2023年4月1日


1人の人が亡くなった


ボクと同じ立場の人で


市役所のCWさんが毎月受給日に


預かった通帳と印鑑で支給額を届けていた。


月末


金がないのは皆同じなのに


いつも気遣い、


ラーメンやパックごはんを譲ってくれていた。


歯が悪くて食べれんからと。


嘘とわかっていても


笑顔でありがとうをいい


涙を堪えてエレべーターに乗った。


75歳の気立のいいおばさん。


引っ越しの時


部屋から歩いては出れんと言い張っていたのに


外の向かいのガレージまで杖をついて出てきて


見送ってくれた。


ボクは、それから始まる酷暑のツーリングなど想像もせず


いきなりヘルメットの中で号泣した。


それが最後の姿だった。


鮮明に焼きついて離れぬ


忘れえぬ思い出だ。


それから数回は電話で愚痴を聞いたっけ


あんたは裏切りもんや、とか


あんた以外誰も話を聞いてくれる人がいないとか。


金さえ用立てられたら


帰りたかったのに


たった9ヶ月で会えなくなるなんて。


慟哭とはこの感情を指すのだろうか?


しばらく経ってから


管理人を兼任している友人から


死去の連絡を受けた。


曰く


もし、死去前後に連絡したら


金の計算を放り出してここまで飛んでくるだろう。


生活を壊したくないから今、電話した、と。


ここでも泣けるではないか。


受給者。カツカツの生活を壊したくないから


動きようのない時を狙って


わざわざ連絡を伸ばしたのだと。


その方に今夜、半年ぶりに電話をした。


元気そうで。


でも色々な変化も伝わってきた。


それはおいおい。


とりあえず。


半年を迎える今


文字で


その方のこと


遺したかったのだ。



精一杯の


ありがとうと共に。