夢をあきらめない Kitano Sanders | Kitano Sandersを目指して

Kitano Sandersを目指して

北海道室蘭市中島町2丁目13-17 電話0120-724-555

 数年前に原因不明の病気(?)になって、やっと治りかけたと思ったら年末のコロナ感染そして数か月に及ぶ肺炎。いろいろありすぎた昨年まで。今年は背負った問題、課題に向かって戦う年になった。戦えるのかと、自問自答を重ねても結論は同じ。やるしかないじゃん!って書いてたら気持ちが鬱になるから、10年後の自分が今の自分へ手紙を書くように書いてみた。カーネルサンダースの物語。多くの失敗を重ねて生きたサンダースを見習って人生を送ろうと思う。

 

 「家づくりで失敗しないための7つの教訓」「失敗しないための・・業者の選び方」世に多くの小冊子や本が出ているが、あえてここで私が失敗してきたこともこれから書こうと思う。設計・施工・現場監理が主な仕事だが、数多くの職人・協力会社との共同作業は実にいろいろなことが起きる。サンダースほかの物語とともにに書き連ねよう。これから家づくり・リフォームをしようと考えている方のとっては無駄にはならないと思うから。

夢を諦めないとは?

 成功とは何か?詩人に聞けば、人生の芸術と答えるでしょう。コーチに聞けば、成績と答えるかもしれません。でもカーネルサンダースに聞けば、美味しいチキンを作って全世界に広めることと答えるでしょう。ああ、誰もが知ってる毎日笑顔でチキンを揚げる白いスーツの叔父さんだ。でもそのシンボルマークを生み出すまでの背景には、多くの苦難があった。 夢を追い続けることの重要性について考えるとき、カーネルの人生を参考にすると良い。彼の生涯には、ディズニーランドが羨むほどの冒険と挫折が詰まっていた。それでも彼は、夢を追い続けた。それが彼の成功への秘訣だ。だから、あなた自身も自分の夢を追い続けることが大切なんだ。それと、美味しいフライドチキンを食べるのも忘れずにね。

カーネルの初期の挑戦

 引き続き、我々の旅はカーネルの初期の挑戦へと移ります♩ カーネルは一体何回キャリアチェンジしたのでしょうか?163回? なんてくだらない、実はそれ以上なんですよ!(Wikipediaとは違いますが) カーネルは、弁護士、保険証券、鉄道労働者、石油給油所のオーナーといった仕事を経験しました。彼はATMマシンから職を得る方法をマスターしたかのように見えます。 しかし、カーネルのビジネス手腕が常に成功していたわけではありません。彼の事業は火花を散らしたものの、最終的にはバーベキューソースのブームが過ぎ去ったらしい。(閑話休題、カーネルのバーベキューソースは赤ん坊の涙ほど甘いと聞いています。) そして、なぜカーネルはこれほどまでに不屈の精神を保つことができたのか? 間違いなく、それは彼の情熱が永続的であったからです。彼は自分の夢にいつも固執し、それを諦めることはありませんでした。事業で失敗しても、その度に、新しい仕事や新しいビジネスアイデアを磨きつづけました。だからこそ、カーネルは成果を上げることができたのです。それはまた、彼のモチベーションの源が何だったのかを明らかにしています。 

レシピの発展と研究

 さて、カーネルサンダースの冒険において、レシピの発展と研究はかくも興味深い話です。伝説のオリジナルフライドチキンが、彼の厨房から、我々の心と胃袋に飛び込んできた瞬間ですよ。サクッとした音は、それまでの数え切れない失敗のハーモニー。毎夜、スパイスとハーブを組み合わせては「う~ん、違う!」と嘆息する日々。しかし、そのストイックなまでの精神は、まるでフライドチキンの何層にも重なる衣のように堅固でした。 そしてある日、あの絶妙な組み合わせが生まれ、からくり時計のようにパーツがかみ合って、「これぞ!」という味が完成です。試行錯誤の果てに生まれたその味は、まるでカーネルの魂を直接味わうかのよう。至高のフライドチキンにはコミットメントが必要ですからね。安売りはせずに品質だけは絶対に譲れない、その一貫性が、今日のフライドチキンの王様、KFCへとつながるのです。

