【前回のあらすじ】
球技大会の日に妹(小学生)の体育着を持ってきてしまった渡辺ヒロユキは、サーベルタイガー先輩から体育着をレンタルすることでピンチを脱したのであった・・・。

「ミネソタ・ハリケーン第8話~ブラザー~」
ミネソタ・ハリケーン

教室に戻ると、僕の机の周りに男女4、5人が集まっている。まさか、妹のアレが見つかってしまったのか?冷や汗が500CCくらい噴出したが、アレは無事だった。僕の席に吉岡が座って話をしてるだけだった。奴の周りにはいつも人が集まるのだ。

念のためカバンのチャックがちゃんとしまっているか確認しに行くと、吉岡にソフトボールのメンバー表を渡された。
「渡辺、お前キャッチャーできるか?」
「たぶん」
「OK、じゃあ俺も本気で投げられるぜ」
どうやらバッテリーは僕と吉岡で組むらしい。キャッチャーか。マスクで顔が蒸れてしまうのだけが面倒だが座っていられるのでよしとしよう。

メンバー表から顔を上げると、吉岡を囲んでいた4、5人のうちの一人が霧島だということに気づく。たしかバレーに出場すると言っていた今日の彼女の髪型はポニーテールだ。おそろいでやっているのか、周りの女子もみんな同じような髪型だったが、霧島が一番似合っているように見えるのは気のせいではないだろう。
凝視しすぎてしまい、霧島と目が合う。「おはよう」的な笑顔を向けてくれたので、僕も笑い返すが、たぶんニヤけたように見えてしまっただろう。だってニヤけてしまったんだもの。

その直後、霧島の視線が、僕の胸にある「KIRISHIMA」の刺繍に移ったことに気づく。説明しようかとも思ったけれど(もちろん妹のアレのことは伏せておいて)、クラスメイトの前でサーベルタイガー先輩の話をするのは嫌だったので、霧島だけに向けて
「こんな日に体操服忘れちゃってさ。お兄さんに借りたからよろしく言っておいて」
的な意味を込めて、僕は目でサインを送った。何を血迷ったのか、僕は少女にウィンクを送ってしまった。
すぐに自分のキモさに気づいた僕は自分の耳が赤くなっていくのを感じる。今の僕はこんな感じだったに違いない。
ミネソタ・ハリケーン
霧島の頬にまで僕の赤色が伝染していて心配したが、小さくうなずいてくれたように見えたので、ちょっと引かれただけみたいだ。

恥ずかしさから逃げるようにしてトイレへ向かおうとすると、校内放送が入った。第一試合まであと10分とのこと。
ちょうどいいタイミングで、僕らはそれぞれの戦場へ分かれることが出来た。
こうして、峰曽田学園の球技大会の幕が開けたのだった。

僕のクラスには体育の授業で目立った動きをするような男子もいないし、吉岡の投げる玉も平凡そのものなので、初戦を突破できればいいところだと思っていた。だが勝負とはやってみないとわからないものなのだ。まさか僕らが優勝するなんて夢にも思っていなかった。

第1試合では、吉岡がノーヒットノーランを達成した。(4―0)
第2試合では、吉岡がサイクルヒットを達成した。(11―4)
準決勝では、2回裏に吉岡の眼鏡に打球が直撃し、負傷退場。しかしリリーフをつとめた関口(科学部)のまさかの快投によって接戦を制した。(2-1)
ミネソタ・ハリケーン

そして決勝。誰もが敗北を覚悟した最終7回裏2アウト、保健室から帰ってきたばかりの代打の吉岡が、裸眼にも関わらずサヨナラタイムリーヒットを放ち、僕らは教室へ優勝トロフィーを持ち帰ることができたのだった。
閉会式の優勝コメントでは吉岡が校長のモノマネをして全校生徒から喝采を受けた。

これ以上無いほど充実した球技大会だったが、僕は準決勝が終わったあたりからずっと違和感を感じていた。何かが足りないような気がしてならない。別に、僕が7割以上の打率だったにも関わらずチヤホヤされなかったとか、そういうことじゃない。

