おはようございます。
山川紘矢先生のブログを拝読して
私の銀座スピ体験を書こうかと思いました。
(龍のお写真に触発されました。カッコイイ!)
私のファースト銀座体験は、小学生低学年のことです。
親戚の元外交官の方に会いにいった帰りに
銀座に寄ったと記憶しています。
私も妹も仕立てのよいコートを着て、
父も母も素敵な恰好をしているイメージです。
和光の下を家族で歩き・・・夕暮れ時で、街灯がきれいだった。
大人になってからもちょこちょこ行っていたのですが、
すべてがお高いのでウィンドーショッピング専門。(笑)
それでも、あの通りを歩くと、なんか幸せな気分になるのです。
やはり、幸せな思い出があるからでしょうか。
そして、5年前。
9年にわたる見殺しに近いハードワークの末、
ある朝私は仕事用の服に腕が通せなくなりました。
戦闘服と呼んでいたお気に入りのICBのニットセーターに腕が通せない。
腕をいれても、すとんとセーターを落としてしまう。
15分ほど、自分と格闘し、
「ああ、終わっちゃった」と思いました。観念しました。
「会社に退職を申し出るためなら服が着られる?」
と自分に問うてみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「嘘じゃない。ほんとにそのためにいくからさ。
ただ、無断欠勤はできないよ。ちゃんと断らないと。」
・・・・ ・・ ・
体の固さが和らいだ感覚があったので、
ニットに腕を差し入れたところ、着ることができました。
(このころの私は本当に現実主義拝金主義で、
そのような問いかけを自分自身にしたことも驚きなのです。)
そこで、会社に行って上司と話をし、一週間休職で折り合いをつけ、
会社を出ました。
『このままうちには帰れない。
うちに帰って、一人になったらたぶん死んでしまう。』
これだけは確信としてありました。
駅に向かい、東京行きの普通電車に乗りました。
東京に着き、向かったのは銀座でした。
標識とかみなくてもたどり着ける場所。
銀座和光にたどりつき、交差点でぼんやりしていました。
時計台を見上げて、
「いつもならお昼でランチしにいっているのに、
私はこんなところにいる。」
朝、起きてから6時間あまりで、
あまりに非常識な体験をしてしまったことに、
そしてそんな行動をとってしまった自分に呆然としていました。
「これからどうしよう?」
どこにいってもいいといわれると
半端な願望には標識も全部灰色だ
宇多田ヒカルさんのうたみたいでしたね。
ただ、灰色どころか「まっちら」
半端どころか「なにもない」(笑)
ほんと呆けた状態。
すると、交差点の角に立っている托鉢のお坊さんが目に入りました。
ふら~っと近づき、お布施させていただいたところ、
五鈷杵をしゃんしゃんとふってお経を唱えてくださいました。
そこまでしてくださるとは思っていなかったのでびっくり。
そして、お坊さんは私の目をしっかりと見据えて
「気をつけておいきなさい。」
と言ってくださいました。
その時、正気にもどったのです。
実在、プレゼンスの瞬間でした。
言葉にするなら「ああ!」でしょうか。
20年以上に渡る、会社生活、結婚生活…。
人の夢や願望や欲望ばかり叶えて、自分がまったくなかった。
それが自分の夢だと思い込んでいた。
その後、私は銀座のユニクロとザラで
コート以外の服を下着にいたるまですべて新調し、
(戦闘服を脱いで、ゆる系のコーデにしたのです。)
東京に宿をとり、今後どう生きるか考え始めたのでした。
で、今に至る、と☆彡(^^)/
7日の紘矢先生の勉強会の翌日も銀座に行きました。
和光前に行くと、このお坊さんがたっていらっしゃいました。
(毎日ではないそうですが。)
この方がいなかったら、私はどうなっていたのでしょう。
更に、子供のころの銀座体験がなかったら、
あの日ここには来なかった。
この世の仕組みはあまりに膨大で緻密で、私には到底理解できない。
ただ、今、命があることに、いろいろ体験できることに感謝です。
あと、5年前に私にセーターを着せなかった「何か」
あれが私のウニヒピリ?深層意識(真我)?ハイヤーセルフ?・・・神様?
呼び方は様々なんですが、確かにいらっさいますね!
私があまりにわからんちんだから
わかりやすい形で出てきてくれたのでしょう。「もう!この子は!」って。(笑)
ほんと感謝です。これからもよろしくお願いします。