ブログタイトルに,アマチュア無線家っぽい看板を掲げておきながら,そういった話題を書いたことがなかったように思うので,改めて.
 ただし「なんちゃって」2アマなので,技術的なことよりは,マニア的なことしか書けそうにない.

 

 筆者の年齢で,アマチュア無線のコールサインが「JA1APL」であることに違和感を持たれるのは,恐らくアマチュア無線が「最盛期」だった1990年代前半に「現役アマチュア無線家」だった方(引き続き今でも現役の方も含む)だろう.

 本来のアマチュア無線局に割り当てられる「呼出符号」の順序からすると,「JA1APL」が割り当てられたのは,1950年代のこと.生まれてすぐに局免許を取ったとしても,もう60歳を超えていてもおかしくないのだ.
 最も無線局数の多い関東管内(J#1エリア)で,サフィックス2文字のコールサイン(JA1##)が枯渇し,3文字サフィックス時代に突入したのは,1954年7月のこと.そして,プリフィックス「JA1」が枯渇し,次のプリフィクス「JH1」が発給され始めたのは,1966年10月のことだった.つまり,筆者が生まれる前に「JA1」は使い果たされていたのだ.
 もっと突き詰めると,1958年当初(この時期に信越管内を「JAØ」に移行して空いた「JA1」の2文字サフィックス(JA1WA以降)を再利用したらしい)には既に「JA1BQ#」前後が発給されていたようで,1956年前後には「JA1APL」は割り当て済みだったと思われる.その頃には,筆者の親ですら小学生だった筈だ.

 

 ところが,1990年台前半をピークに,アマチュア無線をする人が急増した時期がある.
 元々,人口が飛び抜けて多い関東管内なので,当然アマチュア無線局数も段違いに多く,あっという間にコールサインが枯渇してしまう.

 

 国際的に日本の無線局に割り当てられている「呼出符号」は,「JA~JSもしくは7J~7Nまたは8J~8Nで始まる文字列」で,そのうち「小笠原諸島(沖ノ鳥島を含む)及び南鳥島を除く本土及び周辺諸島」(以下「本土等」)のアマチュア局では,「JB~JD」で始まるもの以外が割り当てられる.「JD」は小笠原や南鳥島で使用されるが,「JB」と「JC」はアマチュア局では使用されていない.
 「8J~8N」は,記念局などの特殊用途に限定されているが,ほぼ「8J」か「8N」が使用される.例外として思い出すのは,2002年のサッカー・ワールドカップ開催時の決勝開催地・横浜の「8M1C」.これは,1エリア内に同趣旨の記念局が3局開設されたため,プリフィックス不足を起こしたためと思われる.また「西暦2000年」を記念した局も3局開設され,そこでも「8M2000」というコールサインが使われていた.例外は,そのくらいであろう.
 なお,かつては「8N」は,外国人でも運用できる記念局,というような「棲み分け」が不文律として存在していたが,今はあまり意味がないようだ.

 また,比較的新しい「7J~7N」の所謂「7(セブン)シリーズ」のうち,先頭の「7J」は外国人が開設するアマチュア局用として使用されていたが,免許人の国籍による区別がなくなったことによって,現在では新規発給されていない.


 残る「7K~7N」については,本格的なコールサイン不足に陥った関東管内でのみ,1990年から2003年にかけて発給されたが,プリフィックス4つ程度では「焼け石に水」だったようで,3文字目のエリア番号として使用される部分が,関東管内を表す「1」だけではなく,「2~4」も使用された.「7K2XXX」は,2エリア・東海管内のアマチュア局ではなく,1エリア・関東管内の局なのだ.

