3.11 東日本大震災から5年…。
あの日、震源地から遠く離れた神奈川でも横浜駅西口は震度5強、私が住む町は震度5弱の地震で、娘と二人抱き合って震えながらテレビの画面を茫然と見つめていました…。
夜になって、いつもなら電車で17分で帰って来るはずの夫が、2時間位かけて歩いて9時過ぎにやっと帰ってきました。
そして3人でローソクの灯りの下で、お弁当を食べて少し落ち着いた頃、仙台に住む義兄の事が心配になり連絡をしましたが、繋がるはずはありません…。
義兄はあの恐ろしい津波に、車ごと流されていたのです…。
1月にアメリカに行ったばかりの息子もすぐに心配して、ネットを駆使し色々手を尽くして調べてくれました。
そして4日後、半分諦めていた頃、
仙台の義兄とやっと電話がつながりました❗
「 大丈夫!なんとか生きてるよ。
車のドアを開けて脱出してビルの屋上によじ登り、階下の部屋に降りてそこでひと晩過ごして、翌日歩いて自宅に帰ったよ(4キロ位)若い頃自衛隊にいた時の経験が役に立ったよ」と。
避難所を訪ねたら、家が無事な人には水も食料も一切もらえず途方にくれていたら、山形にいる友人が水や食料、カセットコンロを持って車で駆けつけてくださったそうです。
(もちろん私たちも色々送りました。)
勤めていた会社はなくなってしまいましたが、
住まいは街の高台にあるので大きな被害はなく、
今は夫婦二人で元気に暮らしています。
生きていると何が起きるか分からない…。
これから先も…。
だから私は明るく笑って暮らしたい💫祈💫