当初は2日目の冒頭に予定していたのだが,旅程が1日延びたことによって最終日にシフトすることになった.

 

 朝食後,宿を出て「はこだてライナー」でまずは函館に移動.

 函館駅の「道南いさりび鉄道専用」の券売機で,五稜郭接続・木古内までの「こども」運賃の切符2枚を購入する.

 障害者割引を適用させようとすると,函館駅の「みどりの窓口」で購入するか,このように小児運賃で購入して有人改札で手帳の確認を受けるか,ということになる.障害者本人が「小児」の場合には,窓口で買うかワンマンの「車内精算」にするほかない.

 

 函館8時53分発の,普通122D・木古内行は,この辺りのJRの普通列車と同様,キハ40形の「単行ワンマン」.


 ただし,車両は同社所属の車両が充当されており,1両ごとに塗装が異なっている.


 今回乗るこの列車に充当されたのは,オレンジ色(MAXコーヒーみたいな色,と言えばおわかりになる方もいるかも)のキハ40 1812だった.


 セミクロスシートの車内は,さほど混んでおらず,クロスシートにも,各ボックス1~2名の乗車のままて,終盤は空いているボックスも少なくなかった.


 進行左側が海側となり,クロスシートの窓枠の下には「天気が良い日は函館山が見えます」と書かれたプレートが貼付けられていた.

 五稜郭を出て,函館本線から道南いさりび鉄道のレールに転じる.

 次の七重浜(近くに「七飯町」もあるが「え」に宛てる漢字が異なっているので要注意)辺りで,斜め向かいのボックスに座っていた男性が,突然座席から崩れ落ちた.
 函館駅を出る直前に乗ってきたと記憶しているのだが,座った直後から,何か具合が良くなさそうだな,とは思っていた.
 男性の隣(こちらの前)のボックスにいた家族連れらしき人が,大丈夫ですか,と声をかけたり,救急要請の電話をかけたりしている,
 次の東久根別で降ろしたほうがいいのか,上磯などまで行ってしまったほうがいいのか,と思いつつ,ワンマン運転の運転士に「車内急病人発生」を報せに向かった.
 どうやら,熱中症のような症状に見え,近くにいた人がたまたま未開封だったペットポトルのお茶を渡したりしているうちに,東久根別に到着.
 東久根別駅は,上磯に市役所のある北斗市の中心市街地から見れば「はずれ」になるが,函館市街から住宅や店舗などが立ち並ぶエリアとしては繋がっており,ここで降ろされても困ることはなさそう.むしろ,上磯周辺には「病院」がない可能性もあり(流石に診療所はあるとは思うが急患対応までは厳していだろう),函館市街に近いほうが選択肢が多くなりそうにも思う.


 東久根別駅で停車し,5分ほどしたところで救急車が到着.救急隊の担架によって,男性は搬送されて行った.

 所定9時07分発の東久根別を発車したのは,9時25分頃.
 18分ほど遅れており,長男が不安に感じるといけないので,実質は数分以内の遅れで収まる筈だと説明する.
 というのは,この列車の上磯発は9時16分が定刻で,次の茂辺地が9時40分発.出版物などの「時刻表」では,「着時刻」が掲載されている駅が限られているため,すぐにわからないのだが,いくら(駅間が長いことも少なくない)北海道とはいえ,この一駅で24分もかかる筈はない.
 下り列車(起点は五稜郭で終点が木古内だが,津軽海峡線時代からの本州直通列車中心となったままで,本来とは逆向き)の時刻表と見較べると,函館行125Dも茂辺地9時40分発となっている.この路線は,全区間が電化単線の筈なので,茂辺地で交換のために暫く停車することが読み取れる.
 他の列車の所要時間と比較すると,概ね10分もあれば上磯-茂辺地間を走破できると思われるので,茂辺地では13~14分は停車する筈だ.
 そうなると,仮に東久根別の発車時点で18分遅れていたとしても,4~5分遅れまでは確実に取り戻せるだろう.実際には,更に「回復運転」も入るだろうから,木古内にはほとんど送れずに着けるのではなかろうか.

 この列車に乗っていても,乗客の多くは上磯までに下車してしまったのだが,運転本数自体,上磯で半数が折り返す運用になっている.
 そのため,旅程的には木古内までの列車に絞る必要があるのだが,函館6時50分発の始発列車では流石に速過ぎ,その後は7時07分発,7時42分発と上磯止まりが続いてしまい,この8時53分発まで木古内行の列車がない.
 10時08分に木古内に着いたら着いたで,函館に戻る列車も11時16分までない.それで函館に戻ったとしても12時21分着になってしまう.
 そこで,最初(まだ3泊4日で計画していた頃)は,2日目に「山線」に向かう前に,この8時53分発に乗って木古内まで行き,新幹線で新函館北斗へ戻って,新函館北斗11時05分発の特急「北斗9」号で……と考えていた.
 旅程が一日延びたことによって「道南いさりび鉄道」は最終日に回ってきたのだが,それ以外は「北海道・東北新幹線で帰る」だけなので,急ぐ訳ではない.しかし,木古内で1時間以上あっても持て余しそうだし,昼食にも些か早過ぎる(1988年に木古内を訪問した際には,駅前の食堂で遅めの昼食を取った記憶があるが).
 いずれにしても,新幹線で帰るためには新函館北斗駅に戻る必要があり,新函館北斗駅前の宿に荷物を預けてあることもあって,新幹線で新函館北斗へ,という部分も含めて2日目から最終日に移すことになった.

