たまたま勤務先近くで献血の「出張サービス(?)」のようなものがあり,何でも「横浜F・マリノス」とのコラボレーション企画という側面もあるらしく,限定オリジナルグッズ(ハンドタオルor巾着袋)も貰える……らしかったので,昼休みに行ってみた.

 

 いや別に,マリノスのグッズを貰っても使い道には困りそうだが,ハンドタオルなら普通に使えばいいかと.

 

 マリノスで個人的に引っかかっているのが,かつてNH(全日本空輸/ANA)と佐藤工業が「親会社」だった「横浜フリューゲルス」を吸収合併した「黒歴史」.

 

 元「阪急ブレーブス」ファンだった筆者的には,全国的に話題を呼んだあの「10・19」の当日に「身売り」を発表され,2年後には「ブレーブス」という名前も消滅.挙句の果てには「大阪近鉄バファローズ」を吸収合併したのに,どっちが存続球団だかわからないような名前になってしまって,愛想を尽かした過去がある.

 そして昨年は,日本シリーズで「阪神タイガース」と対戦するのだが,落ち着いて考えるとタイガースの「親会社」は今や「阪急阪神ホールディングス」なので,ある意味「現・阪急vs元・阪急」という何とも言えない構図になっていた(年中見られる元「大映」vs元「ダイエー」とは全く意味が異なるが).

 

 今や横浜市民であり,人生に占める「居住期間割合」としても横浜市が最大になってしまった筆者としては,NHが「フリューゲルスを売り飛ばすどころか首を取って敵に差し出した」という印象しかなく,もしかして航空系では「赤組」と呼ばれるJL(日本航空/JAL)派になったのは,NHに対する何となくの嫌悪感をを覚えて「青組」にならなかったからではないか,とさえ思うことがある.

 どうでもいいことだが,JLのCMなどに出ていた大谷翔平選手が,FAでエンゼルスからドジャースに移籍してしまったので,何となく「赤組」から「青組」に移ってしまったかのような印象を持ってしまったのは,筆者だけだろうか…….

 「経営破綻」を経たため,JLは「清水エスパルス」のスポンサーからは手を引いているのだが,エスパルスが過去のJLとの繋がりを重んじて未だにユニフォームの袖にJLのロゴを(しかも無償で)入れているのとはえらい違いである.

 ちなみにJLはエスパルスの親会社だった訳ではなく,あくまでもスポンサーだった.エスパルスは,Jリーグ創設時の10チームの中で,唯一「クラブチーム」が母体になったチームである.

 エスパルスと言えば,鈴与グループ.その一員であるJH(フジドリームエアラインズ/FDA)は,現在JLとのコードシェア便を多数運航しているのだが,これもある意味エスパルス創設期からの繋がりを象徴しているかのようである(当時から鈴与はエスパルスの運営に参画していた).まあ,レンタカーの分野では,鈴与はオリックスレンタカーと提携しているので,ちょっと複雑な思いもあるが.

 

 フリューゲルスの「消滅」は,NHと共に運営に関与していた佐藤工業の経営不振から来たもので,NHが単独での運営が困難,としてマリノス(日産)に打診したのが端緒だと理解している.「日産」に当たるのが「オリックス」だとすると,「佐藤工業+NH」が「近鉄」なのだろうが,「ブレーブス」改め「ブルーウェーブ」の名は消え,「バファローズ」の名が残った.一方,サッカー界では「マリノス」の名が残っているのだから,筆者的には「この件に関しては『日産』は悪くない」のである.

 片やNHは,合併直後の「F・マリノス」には出資していたものの,すぐに日産に持ち株を譲渡して撤退.ユニフォームのロゴも縮小の後,なくなってしまった.エスパルスのJLロゴとはあまりにも対照的である.

 

 何だか話がすっ飛んでしまった.

 こんな話をしていたら,「ニューイヤー駅伝」で「ヤクルト」と「JR東日本」の競り合いを見て「どっちもある意味『元・国鉄』だよな」と呟いた話にまで飛び火しそうなので,この辺で.

 

 ぇぇと……何の話だっけ(爆)……!?

 

 ああ「献血」だ.

 

 献血会場の受付は空いていたので,予約もしなかったがすぐに案内された.

 「献血は初めてですか?」と訊かれたのだが,実は20年ほど前に1回した記憶がある.その時貰った「献血手帳」は,一体何処にあるのか……なんですが,と言うと,氏名と生年月日で「検索」する,とのこと.

 

 当時は「紙」の「献血手帳」(手帳とは言うもののただの2つ折り)で,日付や献血したセンターや「献血ルーム」などのスタンプが押される仕組だった.その「スタンプ」の収集でもしてみようか,という気持ちもあったのだが,時間がかかるのと,色々と「制限」があって「そうそう何度もできるものでもない」ことから「放置」されていた.

 そんな背景もあって,かつては,郵便局めぐり「100円テーリング」の通帳などを入れておくビニールポーチに「同居」していたこともあったのだが,いつの間にか「分離」された上に,郵政民営化で「100円テーリング」まで頻度が少なくなったため,まして「献血手帳」のことなど,すっかり忘れてしまっていた.

