【前回のあらすじ】
心の殻に閉じこもり、冷めた視線で世界を見渡す主人公・渡辺ヒロユキは県立峰曽田学園に入学した。そこで始まる摩訶不思議アドベンチャー。始まりの予感は、摩訶おかしな出会いだった。
これは、死んだ魚のような目をした男が、摩訶スゲエ奴になるまでの物語である。

尚、この物語はフィクションです。登場する団体名・地名・人物などはいっさい現実と関係ありません。

『ミネソタ・ハリケーン第二話』
入学して早2週間。高校にもだいぶ慣れてきた。未だに慣れないのは、朝のホームルームで先生が「AV教室」と言ったときに少しソワソワしてしまうくらいかな。

教室では物言わぬ貝になっている僕にも分かるように、最近クラスメイト達がいくつかのグループに分かれてきた。もちろん僕はどこにも属さない。このまま3年間、鼻から毛が出ているのを指摘してくれる友人もできないまま卒業するのだろう。鼻毛のケアは怠れない。

今日は授業を丸1日分使って体力テストだ。早く終わらせて、今日も「らんま1/2(再)」の猫になったシャンプーがお湯をかぶるシーンを見たい。

けれど、いざ始まってみると各種目で本気になってしまうあたり、僕もまだまだ子供なのかもしれない。名簿番号が一つ違いの吉岡とペアになって計測をした。吉岡とはわりとよく話をする。オシャレ眼鏡をかけたクールな男である。

僕は運動が得意でも苦手でもない。ただ、走ることに関してはちょっとした自信がある。幼い頃、ドラゴンボールで筋肉ムキムキになったトランクスがスピードを失ってセルに負けてしまったのにショックを受けた僕は、小学生ながら早く走るための理論を学び、トレーニングに励んだのだ。
ミネソタ・ハリケーン-とら
成長期に入ってから成果が出てきて、中学時代には「峰内中の1番ショート渡辺」は、市内ではちょっとした有名人だった。
ミネソタ・ハリケーン
そんなわけで最後の種目、50m走のときは少し気合が入ってしまった。直前の休憩時間にはトイレに引きこもってMDウォークマンで自己啓発的なロックミュージックを大音量で聴いた。ボクサーパンツをスパッツに履き替えた。僕はジャージのポケットに脱いだパンツを押し込んでトイレを後にした。

計測は名簿番号順に4人ずつ行われていた。名簿番号の都合で僕と吉岡は2年生のクラスの2人の先輩と一緒になった。しかし、集中している僕にはそんなことどうでも良かった。
テンションを高めるため、僕は妄想の世界へワープする。

オリンピック陸上競技100m決勝。日本人初のファイナリスト、渡辺ヒロユキ。それが僕だ。周りの黒人選手と比べて僕の体は随分細い。しかし僕はつぶやく。
「馬鹿め、トランクス達よ。そんなに大きく膨らんだ筋肉ではパワーは増えてもスピードは殺されてしまう。その程度の変身なら、僕にだってできる。」

不敵な笑みを浮かべたまま僕はスタートラインに立った。
-----その瞬間、妄想と現実がリンクする。右隣の吉岡が、屈強なジャマイカ人に見える。左隣の2年生が、アメリカの黒人選手に見える。
負ける気は、しない!
ミネソタ・ハリケーン
担任の鈴木先生が旗を振り下ろしたらスタートだ。
「イチニツイテ」

「ヨーイ」

「ドン!」


しまった。出遅れた。
やるじゃないかジャマイカ人(吉岡)。メガネが落ちないようにするマジックテープ式のバンドを持っているだけのことはあるな。

僕は落ち着いていた。低い姿勢から徐々に頭を上げ、加速していく。

15m地点でジャマイカ(吉岡)の背中が近付き、

30m到達を前にギアをトップに入れ、抜き去った。

あとは僕の独壇場だ。アメリカ人(2年生)は途中で肉離れでもしたのだろうか。足音も息遣いも聞こえない。

残り10m。金メダルまでの距離だ。(妄想)

しかし、ふと気配を感じ左側に目をやる。


っ!?

アメリカ人(2年生)だ。

何故だ?なぜマックススピードの僕に付いて来れるんだ?

いや、それ以上に、なぜ今の今まで気付かなかったんだ?

混乱する。
しかし、勝たねば。金メダルを取ると、病気の妹と約束したんだ!(妄想)

残り7m。

通常、人間の全力疾走は20~30mでトップスピードに到達する。あとはどれだけ頑張ろうと失速を続ける。よって、勝負はいかに減速をしないか、ここで決まる。

自分自身に、僕の体は巨大なタイヤだと思い込ませる。円形だ。円形は、スムーズに転がる。そこに余分な力はいらない。
リラックス。

残り5m。

アメリカ人(2年生)はまだすぐ隣にいる。

しかし、それでも足音は聞こえてこない。

!!

そうか、このアメリカ人(2年生)、僕と全く同じリズム、歩幅で走っているんだ。

なぜそんなことが出来るかは分からない。けれど、僕は、走るしかない。

残り3m。

「タッ!」

一つだけ聞こえた。地面を蹴る音、いや、地面にほんの一瞬だけ靴が触れる音が聞こえたんだ。

その瞬間、アメリカ人(2年生)の背中が僕の前に現れた。

僕は全てを悟った。

敗北の味が、喉の奥で広がった・・・。

ゴール。
タイムは、5秒9。自己ベストだ。

後ろからジャマイカ人(吉岡)が息を切らせながら話しかける。

「ハァ、ハァ、渡辺、お前、凄い奴だったんだな。俺は、ハァ、ハァ、てっきり只のヒキコモリ予備軍かと・・・。」

しかし僕には何も聞こえない。僕の視線はアメリカの英雄(2年生)に向けられていた。

素晴らしい走りをした彼は、スタートラインにいるクラスメイト達の声援に応えて手を振っていた。そして、僕の方に近付いてきた。

「君、1年生だろ?やるなあ。部活はもう決めたのかい?もしまだなら、僕と一緒にににん・・・いや、なんでも無いよ。じゃ、あばよ。」

アメリカ人(2年生)は、笑っていた。間違いなく自分の言い放った「あばよ。」というフレーズに酔っていた。立ち尽くす僕を背に歩いていく長身痩躯のこの男が、凄い奴だというのは、約6秒間で充分に分かった。

男は、5mほど歩いたところで振り返った。そして僕に小走りで近付いてきて、こう耳打ちをした。

「渡辺君、鼻毛出てるぜ。」

僕は驚いた。なぜこの男は僕の名前を知っているのか。そして昨日刈り取ったはずの僕の鼻毛の伸びるスピードに。


・・・これが、高校生活で僕の鼻から毛が出ているのを指摘してくれる唯一の友人との出会いだった。そしてこれが、僕の2人3脚ライフの始まりだったのかもしれない。

けれど、そんなことを知る由もない4月下旬の僕は、家に帰ってがっかりした。金曜の「特選アニメSP」は、「らんま1/2」ではなく、「トムとジェリー」だったのだ。
一匹の猫と、一匹のネズミのおかげで、峰曽田(ミネソタ)の夕暮れの下、公園のブランコで一人、ヒマをもてあますことになった男が生まれてしまったのだった。
僕の名前は渡辺ヒロユキ。好物はミカンゼリー。ただそれだけの男である。

つづく