結局違和感の正体をつかめないまま球技大会は終わった。さすがに疲れていたけど、いつもの習慣で相撲部の部室に来てしまう。まあいいか。この部屋の主に朝のお礼もしなければいけないし。僕は扉を開けた。

…誰も居ない。おかしい。いつもなら、半裸のサーベルタイガー部長が開脚ストレッチをしながら僕を迎えてくれるのに。
サーベルタイガー先輩に限って球技大会を理由に練習を休みにしたりすることはありえないので、着替えて待つとしよう。着替えるといっても、サーベルタイガー先輩にお借りした体育着(KIRISHIMA)を脱ぐだけだが。

上半身裸で「あずきちゃん」を読んでいると、この部屋が薄暗いことに気づく。それもそのはず。照明が点いていない。
立ち上がり、点灯スイッチを押す。
すると・・・部屋の角に人影が浮かび上がった。思わず声を上げて驚いてしまう。

土俵に未練を残して地上を彷徨う力士の霊と決死のバトルをする覚悟をしかけたところで、ゴーストの姿に見覚えがあることに気づく。
まるで貝のような完璧な体育座りをしているこの男は、サーベルタイガー先輩だ。

そうか、違和感の正体はコレだったのか。これまで事ある毎に僕の前に立ちはだかってきた彼が、今日の球技大会では一度も姿を見せなかったのだ。

「おう、ひもゆき。優勝おめでとう」
「ありがとうございます」
目だけを上げて僕を祝福してくれたサーベルタイガー先輩。その目は真っ赤だった。今日の球技大会には誰よりも気合を入れていただけに、その悔しさは相当のものなのだろう。

赤色のラインの入ったサーベルタイガー先輩の体操服は、グラウンドの土の色に染められていた。激闘の証だろう。
なぜそんな激闘を強いられたのか。その答えは、球技大会の対戦表が貼り出された時点で全校生徒が知っていた。サーベルタイガー先輩のクラスは文型進学コースで、クラスの男子は7人。ソフトボールは9人で行うスポーツである。

サーベルタイガー先輩の所属する2年A組の敗因は、ソフトボールに出場したことだ。さらにいえば、クラスメイトや大会執行委員の反対を押し切って強行出場を決定したサーベルタイガー先輩のせいだ。

体育座りで落ち込むA級戦犯タイガーにかけるべき言葉を、僕は知らない。
だがそんなものを考える必要は皆無だった。この男は勝手に喋りだす。

「ひもゆき、俺は大きな間違いを犯してしまったようだ」
「知ってますよ」
「うむ、野球は9人。今のモー娘も9人。今日、あらためてそのことに気づかされたぜ。決めたよ。俺は理系クラスへ行く。そして来年こそは!!」

力強さと愚かさに満ちた発言とともに立ち上がったサーベルタイガー先輩は、泥だらけの体育着(上)を脱ぎ去った。あらわになった彼の肉体はいつもどおり長身痩躯だが、僕の目は別の方向に釘付けになってしまう。

僕の視線の先にあるもの。それは、サーベルタイガー先輩が今の今まで着ていた体育着。グラウンドの土に汚れた体育着。真っ赤なラインの入った体育着だ。
それ自体になんら不思議な点は無い。

ここで思い出していただきたい。今朝僕に降りかかった悲劇を。僕は今朝、誤って妹の体育着を持ってきてしまったため、サーベルタイガー先輩から体育着を借りたのだ(第7話参照)。
だから当然、サーベルタイガー先輩が今脱いだばかりの体育着は、僕が借りたものと同一でなければならない。

だが、2着の体育着には決定的な違いがある。サーベルタイガー先輩が着ていた体育着には赤色のラインが入っているのに対し、僕が借りたのは青色のラインだ。おかしい。

青色は、僕ら1年生の学年カラーである。サーベルタイガー先輩がこれを所持しているはずがない。なぜ僕に青色ラインを貸すことができたのだ?しかも胸には「KIRISHIMA」の刺繍まで・・・まさか!!

