話は手術の翌朝から始まる。病室で朝日を感じた頃、目が覚める。
何事もなかったかのようにベッドの上で無事を確認する。
耳の付根辺りだけを切開したらしい。痺れる感覚はあるが特に痛みもなく良好であった。
それよりも、腹が減ってたまらなかった。手術が緊急で夜中だったし、点滴で滅菌している状態で医師の指示がない限り、ご飯お預けだった。唯一お茶ぐらいしか口にできなくて、嫌になってふて寝していた。
この日は外科医の先生が様子を見に通り掛かった。
夕方頃になって看護師がやってきて、昼も食べてないのにって、言ってやった。
個室だし誰も来ない。そのあと昼に作ったであろう食事が運ばれてきた。
1日ぶりで少ないながらも完食することができた。スマホで連れにLINEを送ることが出来たが、電池が底をつく。手元に充電器が無いので以降音信不通になる。
突然の入院だったので、入院手続きの書類すら書いてない状態でこの先半月過ごすことになる。当然、パンフレットも無く各病室のレイアウトとかの情報もない結果、廊下に出ては彷徨うこともあった。この頃から俺の世話係の看護助手と口論することになる。
まず、スマホの充電器が欲しかった。建物一階
のコンビニに売ってるらしいけど、買いに行けないし、頼んでも動いてもらえなかった。
何度も喋りにくるだけで嫌気が指していた。用事を全う出来ないなら、出来ないって言ってくれたほうが、諦めもつく話である。何か頼んでもイライラするくらい対応も遅い。(目下の誰かに命令してる感じ)
喋りかたと雰囲気も何処かの総務とよく似ているし若干うるさいくらいだった。
イヤなタイプと出会せたものだ。
検便の採取で喧嘩したが、何の目的で、どんな方法で便を提出するのか、説明すら
なかった。少し説教してやった。
結果その時は採取することなく、その人も泣きながら退散していった。
翌日だったと思う。先生から話を聴いて、
それは悪い事をした。って言ったのかなぁ。後にトイレに入り紙オムツに載せて、汚物だけど。って
看護師さんに取りに来てもらった。
その看護師さんは大笑いしていた。
2回目の採取のときもその子が来たので
応じることにした。
最初に来た人は後々だけど、人望の無さを露呈していた。何かにつけ上から目線でくるから、おとなしめの子からは敬遠されているような感じだった。とにかく、自分が上だからといって下の者にやらせようとする。1番嫌われるタイプである。
この人の下の子たちの方が、用事をよくきいてもらえるし、達成率と満足感も高かった。(看護助手1種と2種があるとか)
真夜中でも、トイレに行くために起きると
20秒以内に駆けつける子には驚いた記憶がある。どこからワープして来たのって
くらい敏速である。他にも時間外にコンビニに付き添ってもらった人もいたし、楽しく過ごせた。
11月が終わる頃、ようやくスマホの充電が可能になる。連れと会社と兄に
連絡ができるようになり、一段落する。
12月第2週の水曜日、隣県の友達2人が
面会に来てくれた。看護師さんと主治医の
話をしたのは、これが初めてである。
そのあとも兄が来てくれたので、ついでに
お袋の様子も見に行ってもらった。
兄と先生が話をするのも、この頃が初めて
だった。先生の挨拶が丁寧だったのをよく憶えている。
12月半ばに入る頃、別の看護助手さんの機転でようやく入院手続きの書類とか、パンフレット等が手に入る。
最初の看護助手の不手際さが露呈していた。(ちゃんと仕事しなさい! )
そのあとはお袋が2回ほど、面会に来てくれた。持ち込み禁止の物があったのと、洗濯物を持ち帰ってもらった。
兄には隣県ながらも、退院後も自宅の面倒をよく見てもらった。
対外的にはこんな感じで毎日が過ぎていった。