昨日は年度末の参観&懇談会。

Eさんと生ビール&カキフライランチしてから中学校へ。

学年懇談会では皆やや緊張した面持ち・・・
あの時もこの学年主任O女史の話を聞いていたんだっけな・・・
実は、去年のこの時が3.11だったの。

4階多目的ホールでO女史の紫スラックスを眺めながら
「こういうズボンて、どこに売ってるんだろうな」
って考えてたら、あれはきた。

あまりに大きくあまりに長い揺れ・・・。

「ちょっとやばくない?逃げた方がよくない?」
って言ってる人もいるけど、この揺れでは立っていることもできない。

ドアはふっとび、天井から何やらバラバラ落ちてくるけど、
こ洒落た学校のこ洒落たホールの机(アメリカ学生が使用してるような机と椅子がくっついてるようなやつね)は小さくて頭隠れないし・・・。

「大丈夫」と私の手をずっと握ってくれていたYちゃん曰く、
「あんな顔面蒼白なさっぴ~をみたことない。」
・・・実は二日酔いの時はいつも顔面蒼白なのですけど・・・

やっと揺れがおさまり、・・・手足ががくがく震えて生まれたての仔馬みたいになって階段をおりた。
幼馴染のCちゃん(例の住宅街おちっこ事件仲間)にモカリーヌを託し、
「この新しい中学校でこれなら、あのボロ小学校は全壊してるんじゃないか」と不安を抱きながら、
名古屋へお引越しが決まり、数時間前にさよならランチをしたタマミちゃんと
下の子がいる小学校へ走った。
みちみち、瓦が落ち、塀が倒れ、道がひび割れ・・・
モヤがかかったように霞んでいる。
後で分かったが、スギ花粉だったんだね。
あの日から花粉症発症した人が身近にいるし。
信号は消えてるけど、譲り合い、歩行者を渡らせてくれるすばらしいドライバーさんたち。

と・・・・タマミちゃんの携帯が鳴る。
電話に出たとたん
「今大地震でそれどころじゃないから」
ぶちっと切るタマミちゃん・・・
「名古屋からだった」
あ~あ、心配して電話くれたのでしょうに・・・
繋がったのは奇跡的でしたでしょうに・・・

そのまま小学校体育館にて避難所暮らしがしばらく続くわけだが、
そのお話はまた今度・・・

話がそれたけれど・・・

そんなわけで今年の参観は、震災を考える授業となった。

「僕は泣かない
 お父さんがいちばん悲しいから」
  3月11日以来涙を見せていない息子
 お腹に第二子を宿したまま亡くなっていった妻

津波で大切な人を失った父子の話を朗読しながら、涙でつまってしまう、先生。
私も涙がとまらない・・・
・・・あれ・・・泣いているのは先生と私と生徒一人みたい・・・。

この若い先生の伯父さんは一年後の今も見つかっていないそうだ。

この辺りも「忘れられた被災地」というけれど、
東北の被害に比べたら全っ然だ。

泣きたい時に泣ける私は幸せだ。

一日も早い復興と、こんな酷いことが二度と起こらないことを願う毎日です。