 

 その「7シリーズ」に突入する前,コールサインの「再割当」が行われている.他エリアへの転出や廃局,失効して一定期間使われなかった「空きコールサイン」を再利用するものだ.
 元々,

 

JA⇒JH⇒JR⇒JE⇒JF⇒JG⇒JI⇒JJ⇒JK⇒JL⇒JM⇒JN⇒JO⇒JP⇒JQ⇒JS

 

の順に(JR6QUA以降とJS6の全てを沖縄に割り当てている九州では,その部分を除いて)発給されていたが,1985年にはとうとう,1エリアで個人局に割り当てできる(サフィックスが「Y」か「Z」で始まる3文字は社団局用のため)「JS1XZZ」まで達してしまい,再割当に突入している.

 当初の割当時には,筆頭の「JA」に続き「JH」と「JR」が先行して使われたが,再割当の際には「JE~JS」をアルファベット順に割り当てている.
 ところが,その「再割当」も1990年には終わりが見えてくる.「JQ1」の再割当に入ったは良かったが,JQ1後半は,元々1984年の発給.5年の有効期間を経過した後,元の免許人が申請すれば同一コールサインを割当される優先期間の半年を勘案すると,まだ「他の免許人に割り当てられる期間」に達していなかったのだ.
 そこでJQ1の再割当は,前半で終了.次の「JR1」は先行して発給されているコールサインなので,空いていれば割り当てできたが,それでも1990年1月から4月の僅か3か月そこそこで使い果たし,元々1984年から1985年にかけての発給だった「JS1」には,転出や廃局などによる僅かな再割当可能なコールサインしかなく,1日ももたずに終了.そのまま「7K1」の発給に突入となった.

 

 コールサインと言えば「J」で始まるものと思い込んでいる人が多かったため,当初はかなり混乱していた.いくら「セブン・キロ・ワン……」とフォネティック・コードで伝えても「JK1」と取られたりしていね局があったりした.「J」の正式なフォネティック・コードは「ジュリエット」だが,国内では(特に先頭の文字の場合)「ジャパン」と表現する局が少なくないことも影響していたかも知れない.「セブン」と「ジャパン」は,アクセントの位置が違うとはいえ,日本式発音の音節数と末尾が「N」で共通している.
 逆に,この「7シリーズ」が定着してくると,例えば筆者が運用していた社団局の「JN1ZCT」が,よく「7N1ZCT」と取られてしまったりした.「7J」を除き,「7シリーズ」にサフィックスが「Y」や「Z」で始まる社団局がないことを知っていれば有り得ないのだが,しょっちゅう間違えられた.

 

 これも「7N1」までのうちは,まだ「エリア番号」(に相当する部分)が「1」であっただけマシで,1991年に「7K2」の発給に突入してからは,もう混乱の極み.
 最早,関東の局であることすら判り難いため,この時期に関東で運用していた局の中には,実家などがあるエリアの局免許で移動運用し,「J#*###/1」とあえて関東での移動運用を表す「/1」を付す,という手段の人も少なくなかった.


 勿論,常置場所を離れた移動運用だから,空中線電力も50W(1200MHz帯は1W)以下に制限されるが,所謂「アパマン・ハム」がよく使うであろう144MHz帯や430MHz帯は,元々,資格に関わらず通常は50Wまでしか免許されないし,3アマ以下ならそもそも周波数帯に関わらず50Wまでしか免許されないから,あまり関係ないのかも知れない.

 微妙なのが,当時,都市部では混雑の極みだった144や430MHz帯を避けて,ローカルラグチューや,それこそ「どこまで飛ぶか」の実験的通信(アマチュア無線はこれが本旨)などでトライしていた1200MHz帯.
 これは常置場所では10W,それ以外では1Wまでしか免許されないので,伝搬実験的に行う場合には,移動運用ではダメ.

 筆者の場合,最初に4アマの従事者免許を取得したのは1992年2月.この時点で局免許も受けていれば,「7K2」か「7L2」の割り当てだったと思われる.
 ところが,当時はまだ貧乏学生で(今でも貧乏かも知れないが),無線機を購入する資金に乏しく,すぐには開局しなかった.勿論,(本当はいけないが)無線機なしでも局免許を申請する方法は知っていたが,実際に運用できないのでは意味がないので,暫く放置.


