前々から書こうとは思ってたけど書かなかったジェフクーンズについて書いてみようかと思います。
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ジェフクーンズとはまさに今、活躍されているアーティストさんで
現代の大量生産や大量消費。多くの場合、質より量が利益に繋がる経済システムの中でそれをアートを通して批評しつつも自分もそれに乗っかって、アートをビジネスとして成功させている方です。個人的には賢いという面ではすごいな思います。有名な作品には「パピー」、2360万ドルで落札された「ハンギングハート」など、他には陳腐でありふれたものをアートに昇格してしまう「バナリティ」のシリーズも有名だ。
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↑パピー
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↑ハンギングハート
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↑バナリティシリーズから

芸術作品が工場で生産されるような商品とは全くことなるものという考えが広く受け入れられてきた中、60年代頃からはアンディーウォーホールらを筆頭に、量産型社会そのものを批判し、同時にアートをして受け入れられるような動きが見えて来た。後にアンディウォーホール自身もgood art is good businessと語ったように、芸術作品を一つの商品として投資目的で運用したり、その製作に機械が入り込んだり、ジェフクーンズのように会社員を約120人雇い、巨大ビジネスとしてジェフクーンズをブランドのように扱う形の企業の出現に伴い、そういった常識が覆されている。
ジェフクーンズをアーティストとは呼べない、ビジネスマンだという捉え方も確かにあるものの、彼自身はメディアを通し、アートをビジネスを融合した形で自分の商品を売り、メディアに対しても上手く質問に答えている。
もちろん昔のどんな偉い芸術家だってお金が無くては食べてはいけないし、ルネサンスの芸術家達だって王族に注文されたものを大人数で製作したりとお金が関与しないということはほぼなかったと言えるが、こういった工場で生産されるアートは本当にアートと呼べるのだろうかと疑問も残る所。
ピカソだって有名ではあるけれども、晩年の彼は本当にどういう目的で絵を描いていたか定かではない。生きている間に有名になり、お金も儲かり、とてつもない額を稼いでいた。生きている間莫大な金額を稼ぎだしたアーティストといえばダリだってそう。自分の美術館も彼生きている間、製作に携わったものだ。
彼らの多くの作品が素晴らしいのはもちろん同意するし、私も彼らの作品が個人的に好きではあるけれども、作った作品からお金が生まれるのではなく、お金を生むための製作ということが、もしかしたら大量の作品を生む原動となったのかもしれないと言ったら、なんだか夢がないような気もしなくはない。
例えばドゥシャンプはthe fontainで有名な芸術家、トイレの便座に彼のサインを施し、これがアートだと言い芸術界に改革的な考え方をもたらしたのだけれど、
作品を見たときに、受け取る側の感じる考え方や思想、そういうものに価値を見いだす芸術の世界では、間接的に意味を読み取り、比喩でインパクトや見る人の心への変化など、見えない部分に価値を置くことで芸術作品の価値は材料費と比べたら比にならないほどの価値をもったりする。しかし、この目に見えない価値というものを利用して商品として売るのは明らかに今までの芸術家達とは違う。それが今、なんでもビジネスにしてしまえる世の中になり、ビジネスであろうがなかろうが、それも一つの選択の一つでしかなく、多様なアートの中の一つの形態として工場生産されたものも現に受け入れられている。それだけでなくマーケティングやブランディングもが介入して来てその商品販売の促進につなげたりだってする。
こえからはその方が普通で、お金を稼ぐための道具として芸術作品が運用されているという現状もなくなるとは思えないし、もしかしたらそれでもいいのかもしれない。
けれども目で見えないはずの価値にお金ではっきりとした数字をつける。実際に目に見えない価値あるものをお金で購入できてしまうという考え方というのはどういうものなのか。やっぱり私には全面的に賛成できない部分があるのは確か。 「ちょっと変だ」と違和感を感じるポイントだ。
前文にも述べたようにルネサンス美術も一人のアーティストではなく大人数が携わっていたという点でみれば会社の社員がつくる作品も一緒だという見方もできるのかもしれない。けれどもそこにはマーケィングなんてなかっただろうし、芸術家を有名にして作品により価値を加えようとか、宣伝費込みで値段をつけようという「計算」じみたことはそこまでなかったように思う。
むしろ芸術は宗教的な意味を持つものも多かったのだし。
まぁ…..しかし、こんなこと言ったってジェフクーンズが「僕のアートはスピリチャルなんだ」って言って退けることも知ってるけどね。