一念三千の解説3 | ヴァルキュリアのブログ^^

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十如是の解説

 

十界論、十界互具では心の変化を表しています。

感情がどのようであるのかがわかるのは十界論です。

十如是とはどのようなものか。如是とはこのようなと言う意味で十如是の十とは、相、性、体、力、作、因、縁、果、報、本末究竟等と言う十種類の影響【法】となります。

 

 

諸法実相、所謂諸法(諸々の法の真実の姿、いわゆる諸法とは)からはじまり

諸法実相、所謂諸法

如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等。

このような影響【法】を表すと説明されています。

 

十界の心が動くと言うのは、このような法があるからです。

 

相とは、外見の見た目であり

性とは、その性質性格であり

体とは、実在している体の意味であり

力とは、その能力であり

作とは、動かされる作用であり

因とは、受け入れる原因であり

縁とは、受け入れる出会いであり

果とは、その後確かに変化がある

報とは、その後の報いがある

本末究竟等とは、心が動いたことに気が付く、この瞬間、一貫性をもってこれらが内在しているとなる。

 

相、性、体は仏としての体の事でこれを三如是と言い、力、作、因、縁、果、報、本末究竟等の七如是は仏としてのその機能面となります。

どんな法を説こうとも、どんな影響(法)を受けようとも始めから終わりまですべてが自分の中にあることになります。

本は最初の境地のことで、末は法により導かれる境地、本と末とは究竟して等しいとなります。

 

十如是は三種類の観方が本質的にあります。それは、1法から観た場合、2主体者から観た場合、3法を定める者から観た場合です。

十如是には三回の朗読の意味があります、その理由はこの三種類の観方があるためです。

 

 

十如是をもう少し具体的に説明します。

変化をもたらせる作用があったとします。それは映画を見ている時かも本を読んでいる時かもPCをいじっている時かも、スポーツをして遊んでいる時かもしれません。

夏場なら熱いと感じ冬場なら寒いと感じる。

喉が渇いたら、飲み物を飲むそれは熱いかも知れないし冷たいかも知れない。

これは何を言っているかと言えばすべて変化をもたらせる【法】そのものです。これを『諸法実相』と言い真実の姿となります。

この映画を観ている時の心が、楽しんでいる状態だったとしましょう十界論では楽しむときの心が【天上界】です。この【天】の後に場面が変わり、イライラしたとしましょうイライラは十界論では【地獄】です。

そして、飲み物を飲み落ち着いたとします、十界論では落ち着きは【人】ですのでまた心が変わったとなります。

この場合はこの【映画】が主体の法です。そして飲み物を飲みましたその事でまた心に変化が起きます。この場合映画館、飲み物のように他の作用も同じく法としての機能があります、十界互具で感情が変わる事とその法はセットになるのです。

 

この映画と言う例えでもう一度登場人物に美女がいたとしてこうなります。

如是相、見た目がある

如是性、性格も性質もある

如是体、そして体がある

如是力、心を奪う力がある

如是作、ドキドキさせられたと言う作用がある

如是因、何らかの展開に発展するかも

如是縁、人生のターニングポイントとなるかも知れない

如是果、そしてあなたはどうなったのか

如是報、その出来事の報いとは

如是本末究竟等、何はともあれ自分の気持ちは変化した、それは確かに自分の中に内在した心そのもの

 

 

 

日々の出来事でどんなことを考えてどんな思考になりやすいかで人柄がわかります。

そして、その感情が変わる時には必ず【法】としてこの十種類の何れかが働きかけます。

十如是は【法】として、その影響をあたえ変化します。

 

仏界に気が付く法にはなかなか巡り合えませんが、自分自身を仏として法華経を観察すれば、他のどこにも仏様はいない、そしてそれは他の外にいるわけでも偶像の仏様でもありません。

自分自身に仏の性質があるのだと説かれています。