5日、七時雨に行ったのですが、気になる事があったのでグーグル検索してみました。

 

 

 

 

 

登山口付近に色々な史跡がありました。

 

 

 

七時雨鉱泉手前から登山口に入ってすぐの林道に、登山道にある史跡の説明らしきモノがありました。

が、

いまいちスッキリしないので、グーグル検索してみました。

 

 

 

 

旧鹿角街道は奥州街道の脇街道で、江戸時代に整備されたとか。

盛岡~八幡平~鹿角~大館に至る裏街道らしい、です。

鹿角街道は、「流霞道」=「りゅうかいどう」 や 「ながれしぐれみち」と言われていたらしい、です。

塩や穀物、金・銅などを盛岡や江戸へ運んでいたそうな。そう言えば鹿角にある「尾去沢鉱山」って金山だった様な?

 

 

 

 

 

次は、撮りわすれた「助け小屋跡」の標柱は、

雨風など旅の難儀を救う休憩所。

また、飛脚の交換所だったとも。

 

 

 

 

 

車之走峠=くるまのはしりとうげ

「ここらの峠道はひどく曲がりくねって、クルクル回りながら登って行かねばならず、クルクル回る事クルメク と言ってクルメクとなって、走り には大きく広がる斜面と言う意味もあり、車の走り となった」と。なんか、解釈に無理がありそうな 笑

峠道が、ここから始まる と言う事ですかね。

 

 

 

 

 

マンダ=シナノキ

この辺りでは、シナノキを「マンダ」とか「マダ」と呼んでいるそうです。後ろの大きな木がそうなのですが、安代まで続くマンダの並木道をつくった様です。

 

 

 

 
 

塞の神
村の境に祀られる道祖神。
道行く人を守り、悪病・悪霊が入るのを阻む神。
 
 
 
 
 
七時雨、
「日に七回も天気が変わる」と言う事がいわれらしい。とは、
知っていましたが、こんなに史跡があり、大事な裏街道だったんですね。
最近は整備され歩く事が出来るらしいです。
「塞の神群」の所が分岐になっていて、七時雨山とは別の方向に行けそうな道がありました。辺りに、その案内が無いのが残念でした。
 

旨くまとめられませんでしたが、意が伝わったでしょうか?(^^)