 

 現在は「カード式」の「献血カード」に変わっているようだが,当然ながらスタンプなどは押せない.

 リライト式で,直近3回までの履歴は「都道府県」単位(正確には「赤十字血液センター」単位だが現在は各都道府県に1か所と集約されているので同じこと)で印字はされるが,それ以前は見えなくなる.

 会員サイトに登録すれば,マイページからもう少し前まで見ることができるらしいが,それでも直近10件までだそうだ.

 

 ということで,無事に履歴が見付かったので,それも反映した「献血カード」が発行された.

 どうやら本当に20年前の2004(平成16)年にしていたようで,しかも今回(1月11日)と同じく「ぞろ目の日」の2月22日だというのだから恐れ入る.

 

 それよりも気になったのが,カードに印字される「献血者コード」だ.

 「2桁-8桁」形式の10桁で構成されているのだが,これはもしかすると,最初の2桁で「初回の献血地」が絞り込めたりするのでは,と「番号系」マニア的に直感する.

 

 そこで,献血後に調べてみた.

 

 予想は見事に的中し,この「最初の2桁」は,最初に献血した(献血手帳や献血カードを発行した)会場が属する「赤十字血液センター」のコードらしい.

 現在は,各都道府県に1か所ずつと集約されているのだが,かつては都道府県内に複数の血液センターがあった事例も少なくないため,少なくとも「01~78」のコードが割り振られているようである.

 これを網羅した情報は,まだ見付けられていないのだが,9つを除いて把握されている資料までは発見した.

 

 筆者の「献血者コード」の上2桁は「01」で,これは「東京都赤十字血液センター」のコードらしい.確かに,20年前に行ったのは,新宿駅の西口地下にあった(多分今でもある)「献血ルーム」だと記憶している.

 

 この血液センターごとのコードは,「01」が東京都なのに,「02」から「58」は北海道から沖縄県まで「北から南へ」概ね「JIS」や総務省の都道府県コード順に附定されている.一部,都道府県内に複数あったり,設置のない県があったりもする.「59」以降には法則性がなさそうなので,その後に開設された順番なのかも知れない.

 「01」だけが妙に浮いているのだが,これは元の「中央赤十字血液センター」のコードを,現在の「東京都赤十字血液センター」に引き継いだ(沿革を読むとそのような経緯もあるっぽい)ためではないかと思われる.

 「02」から「06」までが道内の血液センターらしいが「05」が欠番(というか「不詳」)なのは,いち早く「北海道赤十字血液センター」に吸収された「北海道室蘭赤十字血液センター」に割り当てられていたのではないか,と推測.

 また「16」から「18」が欠番なのは,「15」が「千葉県千葉赤十字血液センター」で「19」が「東京都西赤十字血液センター」(その前身は「東京都八王子市赤十字血液センター」だったが立川市に移転して改称)であることから,都内で統合されたセンターの名残ではないか,などと読み取れる.

 「25」が「長野県赤十字血液センター」で,「27」が「岐阜県赤十字血液センター」,そして「26」が欠番であるので,もしかすると「松本」あたりにもセンターが存在したのか,なども想像できる.

 

 現在,献血をする際には「本人確認」が行われることから,既に交付されている「献血者コード」がある場合には,新たな「献血カード」の交付を受けて複数の「献血者コード」を持つことができない(氏名が変わったりすればすり抜けてしまう可能性はあるが).

 そのため,確認するのは難しいのだが,統合でなくなってしまったセンターのコードが,今でも割り当てられるのか,残ったセンターのコードしか「新規発行」はしないのか,は定かではない.

 しかし,20年前の段階で「東京都赤十字血液センター」内の個別番号8桁が「08……」で始まるものになっていたことから,人口規模の大きい都道府県だと,コードの枯渇の可能性も考えられる.そのような都道府県の場合には,従前に複数のセンターがあったケースがほとんどだろうから,コードの「有効活用」の観点からも,そうなのではないか,と推測している.

 

 なお,献血回数が一定に達すると,記念品が貰えたり,表彰されたりすることもあるようだが,献血できるのは69歳まで(しかも65歳以上は60歳以降に献血歴がある場合に限られる)であり,年間1,200mlまで(つまり実質年3回まで)という制約があるので,もう年齢的にはちょっと無理だ(どう頑張っても50回に届かない).

 

 実は,長男は生まれた翌日に「手術」を受けていて,この際に「輸血」が必要になった.

 輸血歴があると,何年経っても献血をすることができない.これは「未知の血液感染症」の存在を否定できないためである.

 長男が「輸血」の世話になっているのに,それを本人が(16歳となった今でも)「献血」で返すことができないため,いつか自分が「献血」しなければ,という思いは持ち続けけていた.

 前述した献血は「20年前」なので,長男が生まれる前のことである.

 

 表彰は無理だとしても,あちこちで「献血」した履歴を多少は残すことができるのだから,今後も機会があれば「献血ルーム」に立ち寄ってみようか,とは思う.