ボッカ駅伝のボランティアした時に適当にupしていました。
が、
考えたら、ボッカ駅伝の大雑把な事を一度も書いた事が無かったです。
なので、主だったところをスクショしてみました。
聞いた話では、
大会の初めの頃は鍋割まで行っていましたが、標高1300mより上が特別保護区になっているため、「鍋割がゴールとはいかがなものか?」とか「そんな所で競争するのは・・・?」とか、、、
色々議論があったらしいです。
そもそも、小屋番たちが「歩荷の競争やってみない?」みたいな感じで始めたのが、実行委員会が出来て、さらに神奈川の山岳連盟や秦野市も加わり大きくなった様です。
遊び心で始めた事がいつの間にやら大きくなってしまった!
と、言う感じですかネ (^^)
私がボランティアを始めたのは10回あたりからです。
最初は、水を10㎏・20㎏・40㎏で鍋割がゴールだったとか。
エキシビションで60kgもあったらしいです。
中学生のクラス(10㎏)もあったらしいです。
高校生のクラス(男子20㎏・女子10㎏)があったけど、無くなりましたね。
一般女子の20㎏もあったけど10㎏に減量されました。
けっこう細身の方が多かったです。
そんなに細くて背負う?みたいな。
ある時地元のTV局が40㎏に参戦し、14時過ぎにゴールした事もありました。みんなで、まだ来ない?いつまで待つんだ!・・・(-"-)
40㎏には大学の山岳部が多く、花立山荘の大番頭も40㎏に出ていたので、4区の選手が花立山荘に泊まり大宴会して翌日走っていました。よく早起きできましたネ!
自衛隊のチームも複数ありました。
どこのチームも、前の区間のランナーが花立まで伴奏して来るんです。私なんか、その場で倒れて終わりです 笑
最初は水でしたが、今はどこかのホームセンターで砂利を調達して、大会後登山道の整備にあてています。
大会終了後、
大倉でご苦労さん会をするチームが多かったですが、コロナを機にやめた様です。
酔っちゃって、朝大番頭の家だった事もありました。午後から出勤すからと職場に電話したら「来なくてイイ!」と言われた事も今となってはイイ思い出であります (^^)
残念な事に、スタートを一度も見たことありません。
もうこの先もスタート風景を見る事はありませんが。
振り返ると、オモシロかったです。
(ボランティアの)
やめ時が、
難しい
デス
永遠に、来る!もんだ、と
思っている。たぶん 笑笑笑