訪問時期:2016年1月
古墳名:鳥屋ミサンザイ古墳
別名等:宣化天皇陵、身狹桃花鳥坂上陵
実際の被葬者:?
メモ:
学生時代、奈良の橿原高校出身者に出会い
「また雅なところから来たねえ」と突っこんだら
「学校の近くに古墳があるよ」と返されビックリした記憶があるが、
橿原高の少し手前にある前方後円墳がこちら。
生徒達は古墳西側の通学路を通って、白い校舎へ向かう。

墳丘長138メートル、
(今回は見るだけだったが)東側は大きなため池になっているほか、
墳丘の周辺部も結構補修されている模様。
橿原高から更に南には、桝山古墳(倭彦命墓)がある。

宣化天皇(武小広国押盾天皇=たけおひろくにおしたてのすめらみこと)は第28代。
26代継体天皇の第二子で、第一子である安閑天皇に続いたが、
その後は、継体天皇と手白香皇女(24代仁賢天皇の娘)の
間に生まれた欽明天皇(血筋的にはより直系・本流)が30年以上在位した。
継体天皇没後2年の「空位」記述や、
傍系の安閑天皇・宣化天皇の在位がそれぞれ5年に満たないなど
継体~欽明間は、年表上いろいろ不自然に読めるため、
「安閑・宣化系と欽明系の対立・内乱」があったという学説もある。