2016年8月 ベトナム旅行

 

リセの撮影に使われた高校はニッコー・サイゴンの前にあるので訪問するのは簡単ですが、ショロン地区はハードルが高くなります。

 

まず最初に、愛人の家のロケ地に連れていってもらいました。場所はショロンの中央を通るチャンフンダオ (Trần Hưng Đạ)通りから少し入ったところです。

 

チャンフンダオ通りは1区の方からチャータム教会に突き当たる一方通行の通りです。あまり広い通りではありませんが、昔はメインの通りだったようです。

 

この通りに入るといっきに中華街の雰囲気になります。サータイ市場を過ぎて、グエンアン(Nguyễn Án)という細い通りへ入るとロケ地のプーディン(Phú Đinh)通りがありました。

 

このあたりは、混雑していて、スマホのグーグルマップで探しながら歩いていると、いいカモの日本人が来たと思われるかもしれません。

 

実際に行ってみると、当初の予想とはまったく異なり、コロニアル風の建物がいくつも残っていました。なかなかいい感じの場所でした。

 

喜んでいろんなところの写真を撮っていると、ガイドさんが心配して、スリに気をつけるようにと注意されました。

 

下の写真の濃い緑の建物が、愛人の家です。1階はがエントランスは撤去され食堂のようになっていますが、2階のバルコニーはおしゃれなコロニアル風の雰囲気が残っています。

 

 

 

 

本当にこちらでいいか映画のシーンと見比べてみましょう。少女が中国人青年の結婚式の後もう一度逢いましょうと中国人青年に頼み、結婚式後訪れます。しかし、部屋は片付けられていて、夜まで待っていたのに青年は現れませんでした。仕方なく寄宿舎に帰るときのシーンです。

 

正面にビルのような建物があり、角の建物から4件目が愛人の家です。

 

 

 

現在は、路地正面が高いアパートとなっています。グリーンの家はグエンアン通りの角にあるカフェから4件目で場所は一致します。

 

 

 

Tim Dolingの2014年サイトでは、まだきちんエントランスは残されていて雰囲気が味わえたのですが、ここ数年でオーナーが替わったのでしょうか。ただサイトでは手前にあった食料品店みたいな看板は無くなってすっきりしています。

 

 

 

正面から撮ってみます。1階はほとんど面影はありませんが、2階はコロニアル風になっています。1階のトタン板のひさしがもの哀しさを伝えています。

右の柱の赤いお守りの上にゴールドの7のマークがついていて、この番地がプーディ通り7番地であることがわかります。グエンアン通りの角から1番地、3番地、5番地と続き4目が7番地です。

 

 

 

この7番地の右となりが9番地、11番地で、こちらは円形のエントランスの名残をとどめています。その隣の13番地の家はにエントランス上部のアーチが残っています。

 

 

 

さらに奥の15番地に撮影時と同じ格子窓が残っていました。窓の下には柱の装飾があります。この家がロケ地であった生き証人だと感じました。

 

ガイドさんに聞いたところ、お盆の時期だったので、ベトナムでもこの時期お盆のような風習があり、お祭りの屋台のように飾りものをいっぱい並べて売り出しているとのことでした。残念ながら飾りものに隠れてエントランスがわかりずらい状態でした。

 

隣の17番地はコロニアル風の2階ベランダは残っていましたが1階のエントランスは7番地の愛人の家のように全て取り除かれていました。

 

 

 

15番地のお家を正面から見てみましょう。

 

このお店の奥に、おじいさんが座って店番をしています。

もしかしたら、撮影当時からこの場所で商売をしていたのかもしれません。お家にこだわりがあり、唯一,当時のまま使っているのかもしれません。

 

なんだかポツンと座っている姿から古いものを大事にしてきたおじいさんの人生が感じられたように思われました。

 

 

 

このプーディ通りを映画で二人が歩いて愛人の家に向かうシーンをたどってみましょう。

 

まず、お米屋さん(米舗)の前の路地くぐるようにしてプーディ通りに出ます。隣はコロニアル風の家なのですが、お米やさんのあたりは雰囲気が違います。どうものれんで隠しているような感じがします。

 

 

 

お米やさんの左隣に青い家が2軒続きます。右の家の赤い札の下をよく見ると15の数字があります。この家が今も残る15番地の家の証拠になるのではないでしょうか。

 

他の家は布や植物で部分的に隠していますが15番地はきちんと撮影されていています。あのおじいさんの姿を思い出します。

 

 

 

傘が置かれた青い家(13番地 )の左にベージュの建物が2軒続き(11番地、9番地)その隣が水色の愛人の家(7番地)になり映画のシーンと実際の番地が一致します。

 

 

 

お米やさんの17番地の前はどうなっているのでしょうか。

右手間のブルーのストライプシートのひさしのお店の奥がお米やさんの17番地です。17番地の前には路地はありませんでした。

 

 

 

現地を歩いてみてわかったことはお米やさんから奥の通りだけがコロニアル風の家が続いています。おそらく1989年当時も同じ状態だったのではないでしょうか。

 

 

上の写真の左側のブルーのストライプシートのひさしのお店あたりの、家と家の間の空間を路地として撮影しないと1929年の雰囲気が出せなかったのでしょう。

1989年のホーチミン市で1929年のショロンを再現しようとしたアノー監督の苦労が伝わってきます。

 

ショロンの愛人の家 プーディ通り7番地(7 Phú Đinh, phường 11, Quận 5)のマップはこちらです。

 

 

 

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