ダイアナ妃が亡くなった瞬間、ボクらはカメラ屋にいた。


そんな書き出しで始まるブログ。

今更携帯やiPadで撮影し、画像加工もしてるのに、どの口が言うんだ、と叱られそうだけど、

あの時、ボクは、時代が変わってゆく事を察した。

これはいわば『懺悔』の記録でもある。




唯一撮れなかったもの。


だから、守りきれなかった。


むしろ『彼女』は、ボクから『その人』を奪い去っていったからだ。


『彼女』は『その人』を見る影もなく変えてしまった。

母親とはそういう生き物なのだ。


ボクは、馬鹿馬鹿しくも、自分の『娘』に嫉妬してしまった。


『その人』を返してくれ、と。


何が、どこで、家族という歯車を変えてしまったのか?


『その人』との深い絆だったカメラ機材。


その絆にヒビが入った瞬間、それらは無用の長物と化した。


何故かまた、今更のようにフィルムカメラが流行ってるらしい。


反吐がでる。。。。


散々デジタルを美化させてきた奴らが今更?



今は写真、確かに撮るけど、それはただの記録。

アメブロに載せたら直ぐに消去していく。


もう、ボクには、『作品』としての写真は


撮れない。


いや、撮る資格が、無い。