5月9日も
あと数時間で幕を閉じようとしている。
節目の5月9日、5月19日は、
ka-yuさんのことをふと考えてしまう。
Janne Da Arcの解散は
ka-yuさんの脱退が引き金を引いた。
ka-yuさんが最後に残した
『今までありがとう。』
この8文字に
どれだけの気持ちがあったのだろうか。
勝手ながらに考えてしまう。
DAMIJAWの活動を通して、
ka-yuさんの、
Janne Da Arcへの想いを目の当たりに
してきたつもりだった。
そんなka-yuさんが
解散のきっかけになってしまった。
ka-yuさんに何があったのか
どうして気持ちが変わってしまったのか
2年前の解散発表の日、
ka-yuさんへの非難轟々な書き込みを
目の当たりにした。
そしてまた、自分自身も
そんなことを思ってしまった節もあった。
でも、
ka-yuさんはka-yuさんで、
色んな思いがあって、
この決断に至ったんだろうと、
そう自分の中で消化せざるを得なかった。
DAMIJAWのラスト47都道府県ツアー
『Be with You!!!!!3』のセミファイナルで、
ka-yuさんの涙を、初めて見た。
声を詰まらせながら
想いを話すka-yuさんを
わたしは初めて見た。
あの涙に、
どれだけの想いがあったんだろう。
「活動休止をしたのが自分のせいだ」
そう泣きながら話すka-yuさんを見て、
この人に、どれだけの重荷が
伸し掛かっていたんだろうか。
そう思えば思うほどキリがなくて、
自分も一緒になって
泣いてしまった記憶がある。
DAMIJAWが活動休止発表をした日、
『Janne Da Arcが活動再開するからでは?』
と言った書き込みをよく目にした。
DAMIJAWが好きで、
DAMIJAWのライブが好きで、
DAMIJAWの活動休止を発表した
ライブに行っていた人達も見る
公のSNSで、
無神経にそんな書き込みをする、
そんな人が多い事実が腹立たしかった。
何をするにも、何を発言するにも、
全てJanne Da Arcに結びつけられて、
勝手に期待されて、
DAMIJAWの活動に、ビタ一文払わない、
そんなファンの期待まで背負わされて、
今までka-yuさんは活動してきた。
とあるメンバーは、
「元気でいてくれるだけでいい」と、
「ゆっくり休んでほしい」と、
言われているのに対して、
半年という短いスパンで、
51箇所もほとんど自分たちで移動して、
搬入搬出もすべて自分たちでやって、
労体に鞭打って、頑張っているka-yuさんに
そんな労いの言葉は少なかった。
DAMIJAWが活動休止した後、
自分の好きなバイクに
たくさん乗れるようになって、
そこには変に期待をしてくる人もいなければ、
プレッシャーをかけてくる人もいない。
自分に置き換えた時、
これからの人生、
自分はどうしたいか。
そう考えた時、
どちらを選択するか。
一目瞭然だった。
もうわたしは、
ka-yuさんを責めることなんてできなかった。
勝手に期待したくせに、
裏切られたなんて一瞬でも思ったことさえ、
申し訳ないと思ってしまう。
わたしはka-yuさんの
家族でもなければ、
友達でも恋人でもない、
はたまた知り合いですらもなくて、
ステージで耀くka-yuさんが、
ただただ大好きだったファンなだけ、
だけど、
きっとka-yuさんという人は
優しくて
素直で
純粋で
強がりで
でも本当は弱くて脆くて
繊細で…
そんな人なんだろう。
ファンのために、
強気でヤンチャで華やかで、
キラキラ耀く人でいてくれたんだ。
自分の気持ちを犠牲にしても、
勝手な期待やプレッシャーが
伸し掛かっていても、
【ka-yu】という人で、いてくれていたんだ。
これからのka-yuさんの人生、
松本和之としての、
一人の人間としての人生、
元気でいてくれるだけで良い。
この地球上のどこかで、
楽しく笑って過ごしていてくれたら良い。
謳歌してほしい。
何度も歌にして
伝えてきてくれたから
もう良いよって
笑って
それでも何度も
何度でもわたしは
ka-yuさんに伝えたい
笑いながら聞いてほしい
わたしの大好きな、
あの笑顔で、
ありがとう、ka-yuさん。

