僕たちは生きていると
いつの間にか自分というキャラクター
を演じて生きています。


このキャラクターを
気に入らないと思っても、
いきなりキャラクターを変えて生きていくことはかなり難しいと思います。(思わされています)


そのため、キャラクターを変えるため、
人生をリセットするために、
よくとられてしまう方法が
自死であると思います。


自分で自分というキャラクターを作っているならまだしも、ほとんどの場合は周囲から
「この人はこういう人だから」
という設定をつけられ、
それに従って生きている気がします。


これは、ゲームでいうと、
自分で自由に主人公のアレンジが出来るのに、
勝手に他人に設定され、
全然好みじゃないキャラクターで、
ゲームをやらされている状況です。


まぁ、
それでもゲームに夢中になっている時は、
楽しいと思いますが、
ある時に、ふと、
「この主人公のキャラ飽きたな。
キャラクターを変えたいな。
ていうか、違うゲームもしたいな。」
と思う時は必ずくると思います。


そんな時に、ゲームだったら、
リセットボタンをおして、
新たにニューゲームを始めるか、


新しいゲームソフトを買って、
新しいゲームを始めるか、


リセットして、
始めることが出来ます。


しかし、実際の人生、
僕たちが生きている社会では、
それが、とてつもなく難しいこと、
のように感じます。


そのために、
このゲームを辞める、
主人公を変えるためには、
自死しかないと、
思い込んでしまうことがあります。


しかし、それは、
絶対に間違っています。


勝手に、
手段が無いと思わされているだけで、
人生をリセットする手段は、
いくらでもあります。


ただ、今まで植え付けられてきた恐怖感から、
リセットする手段を見つけることが出来ず、
最悪の手段を選んでしまうんだと思います。


僕は、豊かな社会とは、
リセットをする時に、
自死以外の選択肢が、
数多くある社会ではないかと考えます。


リセットボタン押し放題、
(スーファミをイメージ)
というのは、社会の安定を考えると、
あまり良くないかもしれませんが、
少なくとも、今の日本社会よりは、
簡単にリセット出来る社会の方が、
素晴らしい社会であると思います。


そして、
リセットすることを周囲も受け入れる社会、
が整備されていくと、
生きていくのが楽になる気がします。


また、
前のゲーム楽しかったな、
またやりたいな、
と思ったら、
また戻れるような社会でもいいのかなと
思います。


社会の安定のためには、
「一本筋の通った人間」が
多く必要なのは分かりますが、

あの人毎年キャラ変わってるみたいな人が、
普通にいても受け入れる社会でも、
良いと思います。


人は自分が出来ないことを批判する生き物です。


他人のキャラが変わると

「あいつ、変わっちまったよな」

とか

「高校デビューしやがって」

とか

「この前言ってたことと違うじゃないか!」

とか

他人が変わることに対する批判が、
世の中には溢れています。


これはつまり、逆に考えると、
自分は変わることが出来ないから批判する、
つまり、
裏側には、
自分は出来れば変わりたい
という本心が隠れていると思います。


僕は、
今のキャラクターに飽きた時に、
自分をリセットしやすい社会、
そんな社会に貢献出来るよう、
自分なりに考えていきたいと思います。