訪問時期:2015年12月
古墳名:野口王墓
別名等:天武天皇・持統天皇陵、檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)
実際の被葬者:天武天皇と持統天皇
メモ:
ビッグネーム天皇二人の陵。
大昔に盗掘にあった事は残念だが、
合葬の状況(天武天皇の棺と持統天皇の骨壺)などが記録され、
そのおかげで被葬者が特定できている珍しい例。
大化改新後に薄葬令が出され、古墳築造の規制が始まる。
古墳時代終末期は、天皇周辺の貴人のみが築造を許され、
その形式も、巨大前方後円墳ではなく小型に。
当古墳は60メートル弱の規模で、天皇周辺専用の「八角墳」だったとされる。

試しに一周してみたが、10分もしないで歩き終えてしまった。
立地的には飛鳥エリアが良く見渡せる丘陵にあり、
築造当時はコンパクトながら大変威厳がある存在だったと思われる。

40代天武天皇(天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)は
壬申の乱の勝者、大海人皇子(おおあまのみこ)として中学生にもお馴染み。
飛鳥浄御原宮令、八色の姓などの実績も。

41代持統天皇(大倭根子天之廣野日女尊=おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)は
天武帝皇后から即位。蘇我倉山田石川麻呂を祖父に持つ。
夫の政策を継承し、孫の文武天皇に譲位、初の上皇となる。
そして天皇として初めて火葬された。
天武~文武への皇位継承を巡っては「行間」に色々みてとることができ、
異説に目を通すのも一興である。