 就職後,やっと無線機が買える程度には余裕ができたが,結局,局免許は1993年の暮れに受けている.最早「7L3」まで達していた関東管内の個人局として開局する気は萎えていて,たまたま旧知のアマチュア無線家がいたことで,構成員としての承諾を貰って社団局として申請.そこで発給されたのが「JN1ZCT」である.

 ちなみに,筆者がアマチュア無線を知るきっかけになったのは,そもそも所管が同じ「郵政省」(当時)だった郵便局を巡ることが趣味だったため.その趣味の「大御所」のお一人だった故JR1HHL・鈴木OMが,アマチュア無線雑誌の「CQ ham radio」誌に「郵貯YOU」というコーナーを連載していることを知ったことによる.
 そのため「JN1ZCT」も,その郵便局巡りの愛好家団体(筆者は副会長相当職)の「アマチュア無線部」という位置付けにしているが,前述した「旧知のアマチュア無線家」も「同好の志」である.
 何にせよ,「これで『郵政省』に認知された」と主張していたが,郵政省は,その後10年ともたず消滅してしまった.


 郵政省がなくなる前に,と,一念発起して,「郵政大臣」銘の従事者免許が欲しい!という一念で,1999年12月期の2アマ試験に合格.アマチュア無線技士の場合,3級以下は「電気通信監理局長」(当時,現在は「総合通信局長」)銘の免許だが,2級以上は「郵政大臣」(当時,現在は「総務大臣」)銘なのだ.
 モールス信号(当時の2アマは1分45字の音響受信2分間が必須だった)を一夜漬けで憶える,という阿呆なことをしたが,それで合格するとは思っていなかった.実際問題,1994年には3アマにはなっていたが,それから20年余,CWで交信したのは数えるほどしかない.

 

 前述したように,最初は社団局で運用していたが,JARLの会費も高いし,色々と制約もあるので,いっそ個人局も開設しようと考えた.
 しかし,3アマを取得した1994年頃の1エリアコールサイン発給状況は「7M3」に入ろうか,という時期で,もたもたしていると「7N3」どころか「7K4」になってしまいかねない状態だった.

 実際「7K4」は1995年の半ばから発給されている.ただし,アマチュア無線局数としてはこの辺りが「ピーク」で,この頃から進み具合は遅くなっている.
 元々,「3文字目はエリア番号」という慣習を破棄して,1991年に「7K2」に突入する直前に郵政省が決定したのは「7K2~7N4を関東管内のアマチュア局に割り当てる」ということ.そこまでにアマチュア無線局の数が「収束」する,と読んでいたのなら凄いが,実際のところ,1994年から携帯電話の「売り切り制」が始まったことが大きいのだと思う.
 当時は「もしかすると7K5~7N7が2エリア,7K8~7NØが3エリア,とかやるのか」という珍説も登場したが,結局,1エリア以外で(「7J」を除く)「7シリーズ」に手を出す羽目になった電監(総通)局はなかった.

 

 筆者は,個人局を開設するに当たり,8エリア(北海道電監管内)の知人住所を借用(当然,本人から承諾書を貰って)し,「JJ8HFE」として免許されている.これを「JJ8HFE/1」として運用しており,1200MHz帯での「伝搬実験時」のみ社団局運用,というスタイルで3~4年ほど運用した.
 しかし,その後転居やら何やらで,下ろしてしまったアンテナを,また上げるほどのモチベーションがなかったため,QRTしてしまったが,局免許は継続させていた.再割当の対象になるようなエリアではない(現在でもまだJM8が発給中である)のだが,コールサインが「アイデンティティ」の最たるモノだという思いがある(尤も,1エリアの局免許が生きている間は意味が薄く,現在は失効しているが,たまたま1エリア免許を切らしてしまった時などには「予備」として生きていた).
 そして,社団局の局免許も切らしていない.というのも,この局,10.1/10.4GHz帯までの免許があったりして,一度切らすと申請が面倒になってしまうのだ.

