3月11日の東日本大震災の鎮魂の番組を見たり、

本を読んだりして感じていることがあります。

 

あの震災では、沿岸部の多数の神霊方も、

人々を救おうとして力尽きられた、と聞いています。

ひょっとしたら福島第1原発の2号機は、

いろんな人々の献身的な努力とともに、

神霊方も自分の存在を犠牲にして、

大きな爆発から、お守りなさったのではないか、

と、メルヘンチックに思っています。

 

そして、その喪失した霊性を補うためにも、

今なお供養が必要なのではないかと思います。

 

さて、

3月3日の夜は、伏見稲荷大社参拝を控えて、

なかなか寝付けませんでした。

 

精神が高揚したせいか、

夜の1人直会のビール・ボトルワインが過ぎたせいか、

仕方なく、3時過ぎまでホテルの無料テレビを眺めつつ、

夜明けを待ちました。

 

 

朝、シャワーを浴びて身を清め、伏見稲荷大社に向かいました。

人生2度目の参拝です。

 

過日、

真言宗のお坊様から眼力社の縁起物を頂戴したので、

これは、参拝せねばと思い立ちました。

 

眼力社は、山中にある末社のひとつで、

おだいとして有名な砂澤たまゑさんと関係のあったお社

という程度しか知りませんでした。

 

その眼力社さんに参拝を準備していて、

私は、

ここ半世紀近くすっかり忘れていたことを思い出しました。

 

 

それは、

四十数年前、生き方を180度転換して、

とある自営業を始めたときのことです。

 

私は、凄く孤立感に陥ってしまいました。

 

そんな時、お稲荷さんを祀っては?という人がいて、

熊鷹社の神様を降ろしに来て貰いました。

ですが、身内に猛反対するものがいて、

お稲荷さんを祀るのは断念しました。

 

それで、翌年の正月、

伏見稲荷を参拝し慣れた人に案内して貰い、

熊鷹社に参拝し、お山を巡って帰途につきました。

 

今思い出すと、

その時の自分の気持ちは、

祀らせて貰わなかったという後ろめたさなのか、

お山は、異次元世界のように感じて、

早く下に下りたかったんじゃないかと思います。

 

 

そして、自分はお稲荷さんとは縁が無かったのだと、

自分に思い込ませ、そのまま忘れていました。

 

そして今、眼力社さんにご縁を繋いで頂いて、

申し訳ないことながら、

熊鷹社の神様のことを思い出したという次第です。

 

そして、ハタと気がつきました。

孤独感を抱くほど大変だった自営業も、

紆余曲折はあったものの、

自分の元気な内に清算することができました。

 

 

20世紀中は、

いろんな、あまり嬉しくない体験を重ねる中で、

私は、むしろ無神論者でした。

でも、その間も、

降ろして貰ったまま忘れ去っていた神様に、

守られていたことに気がつきました。

 

そういえば、不思議なことあったよな、と思い当たることがあるのです。

全てが、熊鷹社の神様とは思いませんが、

熊鷹社とのご縁が続いていたことに気がつきました。

 

それを、神様の元での修行を導いて頂いている、

知り合いの神職さんに話すると、

「自分は、伏見稲荷に入ったことはないが、

そんな時は、喜び勇んでお詣りすることですよ」

と、背中を押してくれたのであります。

 

続く