実感した。

遠く離れた和歌山県内にもウミガメが訪れる浜がある。みなべ町の「千里の浜」や、お隣の三重県紀宝町がアカウミガメの産卵地であることは、このコーナーでも取り上げた。太平洋沿岸に限られたものと思いきや、昨年夏には和歌山市の「磯の浦」で姿が見られるなど、和歌山県民にとってもウミガメは身近な存在。

海洋生物を温かい目で見守り、地域の文化として大切にする取り組み。保護するための制度を設けざるを得ないこともあるが、レスポンシブル・ツーリズムの観点で、地域の文化と歴史的背景を理解し、誰もがあたりまえのように自然と共生できる社会になることを願いたい。

(次田尚弘/ホノルル)
前号より、ハワイ州独自のSDGs「アロハ・プラス・チャレンジ」を取り上げている。責任ある観光を意味する「レスポンシブル・ツーリズム」の具体的な取り組みを紹介したい。

持続可能な観光を意味する「サステナブル・ツーリズム」については、和歌山市においても数年前から観光協会と事業者が協力した取り組みを行い、筆者も携わってきた。サステナブル・ツーリズムは環境保護や地域経済の維持を重視し、オーバーツーリズム対策、宿泊施設が提供するアメニティに使われる材料や提供方法の見直し、地域の食材を使った地産地消の促進などが一般的。一方でレスポンシブル・ツーリズムは、観光客自身がその地域でどのように行動すべきか、個人の責任ある行動を促し意識させることを重視する。

ワイキキエリアの一部ホテルでは宿泊者にマイボトルを提供。共用部に浄水された水を自由に入れることができるコーナーがあり、外出の際もここで水を入れ持ち歩くことを推奨。マイボトルは記念に持って帰ることができる。


【写真】ホテルで提供される「マイボトル」

他にも宿泊者限定のワークショップとして、地域の花を使った首飾りの「レイ」作りや、ウクレレの演奏体験、ビーチクリーンなどを催している。これまでは旅の思い出作りのサービスのひとつであったかもしれないが、地域特有の文化がなぜできて現代まで継承されているかを知り、理解することでその地域への敬意や愛着が生まれ、おのずと観光客の行動の変化やリピートにつながっていく。

地域の人々には観光客に情報をわかりやすく伝え、観光客はそれを積極的に受け取り意識的に行動する。そこには互いの共感や思いやりが重要。おもてなしを超えた観光客とのコミュニケーションが求められている。

(次田尚弘/ホノルル)