 

 その個人局免許が失効した1999年には,6エリア・九州管内でも,「JQ6」の割り当てが終わりに近付き,「再割当」に突入することが確実視されていた.6エリアは,歴史的経緯から「JR6」の後半部分と「JS6」の全てを沖縄に割り当てているため,元々「有効なコールサイン」の枠が少なく,「JQ6XZZ」に達すれば,再割当開始になることになっていた.
 1エリアに続いて,3エリア・近畿管内(1991年~),そして2エリア・東海管内(1992年~)でも再割当が進行していたが,ともに1エリア同様「JE*」からのアルファベット順で,「JA*」は再割当における使用対象から除外されていた.
 ところが,6エリアの再割当が始まる前に,今後の再割当からは「JA*」も使用する,と郵政省(当時)からのアナウンスがあった.
 (ということで,現在「JS2」の再割当が進行中の2エリアも,これが終わると「2巡目の再割当」に入る際に「JA2」から始まると思われるが,現在のペースでは,あと10年ほどはかかりそうだ)

 

 そして,その1999年,1エリアのコールサインは,例外的な指定を受けていた「7シリーズ」の末尾である「7N4」に入ろうとしており,最早,往時ほどのアマチュア無線局数(或いは開局数)になることはなさそうで,「7N4」の次には「JA1」からの再割当(2巡目だが「JA1」は初の再割当)が始まることが決定的になった.
 かなり減少していたアマチュア無線家のうちの,更にごく一部では,この「JA1」の再割当がいつ始まるのか,が話題になった.


 ちょうどその頃,筆者も一時よりは熱が冷めていたとはいえ,多少,関心と興味を持ち直し,どうせなら「JA1」のなるべく早いあたりを狙って,(既にある8エリアの個人局とは別に)開局申請をしようか,と考えた.

 

 この頃のコールサインの割当状況は,JJ1WTL・本林OMのサイト「callsign.jp」に詳しい.

 http://motobayashi.net/callsign/result/result-ja1.html

 これによると,2003年の6月20日に「7N4」の割当が終了し,同日「JA1」の再割当がスタート.通常,申請書を郵送してから免許が発給されるまで半月から20日程度かかるとされ,実際に,その6月20日の夕刻に申請書を発送した筆者の場合も7月11日の免許になっている.
 JJ1WTL氏のサイトを見ると,7月11日免許組の数の多さは半端なく,前週の7月4日時点で「JA1ANB」までだった割当が,一気に「JA1BUB」まで進んでいる.11日組,即ち「JA1再割当に突入したのを確認してすぐ申請した」組のおよそ3分の2は,「JA1B##」になってしまったことになる.

 

 そう考えると,筆者の「JA1APL」は,その11日組の中でもかなり早い部類だったようで,運が良かったと思われる.

 

 なお,免許日から数日で免許状が届くのだが,7月4日付の免許組が免許状を受け取る頃になっても,筆者には届かず,11日組(以降)になることは判っていたのだが,そんな中,7月10日から15日まで北海道に出かけている.
 そのため,その時滞在していた礼文島で,11日付の割当状況が「JA1BUB」までと知って驚愕した.


「どんだけ,同じこと考えてる人だらけやねん(笑)」


 が,ちょうど帰宅した日に届いた免許状に「JA1APL」の文字列を見て,前記のように感じた次第である.

 

 勿論「どこの誰だか知らない人の『使い古し』よりも『新品』がいい」という意見もあろうが,コールサインに利用できる文字列の組み合わせには限界があり,特に人口もアマチュア無線局の数も多い1エリアの場合には,再割当の是非を論じても仕方ない.
 むしろ,コールサインが「憶えやすい」「言いやすい」「打ちやすい」ほうが重要で,その点では,ほぼ満点のコールサインに当たった,と思っている.

 

 以上,たまには「アマチュア無線家」らしいことを書こうと思って,昔を振り返ってみた話.