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大阪府北部を震源とする地震に係る防衛省・自衛隊の対応について
(11時00分現在)

平成30年6月19日
防衛省
※数値等は速報値であり、今後変わることがある。

1.災害派遣の概要

(1)要請日時

平成30年6月18日(月)12時00分

(2)要請元

大阪府知事

(3)要請先

陸上自衛隊第3師団長(千僧)

(4)要請の概要

給水支援

(5)発生場所

大阪府吹田(すいた)市、箕面(みのお)市、高槻(たかつき)市

2.災害派遣までの経緯

 平成30年6月18日(月)07時58分頃、大阪府北部を震源とする地震(マグニチュード6.1)が発生し、大阪府北部で最大震度6弱を観測した。
 地震の影響により、大阪府吹田市の国立循環器病研究センターにおいて断水が発生したため、18日(月)12時00分、大阪府知事から陸上自衛隊第3師団長に対して、給水支援に係る災害派遣要請があった。新たに同府箕面市及び高槻市においても、給水支援の追加要請があった。

3.防衛省・自衛隊の対応

(1)活動部隊

陸自
第3師団司令部(千僧)、第36普通科連隊(伊丹)、中部方面航空隊(八尾)、第3後方支援連隊(千僧)、自衛隊大阪地方協力本部、自衛隊京都地方協力本部、自衛隊兵庫地方協力本部、自衛隊滋賀地方協力本部、自衛隊三重地方協力本部
海自
第23航空隊(舞鶴)、第24航空隊(小松島)、徳島教育航空群(徳島)、舞鶴地方総監部(舞鶴)、阪神基地隊(神戸)
空自
第6航空団(小松)、小松救難隊(小松)、幹部候補生学校(奈良)

(2)活動規模

人員
約15名(延べ約95名)
車両
約15両(うち水タンク車1両及び水トレーラー5両)(延べ約55両(水タンク車延べ2両及び水トレーラー延べ約18両含む))
航空機
1機(延べ12機)

(3)主な対応状況

08時00分 08時04分       08時14分 08時15分   08時21分 08時23分 08時35分 08時37分 08時44分 08時46分 08時48分 10時05分 12時00分 13時00分 13時43分 14時10分 17時32分 17時45分
【18日(月)】
防衛省災害対策室設置。
防衛大臣の指示
1 関係府省庁及び自治体と緊密に連携し、情報収集に努めること。
2 被害が発生した場合に備え、万全な準備態勢を確立すること。
3 今後の状況の推移に的確に対応し、災害対応に万全を期すこと。
第23航空隊のSH-60×1機が離陸。
第6航空団のF-15×2機が基地を離陸。
第24航空隊のSH-60×1機が離陸。
中部方面航空隊のUH-1×1機(映像伝送機)が離陸。
中部方面航空隊のUH-1×1機(映像伝送機)が離陸。
第24航空隊のSH-60×1機が離陸。
中部方面航空隊のOH-6×1機が離陸。
小松救難隊のUH-60×1機が離陸。
小松救難隊のU-125×1機が離陸。
徳島教育航空群のTC-90×1機が離陸。
第36普通科連隊のFAST-Force(人員約5名、車両2両)が高槻市に向け駐屯地を出発。
大阪府知事から第3師団長に対して、給水支援に係る災害派遣要請
第36普通科連隊の給水部隊(人員約40名、車両約10両(うち水トレーラー4両))が大阪府吹田市の国立循環器病研究センターに向け駐屯地を出発。じ後、当該施設に対して、給水支援を実施。
第3後方支援連隊の給水部隊(人員4名、車両2両(うち水タンク車1両))が大阪府吹田市の国立循環器病研究センターに向け駐屯地を出発。じ後、当該施設に対して給水支援を実施。
第36普通科連隊の給水部隊が給水支援を開始。
第36普通科連隊の給水部隊(人員約20名、車両約5両(うち水トレーラー2両))が箕面市で給水支援を実施。
第36普通科連隊の給水部隊(人員約15名、車両約20両(うち水トレーラー7両))が高槻市で給水支援を実施。
  07時03分 07時15分 08時00分
【19日(火)】
前日に引き続き、第36普通科連隊等のLOが高槻市役所等で情報収集。前日に引き続き、第36普通科連隊等の給水部隊が給水支援を実施。
第3後方支援連隊の給水部隊が(人員4名、車両2両(うち水タンク車1両))が大阪府吹田市の国立循環器病研究センターにおいて給水支援を実施
中部方面航空隊のUH-1×1機(映像伝送機)が離陸。
第36普通科連隊(人員約10名、車両約10両(うち水トレーラー5両))の給水部隊が高槻市内で給水支援を実施

(4)給水実績

日付給水量備考
18日(月)約22t6箇所
◯ LO派遣先
大阪府庁、京都府庁、兵庫県庁、奈良県庁、滋賀県庁、三重県庁、大阪市役所、八尾市役所、柏原市役所、岸和田市役所、摂津市役所、和泉市役所、茨木市役所、大東市役所、交野市役所、守口市役所、堺市役所、富田林市役所、寝屋川市役所、高槻市役所、泉佐野市役所、貝塚市役所、羽曳野市役所、松原市役所、枚方市役所、高石市役所、箕面市役所、伊丹市役所、門真市役所、四条畷市役所、藤井寺市役所、吹田市役所、川西市役所、宝塚市役所、三田市役所、尼崎市役 所、大津市役所、太子町役場河南町役場、島本町役場、猪名川町役場、舞鶴市役所へ向け派遣。
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さすがに今は、牛や馬で耕す人はいなくなりましたが、耕運機でやる人もめっきり見かけなくなりました。
(水田は来年からの予定でしたが、耕作者の都合により、急遽今年からやることになりました。)(自家所有の水田をお願いしていた)