その瞬間、僕の脳内ビジョンには、麗しの霧島まりあ嬢の姿が映し出された。SONYのブラヴィアよりも鮮明な画質で映し出された彼女が身にまとっているのも、「KIRISHIMA」の刺繍が入った体育着だ。
サーベルタイガー先輩が貸してくれた体育着は、彼の妹のものだったのだ。僕はそれを、ギャル男みたいにピッチピチに着こなしていた。そして今朝、僕はその格好で彼女に、意味不明なウインクを送ってしまったのだった。
ミネソタ・ハリケーン
僕はどうしたらいいのだろう。きっと、こうすることくらいしかできない。



「ミネソタ・ハリケーン」・・・完
いままでご愛読ありがとうございました。


いや、逃げちゃ駄目だ。
僕の名前は渡辺ヒロユキ。この日、絶望という言葉の使い方を覚えた救いようのない男であり、この物語の主人公だ。

今すぐ霧島に謝りに行こう。
「サーベルタイガー先輩、僕ちょっとグランドに行ってきます!」
「さては、まりあのところだな。俺の分まで謝っておいてくれよ」

コイツ、最低だ。僕に妹(霧島)の体育着を渡したのは故意だったのだ。きっと、いつか間違えて持ってきたのを返せないでいたんだ。
「だが待て。ひもゆきよ。半裸で行くのはまずい。外は危険がいっぱいだからな」

たしかに今僕は上半身裸だ。この格好で謝るのはまずい。だが再び霧島の体操服を着るわけにはいかないので、カバンの中から夏服を取り出し、羽織りながら駆け出した。
僕は走った。朝よりももっと速く。自分が夏服に短パンという「おぼっちゃまスタイル」だということにも気づかずに走った。

頭の中は、何と言って謝ろうかということでいっぱいだ。
あれが霧島まりあの体操服だと知らなかったが、気付かなかった僕に責任がある。
思えば、最初に着たときにしたフローラルな香り。あれで気づくべきだった。
サイズだって小さかったし・・・それに、なんだかとても柔らかだった。
準決勝で関口の剛速球が胸に当たったときも耐えられたのは、きっと霧島の体操服だったからだ。
霧島はいつもあれを着て体育の授業や部活をしているんだ・・・。

駄目だ。なんて謝ればいいか全然思いつかない。もうすぐグランドに到着してしまうというのに。
頭に浮かぶ余計な想像を吹き飛ばす意味もこめて頭を振った。そのときだ。
視界の隅に、背の低いポニーテールの女の子が飛び込んできた。霧島だ。
立ち止まって彼女の方を見る。目が合う。

そうだ、謝らなくては。僕は何を話すかまとまらないうちに口を動かしだす。

「あの、その・・・今日は、ごめん。知らなかったんだ。
いい匂いがしたのに気づかなかったんだ。ごめん!」

嗚呼、僕はアホだ。言わなくていいことまで言ってしまった。むしろ、言わなくていいことしか言ってない。こんなアホを許してくれるはずがない。

だが…「ぜ、全然いいよ。気にしないでね。」彼女はこう言った。
そして、「じゃあ部活だから。」と去っていった。

許してもらえたのだろうか。それとも、完全に引かれてしまったのだろうか。それを知る術はなかったが、この日の夜、僕が眠れなかったことは言うまでも無い。

次の日からはきっと霧島と気まずくなってしまうと思ったが、霧島はなんら変わらない態度で僕と接してくれた。見た目は幼い彼女も、僕なんかよりずっと大人だった。「女子の方が成熟が早いのよ」と、小学生の頃に教わったが、どうやら本当のようだ。

ただ僕は、霧島に言うべき一言をずっと言えないでいる。
「あの体育着、洗って返すよ」
この一言だ。これを言って、「返してくれないでいいよ」なんて言われた日には、僕は相撲部の部室で首を吊ってゴーストになってしまうだろう。
そんなわけで霧島の体操服は、今でも僕の部屋で眠っている。それが僕の持つ、いちばんの秘密だ。

クラス一丸となって皆でかけがえの無いものを手にした球技大会。僕はとんでもなく大きなものを失った気がする。



つづく