千回の「ノー」を乗り越えて

 だから、この美味しさを何とか広めねば!とカーネルは考えました。一つでも多くの人に恩恵を与えるため、彼は全米を巡り、レストラン経営者たちに自身のレシピを売り込む旅に出ました。しかし...全米各地からは、「どうせまた一時的な流行だろう」とばかりに毎日毎日「ノー」の連続。しかしながら、カーネルが逆境を幸せに変えたのはここからだったのです。人々がグッと来るボケを切り返すときのように、彼は「最後に笑うのは誰だ」と自分に問いかけ、売り込みの苦労を面白おかしく語りました。それはまるで拒絶を楽しんでいるかのようでした。 さて、困難が次々と訪れる一方で、カーネルには大きな決断の瞬間がやってきました。ところが、彼はあることを忘れていたのです。「湯水のように使うと言っても、湯水ってなかなか使い切れないこと」って学んだでしょうかね?カーネルは彼の経済状況に照らし合わせ、「湯水のように使う」が効率の良い道ではないことに気づきました。そして、彼は自分の人生における最大の決断を下しました。それは、あきらめずに続けることだったのです。

KFCの誕生

 KFCの誕生には、何とも魅力的でワクワクする物語があります。さて、「フランチャイズモデルの成功」を語るには、ウサギとカメのレースを逆向きにしたイメージでしょうか?カーネルサンダースが60歳を超えて、自らのレシピをレストランに売り込もうとするあの偉業は、まさに地道かつ短期間で大成功を収めました。フランチャイズビジネスを展開することで、彼はチキン愛好家たちの胃袋をガッチリとつかみ、世界中でおいしいフライドチキンを提供し続けることができました。 そして「世界規模での拡大」ですが…あれ、ちょっと待って。ここでお約束の「世界中に!」と言いたいところですが、実際には100以上の国で展開しているんですから、もう驚くしかない。こんなに成功してるんだったら、もしかしたら地球外生命体もKFCを楽しんでいるかもしれませんね(笑)。 最後に「カーネルの遺産と文化への影響」について。カーネルサンダースはもはや、ただの人物ではなく、一種のカルチャーアイコンとも言える存在です。数え切れないほどのKFCのCMや広告、そして彼の言葉には、耳に残るもの、心に響くものがたくさんあります。「私はチキンだから」とか、「フライドチキンが好きすぎて…」なんてことも言っているような気がします(笑)。

まとめると、カーネルサンダースの成功物語は、努力や情熱を持ち続けることがいかに大切かを我々に教えてくれます。そして、時には少しでも笑いを取り入れながら、楽しく夢を追い求めていくことが大切だということも、彼の物語から学ぶことができますね。

成功への教訓としてのカーネルサンダース

 ねえ、彼の素晴らしいバケツを見たことありますか?はい、あなたが思っているのはこの人、カーネル・サンダース。65歳で成功するのには遅すぎるなんてことはない、という教訓を与えてくれる人。 永続的な情熱がなければ彼のあのレシピは考えられません。 繰り返し繰り返し研究を重ね、そこから生まれたのが世界中で愛されるあの味。現在、彼のフランチャイズは全世界で展開され、その影響は未来も引き続き変えていくことでしょう。 彼の成功物語は、我々が自分の夢を追い続けることの重要性を教えています。どんなに遠く厳しそうな道でも、目指す場所が明確であれば必ず到達する。さあ、あなたのバケツリストは何でしょうか?もしまだなら、今日から書き始めましょう。そして、バケツの鶏肉を食べながら考えると、ほら、もう少し道のりが楽になりませんか?

不屈の精神を持ち続ける

 カーネルの物語から、我々は一つ、しかしこそ重要なメッセージを学びました。「失敗」=「終わり」ではないということ。あなたもそうだろう、夢心地になれる何かを探す旅に出てみては?ああ、でも、運動靴は不要。夢探しはあくまでも自己改革の旅だから。カーネルのように、何度拒否されたって、何のその。挑戦し続けて、あなたのレシピを見つけ、世界に広めるのだ。毎日が冒険。さあ、夢を抱きしめて前進しようぜ!
 

次回は、私の失敗談からー塗装編