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ここは、もともと小さな水田がいくつもある水田でしたが、大型機械も入るように耕地整理されたところです。
(日本の棚田百選に選定されているところでもあります)
土地柄粘土質が強く乾けば固く、濡れれば粘りが強く、耕運機としては大きい方ですが、もう一回り大きなやつが欲しくなります。
耕運機でやってるのはここ周辺では私だけですが、村内では何人かいるようです。
楽しみながらの農業なので、収入ということもありますが、楽しみの方を重視してやっていきたいと思います。
長野県上水内郡(かみみのちぐん)小川村というところににある法蔵寺(ほうぞうじ)というところに行ってきました。
ここは通称「ねこ寺」と言われているところで、猫塚があったり、猫供養などもしているそうです。
このお寺に伝わる猫のお話です。
昔、法蔵寺には住職三代に飼われたという、大きな三毛猫がすんでおりました。ある朝のこと、和尚さんが起きてみますと、いつもとお袈裟の掛け方が違っています。不思議に思い手にとってみると、しっとりと湿っています。おかしなこともあるものだ、と部屋を見回すと、すみにうずくまっていた三毛がじっとこちらをうかがっているのに気づきました。目があうと、三毛は急いで横を向き、目をつぶってしらん顔をします。和尚さんは、首をかしげましたが、そのままおつとめに出ましたところが、次の朝も、その次の朝もそういうことが続いたのです。三日目の夜になると和尚さんは寝たふりをして、様子を伺っていました。三毛は、いつもの通りふとんの裾に丸くなって寝ていましたが、和尚さんがスヤスヤ寝息をたてはじめるとむっくり起き上がり、和尚さんの顔を眺めておりました、すると、ひらりとお袈裟かけに飛びつきお袈裟を外すと、肩にかけて部屋から出ていってしまいました。和尚さんはびっくり。「三毛め、お袈裟をどうする気なのだろう」和尚さんはこっそり起きると、気づかれないように三毛の後をつけていきました。三毛はお寺から少しはなれたお堂に入っていきます。不思議に思った和尚さんがそっとお堂の中をのぞいて、眼をまんまるくしました。何十匹という猫がお堂の中に、月の光に照されてきちんと坐っているのでした。そこへ三毛が入っていきました。そして、和尚さんが毎朝すると同じ調子で上座に直ると、おつとめが始まりました。猫のお経は、「ニャオン、ニャオン、アーウニャウエーウ」というように聞こえましたが、笑う者はおりません。チーンと鉦まで叩いて一生懸命でした、これには和尚さんもびっくりしました。「門前の小僧習わぬ経をよむ、というが驚いたものじゃ、猫が経をよみるわい」次の朝、三毛の顔を見ると、和尚さんはおかしくなリ頭を撫でながら「昨夜はご苦労だった。さぞ眠いだろうな。」といいました。すると三毛はよっぽど驚いたのでしょう。ぴょんととびあがって庭へとび出し、それっきりとうとう帰ってきませんでした。和尚さんは、猫は猫なりに仏さまにお仕えしていたものを、かわいそうなことをしたと、毎日帰りを待っていましたが、三毛は姿をあらわしませんでした。和尚さんも三毛のことを忘れるともなく三年が過ぎましたが、ある日のことです。見たこともない立派なお侍さまが法蔵寺を訪ねてきました。お侍は和尚さんを見ると、ていねいにおじぎをしました。「和尚さま、おなつかしゅうございます」「はて、わしも年をとったせいか、もの覚えが悪くなりました。あなたはどこのお方でー」「私は三年前までこのお寺でかわいがっていただいた三毛でごさいます。」和尚さんはびっくりしてまじまじとお待の顔をながめました。すると、猫のお待がまた申しました。「あの時はだまって尊いお袈裟を拝借したことが知れた申し訳なさに、あとさきの考えもなく逃げだしてしまいました。どうかお許しください。そのおわびを一言申し上げたいばかりに参上いたしました。長い間かわいがっていただいたお礼に安曇郡千見の下條家を檀家にしてさし上げます。どうかお待ちください」猫のお侍はこう言って両手をついおじぎすると、ふっと姿を消してしまいました。三毛、三毛やツ」和尚さんは、あわてて窓をおしあけ、庭をのぞいて見ましたが、三毛の姿もお侍の姿もありません。それから何日かたったある日のこと、安曇郡の千見の下條家の使いという人が息せききってかけつけ、「実は、二代の主、七兵衛信春という者が他界いたしまして、菩提寺の坊さまを頼んで葬式をすることにしたのです。ところが出棺というときになると黒雲が湧き、大荒れに荒れる。外の寺に頼んでも同じで、一同ほとほと困り果てていたところへ、若い旅の坊さんが立ち寄り、古山の法蔵寺に頼めば必ず無事葬式ができると申されました。「そこでさっそくこちらにお願いに上がりました」と、こう言うのです。和尚さんは、「ははあ、三毛のしたことだな」と心にうなづきましたが、何しろ仏さまのことです。さっそくはるばる安曇へ駆けつけ、無事に葬式をすませました。時に正保四年(一六四七)初秋なり。この仏縁により、下條家は法蔵寺の檀家となって「描檀家」といわれるようになり、法蔵寺は「猫寺」と呼ばれるようになりました。以来、猫の供養にと、三毛が肩にかけた袈裟を寺宝として代々伝えながら、信州の猫寺として今日に至っています。
信州の猫寺より 
作・法蔵寺さし 
絵・法蔵寺 
長野広域行政組合刊 長野地域民話集昔々あるところより
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本堂横には袈裟を着た猫の石像があります。

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