 上磯-茂辺地間には,青函トンネル開業後の列車増に対応するため,1990年に矢不来信号場が設置されている.
 比較的,海岸線の近くを通る「本線」から,若干ショートカット気味に山側に「待避線」が設けられているのだが,この待避線が(超大編成になりがちな貨物列車に対応できるよう)600メートルほどある上に,2本のトンネルまであるため,一見すると「複線区間」のようにも(実際,乗降設備のない信号場なので,強ち間違ってもいないが)見える.


 乗っている122Dは,この待避線に入り,暫し停車.トンネル外の区間に停車したので,窓から海沿いの「本線」を,貨物列車が通過していくのが見えた.

 本線側で貨物列車が待っていた訳ではなさそうだったから,貨物列車も同様に遅れていたのでなければ,本来は茂辺地駅で,この貨物列車と125Dの2本と続けて交換するのが「所定」だった可能性もある.


 定刻通りの運転だった場合,茂辺地で24分も停車するのであれば,駅から2~300メートルほどの94021:茂辺地郵便局に行けなくもなさそうだが,1995年7月に訪問済.この時は,函館市内で何局か訪問した後,江差線(当時)でも巡ったらしい.


 そんなことで,次の渡島当別も,駅舎内に94050:渡島当別郵便局があるという点で一部の人には有名なのだが,その時に訪問済なのでスルー.そもそも,渡島当別駅の停車時間は僅かだった.

 道南いさりび鉄道は,元々JR北海道の江差線(の一部)だったが,北海道新幹線が新函館北斗まで開業することに伴い「並行在来線」としての位置付けとなり,JRから切り離され,第3セクター化された.
 JR江差線,古くは国鉄江差線は,五稜郭から江差までの路線だったが,2014年に木古内-江差間が廃止されている.木古内からはかつて,松前までの松前線も運転されていたが,1988年の青函トンネル開業に先立って廃止されてしまった.
 ただし,木古内駅は,江差線が(JR的には)廃止となると同時に北海道新幹線の駅となったため,JR駅としては継続して存在していることになる.
 残っていた江差線(五稜郭-木古内)については,青函トンネルを含む「海峡線」と,本州側の津軽線(の一部)を通して「津軽海峡線」と通称されていたが,旅客輸送に関しては「海峡線」部分を「標準軌」に改軌(正確にはレールを1本「増設」した3線軌条として「狭軌」のままの貨物列車も走行可能に)して北海道新幹線用に転用している.


 貨物列車は,速度差があるため時間帯の制約があるものの,従来の「狭軌」のまま通過でき,木古内駅の手前で新幹線線路と分かれた後は,道南いさりび鉄道線を経由して五稜郭・函館,あるいは道内各地へと向かう.


 貨物列車と同様にすれば,旅客列車も青函トンネルを通過することは,現在でも可能であり,実際に「団体臨時列車」として「TRAIN SUITE 四季島」などが運転されることがある.やろうと思えば「カシオペア」「北斗星」などの「復活」も不可能ではない.

 このような経緯から,津軽海峡線時代の名残(と,トンネルを通過する貨物列車をDLで牽引する訳にもいかないの)で,道南いさりび鉄道は全線が「電化」された路線になっているが,旅客列車は全て気動車(ディーゼル車)での運転である.
 道南いさりび鉄道が路線を保有し列車を運転する「第一種鉄道事業者」であり,貨物列車を運転するJR貨物が他者の路線に列車を走らせる「第二種鉄道事業者」なのだが,架線などの電化設備も道南いさりび鉄道の資産なのだろうか.
 現状では,JR北海道から譲渡された9両のキハ40形が在籍しているが,そもそもキハ40形自体が相当に古い車両でもあるし,いずれJR北海道で不用となった電車が譲渡されたりはしないだろうか.需要的には,3両編成を貰っても困るかも知れないが.と思ったのだが,現在の運行形態になった際,新幹線に合わせて交流2万ボルトから2万5千ボルトに昇圧されているため,そのままでは無理そうだ.


 終点・木古内には,定刻の10時08分から1分ほどの遅れまで回復して到着した.


 ワンマン運転のため,降車時は前方ドアから出るのだが,木古内は有人駅かもと思っていた.

 前方まで行くと,運転士が運賃箱の傍に立っていたので取り敢えず,函館駅の券売機で買った「乗車券」を提示.

 運賃箱に入れろというよりは「どうぞ」的なジェスチャーを返されたので,てっきり駅の改札口で渡せ,ということだと思った.

 ところが,跨線橋のような階段を上がると,改札口どころか駅舎内には人っ子一人おらず,無人駅だったらしい.
 特に「記念にくれ」などと言ってもいないのだが,乗車券には,自動改札ではなく有人改札を通ったために,改札の「チケッター」による日付印が押されていたため,運転士が何か特殊な切符と勘違いした可能性もある.


 駅舎内には,新幹線開業前の駅名標や,今はなき道内で活躍した列車のサボ,ヘッドマークなどが展示されていた.



 駅前には「トロッコ鉄道」の案内看板も出ていた.


 どうやら,廃線となった江差線の一部を活用して,足漕ぎ式のトロッコ(元は保線用の車両だったものを改造したらしい)で往復し,往路(登り勾配)では動力車の後押し,復路(下り勾配)を足漕ぎで,という仕組みのようだ.

 ともかく「道南いさりび鉄道」も完乗.
 筆者は,江差線の時代に江差まで完乗しているが,第3セクターとなってからは初である.